2026年4月17日金曜日

20260416 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「NEXUS 情報の人類史 : 下 AI革命」 pp.152-154より抜粋

河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ:著 柴田 裕之:訳「NEXUS 情報の人類史 : 下 AI革命」
pp.152-154より抜粋 
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309229441
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309229447

 文明は官僚制と神話の結合から誕生する。コンピューターベースのネットワークは新しい種類の官僚制であり、これまで私たちが目にしてきた人間ベースのどんな官僚制よりもはるかに強力で執拗だ。このネットワークはまたコンピューター間神話を創作する可能性が高く、そのような神話は人間が生みだしたどんな神話よりも格段に複雑で、人間には思いもよらない異質のものになるだろう。このネットワークの潜在的な利点は途方もなく大きい。逆に、潜在的な欠点は人間の文明を破壊しかねないことだ。

 一部の人にとって、文明の崩壊についての警告は悲観の極みのように思えるだろう。強力なテクノロジーが新たに現われるたびに、それがこの世の終わりを招くかもしれないという不安が湧き起こったが、私たちは依然としてここにいる。産業革命が進んでも、ラッダイト(機械化反対派)の描き出した破滅の筋書きは現実にはならなかったし、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクが作品に書いた「暗い悪魔の工場」は、けっきょく史上最も裕福な社会を生みだした。今日、ほとんどの人は一八世紀の先祖よりも桁違いに優れた生活条件を享受している。インテリジェント・マシンは、これまでのどんな機会よりもなお有益になるだろうと、マーク・アンドリーセンやレイ・カーツワイルのような熱狂的なAI支持者は請け合う。人間は、以前よりも段違いに優れた医療や教育、その他のサービスを享受し、AIは生態系を崩壊から救い出しさえするというのだ。

 残念ながら、歴史を詳しく見てみると、機械化反対派は完全には間違っておらず、強力な新テクノロジーを恐れるのはしごくもっともであることがわかる。仮に最後にはそうしたテクノロジーの利点が欠点を補って余りあるとしても、幸福な結末に至るまでには、たいてい多くの試練や苦難が待ち構えている。斬新なテクノロジーが歴史的惨事につながることが多いのは、テクノロジーが本質的に悪いからではなく、人間がそのテクノロジーを賢く使う方法を学ぶのに時間がかかるからだ。

 産業革命は、その最たる例だ。一九世紀に世界中に広まり始めた工業技術は、伝統的な経済や社会や政治の構造を根本から覆し、まったく新しい社会を創設する道を拓いた。その社会は、より豊かで平和になる可能性を秘めていた。ところが、良好な工業社会を築く方法を学ぶのは簡単には程遠く、大きな代償を伴う実験が繰りかえされ、その過程で何億もの犠牲者が出た。

 代償の大きい実験の一つが、近代の帝国主義だった。産業革命は一八世紀後半にイギリスで始まった。一九世紀の間に工業の技術と生産方法が、ベルギーからロシアまでの他のヨーロッパ諸国と、アメリカや日本でも採用された。こうした工業の中心地では、帝国主義の思想家や政治家や政党が、工業社会として唯一成りたつのは帝国だと主張した。おおむね自給自足の農業社会とは違い、新しい工業社会は外国の市場と原材料への依存率がはるかに高く、そのような前例のない要求を満たすことができるのは帝国だけであるという理屈だ。帝国主義者たちは、自国が工業化はしたものの植民地を征服するのに失敗したら、より冷酷な競争相手によって、不可欠の原材料の供給網と製品販売のための市場から締め出されるのではないかと恐れた。植民地の獲得は、自国の存続に欠かせないばかりか、自国外の人類全体にとっても有益だと言い切る帝国主義者もいた。新しいテクノロジーの恩恵を、いわゆる未開発国に広めることができるのは帝国だけだと彼らは主張した。

 その結果、すでに帝国だったイギリスやロシアのような工業国が大幅に国土を拡張する一方、アメリカや日本、イタリア、ベルギーといった国々は帝国の建設に乗り出した。工業国の軍隊は、大量生産されたライフル銃と大砲を装備し、蒸気の力で運ばれ、電信によって命令を受け、ニュージーランドから朝鮮半島、ソマリアからトルクメニスタンまで。世界中を席捲した。無数の先住民が、こうした工業国の軍隊によって伝統的な生活様式を目の前で踏みにじられた。工業帝国というのはお粗末な発想であり、工業社会を築いて必要な原材料と市場を確保するにはもっと良い方法があることにほとんどの人が気づくまでには、一世紀以上に及ぶみじめな経験が必要だった。

