直近2日間は、2記事ずつ投稿したことから総投稿記事数は今現在1576に至り、あと24記事の投稿にて目標の1600記事に到達します。そして、これも毎日2記事ずつの投稿にて進めると、12日間、つまり、今月内での達成も見込まれるわけですが、おそらく実際のところは、そこまでハナシは上手く運ばずに、かなり良く進んだとして、今月内ギリギリの到達になることが見込まれます。
さて、これまでに何度か書いたことではありますが、私は首都圏を出自としていますが、地方での生活が比較的長く、人生の三分の一程度は地方に住んでいたと云えます。また、これが新卒での就職以降となりますと、さらにその割合は高くなり、半分以上は地方での生活であったと云えます。
また新卒当初は首都圏にて勤務したいと強く望んでいましたが、現在考えてみますと、これは贅沢な望みで、実家からは出たいが首都圏(東京都心部)にて勤めたいといったもので、当時は、ともかく実家から出たかったのだと記憶しています。
その理由は、端的には、実家での居心地があまり良くなかったからであると云えます。当時は特に大げさな表現ではなく、暴力沙汰と云える家庭内でのケンカが多くありました。これは他の兄弟においても概ね同様であったと云えますが、その中で最も多くケンカをしていたのは、おそらく私であったと云えます。そして、それらの原因については、半分程度は私にあったと云えますが、残りの半分については挑発によって生じたものであったと云い得ます。
また、当時の私の実家の様子をご存じである方々は、おそらく、そうした(ケンカの)情景も思い出されるのではないかと推察されますが、それでも見方を変えてみますと、当時の私は「何か」を渇望していたのだと思われるのです。
その「何か」とは「周囲に負けない知性」のようなものであったと思われます。それ故、さらに大学院への進学を望んでいたのだとも云えますが、これは周囲の方々との相談により、諦めないにしても、一先ず先延ばしすることになり、そして、そこから当初は望んでいなかった地方での生活が始めったわけですが、現在考えてみますと、これが自身にとってかなり良かったと思われるのです。そのため、当時相談させて頂いた周囲の方々には、それなりに先見の明があったものと私は考えています。
つまり、新卒当時、そのまま当初の希望通りに首都圏の大学院に進んでいたらならば、収入や経済的状況は別として、さまざまな地域のホンモノの文化風土などを知ることなく年齢を重ねて現在に至ったものと思われますが、現在作成している一連のブログ記事とは、以前にも書きましたが、地方での生活の記憶・経験があるからこそ、今に至るまで、どうにか書き続けることが出来ているのだと云えます。
そして、こうした経験を何やら無駄、コスパの悪いものと考えたがる、いわば「経済合理性」一辺倒の社会とは、やはり何かが不自然であり、このままでは「失われた30年」より継続している社会全体の衰退を止めることは出来ないものと考えます。
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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