ISBN-10 : 4909852093
ISBN-13 : 978-4909852090
日本は、1970年代後半以降の製造業一人勝ちのラッキーによる右肩上がりの継続が、新自由主義的方向へのシフトを妨げて旧自民党的な再配分政治を継続させ、チェルノブイリ事故が他人事に思えたラッキーが、1990年代以降の「食とエネルギーの共同自治」を妨げた。
むしろ欧米の動きとは対照的に、1980年代半ば以降の日本は、一方でコンビニ化&ファミレス化に象徴される「市場依存」が進み、他方で日米構造協議の末に日本政府が応じた430兆円の公共事業に象徴される「行政官僚制依存」が進んで、共同体が空洞化し続けた。
1989年から91年にかけて冷戦体制が終わり、グローバル化という資本移動自由化が進んだことで、91年のバブル崩壊以降の日本では、「社会の穴を辛うじて埋め合わせていた経済」が回らなくなり、社会の穴ー共同体空洞化ーが、ひたすら顕在化するはめになった。
それが、英国の三倍、米国の二倍にも及ぶ高自殺率をもたらし、昨年(2010年)話題になった高齢所在不明問題や乳幼児虐待放置問題をもたらし、孤独死や無縁死をもたらすことになった。システム(市場と行政)がうまく回る「平時」を、永続するものだと自明視化したツケだ。
丸山眞男の言葉を使えば、まさに「作為の契機の不在」だ。システムは自明ではない契機がたまたま噛み合うことで辛うじて回るに過ぎないのに、ここに川があり、あそこに山があるかの如く、また、太陽がいつも東から昇るが如く、単なる自然だと見做す傾向を意味する。
システムは偶発的契機のセットが与える「ありそうもない秩序」であるがゆえに、システムが回らなくなった場合を想定して、「食の」「エネルギーの」「資源の」「技術の」「文化の」安全保障の観点から共同体自治を確保することが大切だが、日本には無縁な営みだった。
震災は、被災者支援においても、市場と行政に依存し過ぎた社会の脆弱さを突きつけた。支援物資が集まっても配分に手間取る。義援金が集まっても支給開始が遅い。共同体自治に支えられた市町村や、市民自治に支えられたNPOが、欧米よりも圧倒的に脆弱なことが関係する。
阪神淡路大震災後の仮設住宅では、極めて多数の自殺や孤独死が生じた。物資の配給や就労などの経済的自立だけでは、人は生きていけない。そのことを教訓として織り込んだ被災者の定住化政策ー共同体自治への包摂ーも、日本では全く議論の対象になっていない。
共同体自治や市民自治の不在ゆえに困難な支援物資配分を、ツイッターでの交流が助けた。それもあって「空洞化した地域や家族の共同性をネットの共同性が埋める」という類の幻想が拡がっている。若手論者に多いこうした議論はそれ自体がシステムへの過剰依存ぶりを示す。