 スターリン主義もナチズムの、工業社会の建設方法を突き止めるための、はなはだしい代償を伴う実験だった。スターリンやヒトラーのような指導者は、産業革命が解き放った巨大な力を制御して最大限に活用できるのは全体主義だけだと主張した。彼らは、工業世界で生き延びるには政治と社会と経済のあらゆる面で全体主義的支配が求められる証拠として、史上初の「総力戦」である第一次世界大戦を上げた。一方、望ましい面としては、産業革命はそれまでの社会構造をその人間的な不完全さや欠点もろともすべて溶解し、純粋な超人が暮らす完璧な社会を鋳造する機会を与えてくれる炉のようなものだとも、彼らは主張した。

2026年4月15日水曜日

20260415 日経BP社刊 黒川 清著「大学病院革命」 pp.179‐181より抜粋

日経BP社刊 黒川 清著「大学病院革命」
pp.179‐181より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 482224556X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4822245566

 現在の医療不信のベースにあるのは医療と患者の間のコミュニケーション不全にある、と申し上げました。そこから考えると、改革すべき重要な病院の機能があります。それは病院の広報システムです。
 現在、日本の病院の広報システムもあまりにお粗末です。医療事故がおき、テレビで記者会見が報道されますが、病院側は事実を隠蔽しようとするクセが抜けず、切羽詰まると今度は土下座。広報戦略としては、最悪のやり方をどこの病院もとっている、としかいえません。どんな情報をどう開示するのか、どうすれば病院のブランドを落とさず、患者や世間の信頼をかちとれるのか、それを考え、情報発信を実行できる広報専門の担当者が必要です。もちろん、最終的にはこうした広報戦略を束ねるのは病院の経営者である院長や理事長です。
 企業の場合、広報は社長直属になっており、先進的な企業の社長は自ら広報マンであることを自覚しています。それと同じような病院経営者の自覚とシステム作りが病院においても急務です。
 アメリカでは、医療事故があると、すぐに弁護士が飛んできます。夜中であろうが、経営者や関係スタッフが集まり、それぞれがやるべき仕事を分担します。取材を受ける人間を決めます。「対外的にどこまで話すべきか」「どういう観点で話すか」も議論します。同時に、院内委員会を調べ、事故について調査し、報告書をすぐにまとめます。それをもとに外部評価委員を集めて会議を開き、質問を受けます。
 東海大学で医療事故が起きたとき、私はアメリカの大学病院で学んだ広報体制をとってみました。でもこのような方法は日本の病院のあいだになかなか広まっていません。
 人の失敗から学ぶというのはとても大切です。ゆえに医療の安全についての講座や講義を医者や大学医学部の学生たちに対して行う必要があります。医療というのは100%確実ということがありません。だから「事故はある」という前提で、ふだんから備えておくべきなのです。病院でおきた過去のヒヤリハット事例を集めるとか、専門家を読んで話を聞く。無論、普段はもちろんいざというときの患者さんの家族との対応も欠かせません。患者さんの信頼を得るためには、何かあったときではなく、ふだんから情報発信をすることが大切です。
 医療事故は、いつだって起こりえる。ゼロにする努力を怠ってはいけませんが、ゼロになることはありえない、と考えるべきです。そういう教育をしながら、制度的なミスがどこにあるかという話を考え、分析し、改善し、透明性を保つ、広報する。病院側が意識と体制を変え、こうした対応がとれるようになれば、医療と社会の関係も改善し、医療不信を解消する方向に持っていくことは可能なはずです。

20260414 ダイアモンド社刊 小室直樹著「危機の構造 日本社会崩壊のモデル」 pp.4-6より抜粋

ダイアモンド社刊 小室直樹著「危機の構造 日本社会崩壊のモデル」
pp.4-6より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4478116393
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4478116395

 政治は国民大衆の鏡であるという。敗戦の廃墟の中から立ち上がり、未曾有の経済復興を遂げ、わずか30年足らずで世界のトップクラスの経済大国になった国民のエネルギーとは、経済万能主義、金権絶対主義のエネルギーであった。当然のこととしてエントロピーを増し、それが社会構造の末端にまで及んだ。そして日本を破局に向けて邁進させるようなメカニズムが生れたのである。問題の政界を取り巻く腐敗も、官僚と財界と自民党のどろどろした癒着も、さらに視点をかえていえば、公害によってすっかり変色した自然も、アラブの資源ナショナリズムによって起こった石油危機も、現在の社会構造とそれによって生じるメカニズムの「ひこばえ」である。一本の糸をたぐっていけば、行き着くところは同じ根である。

