昨日投稿の記事は投稿翌日にしてはかなり多くの方々に読んで頂けました・・。
とはいえ、昨日の記事も含め、それらがどのように読まれているかの方がより重要であると思われますので、この記事の場合、特に書籍からの抜粋引用部に関しては、全面的な肯定などはもとより望んでおらず、また自身も、その引用部においてさえ全ては肯定しておりませんので、ただ『なるほど、それも一理あるのかもしれない・・。』といった感じにて心の片隅に留めて頂ければ上出来であると考えます・・(笑)。
さて、本日の首都圏は日中気温がかなり上昇し、ほぼ夏日といっても良い一日であったのではないかと思われます。
また、昨日は端午の節句、子供の日でもあることから不図思ったことですが、古墳時代を通じ、古墳に供えられる埴輪の題材、あるいは古墳時代後期からの横穴式石室、横穴墓などの石室における壁画、線刻画の題材として、矢の入った靫(ゆぎ・武具の一種、携帯用の矢のケース)といったものがあります。
勿論、他の武具もまた、埴輪の題材となり、石室に描かれ、刻まれたりもしますが、その中でもとりわけ、この靫とは、おそらく当時、何らかの呪術的な意味合いを付与されていたようであり、他の武具に比べ、割合多くの出土、発見例があります。
そうしますと、当然「では当時、靫の持つ呪術的な意味とは、どのようなものであったのか?」といった疑問が生じます。
そして、その呪術的な意味のさまざまな書籍からの概ね統一された見解では、破邪、墓域侵入者への威嚇、神聖な領域を設定する標識であると認識されています。
つまり、本来矢が持っていた武器的性格から、他を威圧するといった要素を抽象、呪術化し、そして再度物質化したものが、これら埴輪、壁画、線刻画であるといって良いと思われます・・。
では、そこでハナシは端午の節句に戻り、五月人形の背後に置かれる屏風の一種で矢屏風というものがあります。
これは、かつて実際の日常生活に用いられた道具の一つであり、矢羽根を上にして矢を木製の架のようなものに並べ屏風状にしたものであり、五月人形以外では、時代劇、映画などで時折見受けられます(たしか黒澤明監督の蜘蛛巣城にて見受けられました。)。
この矢屏風のたしかな起源については分かりませんが、臨戦態勢の武士の日常生活から生み出された他者への威圧を兼ねた道具であったのかもしれません・・。
あるいはまた、日常の家屋内にて何らかの境界を示す標識的な意味合いを持った道具であったのかもしれません・・。
はたまた、それらが折衷したものであるのかもしれません・・。
ともあれ、ここで面白いと思うことは、そうした考え、観念(矢を立て並べたものが境界を示す標識となる)が古墳時代から現代に至るまで継続し、あるいは継続はしていなくとも、隔世的に呪具、道具として顕れることです・・。
このことはあるいは、もう少し考えてみますと、深くなるかもしれませんが、とりあえず思ったこととして書いた次第です。
今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
去る2016年に熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によって被害を被った諸地域の出来るだけ早期のインフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。