 では、一体、このメカニズムとは何か、この解明が本書の主要なテーマであるが、要約して結論をいえば次のようになる。すなわち、高度経済成長にもとづく「最も空想的な人間の夢想すら上回る」社会変動にもかかわらず、日本人の行動様式は、構造的には戦前におけるそれとは変わっていない。つまり、structurally isomorohic である、ということだ。そのためにこれらの間の矛盾から生じる構造的アノミー(アノミーは「無規範」もしくは「無規制」と訳される。詳しくは後出第五章参照)によってこのような致命的なメカニズムが生じると考えられる。

 さらにここで十分に認識しておくべきことは、社会的現実を科学的に分析し、この分析にもとづいてこれを合目的的に制御するという社会科学的な態度と能力とが日本人には決定的に欠如していることである。この「精神」の欠如は、現在にだけ特有のものではない。戦前も戦後も、あるいはいかなる社会変動を経験しても全く変わっていないのである。このような態度を続ける限り、いかなる危機も救い難いものであるといわざるをえない。この点を克服してこそ、政治的、経済的、社会的危機は外部のものではなく内部のものとなり、所与のものとして位置づけられる性質のものではなく、われわれの克服可能な課題となる。この課題を制御対象とみなし、社会科学的に分析し、有効な制御を施すとき、いかなる危機もその超克の下に解決されるであろう。「危機」とは、有機状態のするどい亀裂である。それは極限にまで狂暴性を発揮する恐怖の状態、少なくともそこまでにいたる予兆である。原始時代の人間が天災にうろたえたように、われわれがいま、この「危機」の野放し状態を許すとしたら、われわれ日本人は滅亡するしかあるまい。だが、われわれは、実はこの恐ろしさに少しも気づいていない。あの第二次世界大戦においてわれわれを襲ったそれと同じタイプの大破局が再び襲ってくる可能性がないと、だれが断言できるだろう。世の中が一見太平安泰、物資的多さのムードに満ちているとき、このことに気づくのは容易ではない。精神の弛緩は、満たされたままの現状を所与のごとき感で蔽い続ける。

2026年4月13日月曜日

20260413 中央公論社刊 角山栄著「茶の世界史 改版 - 緑茶の文化と紅茶の世界」 pp.54-57より抜粋

 中央公論社刊 角山栄著「茶の世界史 改版 - 緑茶の文化と紅茶の世界」 
pp.54-57より抜粋
ISBN-10 : 4121805968
ISBN-13 : 978-4121805966

 いったいどうして茶がヨーロッパのなかでも、とくにイギリス人の間でひどく愛好され、国民的飲料として急速に普及するようになるのであろうか。日本人なら誰でも不思議に思って一度は話題にするテーマであろう。しかしこの問題はそう簡単に答えの出る問題ではない。社会的・経済的・文化的要因が複雑に絡んでいて、短絡的なアプローチではとても解答が見出せそうにない。たとえば茶がポピュラーな飲料になる以前のイギリスでは、人びとはいったい何を飲んでいたのか。それにしてもイギリスに茶が受け入れられた文化的基盤はいったい何であったのか。またほんとうに茶は何の抵抗もなくスムーズに受け入れられたのかどうか。また何らかの文化的摩擦があったとすれば、そうした摩擦や抵抗を排除して、国民的飲料として定着せしめたものは何であるのか。茶には、非アルコール的競合飲料としてコーヒー、チョコレートであったが、どうして茶がイギリスでは他を抑えて優位を占めるにいたるのであろうかなど、少なくともこうした問題を考慮にいれておく必要があるだろう。

 ではまず、茶が入ってくるまえに、イギリス人は日常の飲み物として何を飲んでいたのであろうか。常民生活の記録が乏しいのでよくわからないが、主として水および自家製のエールを飲んでいたのではないかと思われる。イギリスの水は軟水で、大陸の水とちがって飲料に適していた。試みに、いまでも大陸の水でティを飲んでもティの味も香りもない。やはりティはイギリスで飲むのがいちばんおいしい。またエールというのは麦芽とイーストと水だけで醸造したもので、ビールの一種といってよいが、ビールとちがうのはホップを使っていないことである。イギリスへビールが入ってきたのは十五世紀のことで、フランダースから導入された。しかし十七世紀末までは、上流階級でも日常の飲み物といえばビールよりかエールであった。農民のあいだでは自家製のエールが飲まれていたが、農村共同体の祭りや結婚式のときに出るのもエールと決まっていた。ワインはまったくなかったわけではないが、フランスなどからの輸入ものが主であったし、またリンゴからつくるサイダーもあったが、いずれもイギリスでは上流階級や特別の行事のときの飲料で、庶民の日常の飲料ではなかった。もっとも十八世紀になると、ジンや安ものの輸入ワインが庶民のあいだで広く飲まれるようになるが、ともかくイギリスはフランスや他のヨーロッパ諸国と比べると、水は別として、もっとも飲み物の貧弱な国であったといってよい。だからフランス、イタリア、スペインといった地中海のワイン文化圏では、茶はほとんど割り込む余地がなかったのに、伝統的飲料がもっとも貧弱であったイギリスに茶が入りやすかったということができる。

 なお、イギリスに茶が受け入れられた背景として、水が適していたことのほかに、土着の「代用茶」があったことは注意してよい。古くから知られる煎汁plant infusionがそれで、現在でも農村で用いられている。現在これをティとよんでいるが、これは本来のティではない。十六世紀にイギリスから大西洋を越えてアメリカにもたらされた薬用茶もセイジ・ティ(サルビアの葉を煎じたもの)があるが、それが伝統的な煎汁の一例である。その他ハートニーの「イギリスの食べ物」(1951年)があげているイギリス古来の代用茶には、Catnip tea(いぬはっか茶。これは風に効く)、Hyssop tea(ヒソップ茶。ヒソップはッ香りのよい刺激性の植物で、むかしその枝を清めの儀式に用いた。花も葉もティに使用され、熱湯を注いで二十分程浸し、蜂蜜を入れて飲むと、咳によく効くといわれる)、Raspberryleaf tea (木いちごの葉の茶。これを煎じてミルクと砂糖で飲む。またレモンと砂糖で飲んでもよい。妊娠の末期にとくに良いといわれる)、Black-currant tea(黒すぐりの茶。蜂蜜で飲めばのどや咳によい)などがあった。もちろんここに記した飲み方は現在のそれであって、茶が入ってくる前には砂糖の代りに蜂蜜が用いられたであろうし、飲み方がちがっていたであろう。こうした代用茶の基盤の上に、中国茶が入ってきたのであった。

 代用茶がどの程度広く普及していたかどうかは疑問があるにしても、東洋的な茶の出し方を知らず、ただ煎じたらよいと思っていたものも多かった。

 たとえば茶がアメリカ植民地に導入された十七世紀末から十八世紀はじめにおいてニューイングランドでは茶の葉を長い時間かけて苦い煎汁になるまで煮つめ、その煎汁をミルクも砂糖も入れないで飲んでいたのである。このような茶の飲み方はイギリスからもちこまれたもので、イギリス人のあいだでは茶も煎じて飲むくすりであると考えられていた。しかし奇妙なことには、その煎汁の出がらしの葉に塩をまぶし、バターをつけて食べていたことである。もっと傑作なのは、ニューイングランドの数都市では、煎汁を捨てて、出がらしの葉だけを食べていた。

20260412 中央公論新社刊 鈴木康久・河野忠 著「名水と日本人-起源から百名水まで、文化と科学でひもとく」 pp.212-215より抜粋

中央公論新社刊 鈴木康久・河野忠 著「名水と日本人-起源から百名水まで、文化と科学でひもとく
pp.212-215より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121028759
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121028754

 一般的に磨崖仏とは石仏の一種であり、自然の懸崖に露出した岩や岩壁に仏像を彫刻したものをいうが、仏像に限らず、梵字などが刻まれた「種子磨崖」、南無阿弥陀仏の六字名号が刻まれた「名号磨崖」、五輪塔などが刻まれた磨崖や石窟内の壁に刻まれた石窟仏などを含めた総称として用いられている。

 磨崖仏は、東北地方の福島県や近畿地方の滋賀県・奈良県・京都府、九州地方、特に大分県に偏在する。大分県は「磨崖仏の宝庫」といわれる磨崖仏密集地域であり、現在もその所在が知られるものだけでも八三ヵ所、総数約四〇〇体にのぼる尊像が確認され、一説に全国総数の八割を占めているといわれている。

 筆者が調査した大分県における磨崖仏分布を図8-27に示す、未調査の磨崖仏がまだ相当数あるものの、そのほとんどに湧水が存在する。湧水の存在する割合は、調査済みのものだけを対象とすると、九四%にも達する。

磨崖仏と阿蘇溶結凝灰岩
 磨崖仏が彫られている溶結凝灰岩は、水によって風化されやすい特徴を持っているので、文化財保護の観点から見ると湧水の存在は好ましくないという。にもかかわらず大分県の大野川流域湧水近くに多数の磨崖仏が見られるのはなぜだろう。

 磨崖仏は自然の岩石を素材としているため、その造形は石材からくる材質的制約を受ける。特に岩質の硬さやきめの細かさによって、彫られる仏像も異なってくる。大分県中南部に所在する磨崖仏の多くは、阿蘇火山灰の堆積層である溶結凝灰岩の緻密で軟らかい岩肌に刻まれており、もろく割れやすいという欠点がある。溶結凝灰岩はカルデラ式火山に特有の地質に見られ、九州では阿蘇火山や桜島火山が有名である。

 大分県、特に大野川流域には九万年前に噴火した阿蘇山の噴出物である溶結凝灰岩が堆積している。一般的に溶結凝灰岩は岩石内の空隙が大きく、水が浸潤しやすいために、非常によい帯水層(水が貯えられる地層のこと)となって豊富な地下水を供給する。したがって、溶結凝灰岩のある地域には地下水や湧水が豊富に存在するのは自明のことであり、事実、大分県の竹田湧水群はよく知られた湧水地帯である。また、凝灰岩は岩石の中では非常に柔らかい岩石に分類され、かつては建築石や石橋・石仏などに盛んに用いられた。磨崖仏を造立するにはとても都合のよい岩石であったのである。

 また、大分県の磨崖仏は、仁聞、日羅、蓮城法師の三人が彫像したと伝えられているが、実際には無名の石工たちが長い年月をかけて彫ったのであろう。その過程で、石工たちは作業の合間に水分を補給しなければならなかった。ただでさえ、岩石を穿つ重労働である。作業の合間にとる水のことを硯水というが、この水が近くにあることが磨崖仏造立の第一条件だった。

 また、磨崖仏は仏様であるから、毎日水をお供えしなければならない。この水のことを閼伽水という。第七章で述べたように、閼伽水は見た目の透明度が高く硫酸イオンが多量に含まれている。おそらく先人たちは閼伽水に適した水質を持っている湧水を経験的に知り、彫りやすいその場所に磨崖仏を造立したと考えられる。

2026年4月12日日曜日

20260411 2440記事に到達して思ったこと:文章作成と記憶の励起

 直近の引用記事の投稿により、総投稿記事数が2440に到達しました。この数字からは、達成感よりも、これまでの継続期間をあらためて感じさせられます。また、これにより当記事を含め、残り60記事の更新により、現在目標としている2500記事に到達することが出来ます。60記事の更新は、毎日1記事の投稿であれば約2カ月間を要します。そして、2日に1記事の投稿であれば、約4カ月もの期間を要し、現在から起算しますと、夏真っ盛りの頃での到達となることが見込まれます。その頃、未だにブログ記事作成をしているのかと考えますと、正直なところ、少々滅入ってくるような感覚もありますが、元来、私にとってブログ記事の作成は、滅入るような性質のものではありませんでした。それにもかかわらず、ここに来て、そうした感覚があるということには、やはり10年以上にわたり、2400記事以上作成してきたことによる疲労のようなものが出てきているのだと思われます。そして、そうであるのならば、どこかで一度、当ブログのことを忘れるほどに休止することも、一つの選択肢であると考えられます。もっとも、そのためにも、現在掲げている2500記事という目標に、まずは速やかに到達しておくことが望ましいようにも思われます。そこから、本日も、先ほどより文章の作成を始めた次第ですが、先述の2440記事到達ということもあってか、ここまでは比較的速やかに書き進めることが出来ました。そういえば、今月に入ってからの投稿2記事「20260402 先日の久しぶりの紀伊田辺訪問から思ったこと」「20260405 書籍の選択と文章作成とのバランスと、そこから生じるものについて」の投稿数日前に、2017年より毎年、些少ながらも支援させて頂いている医療系シンクタンクさまより、お礼と共に新年度分の支援額の領収書PDFファイルが添付されたメールを頂き、これに対する返信として、了解と領収書へのお礼を述べる文面に続き、前述の投稿2記事にて述べたように、書籍を複数分野のアカデミアの先生方にお送りし、その反応について簡潔にお伝えして結びました。これに対する返信はすぐにはありませんでしたが、その後、「20260405 書籍の選択と文章作成とのバランスと、そこから生じるものについて」の投稿翌日にお返事があり、書籍送付および反応についての情報を組織にて共有されたとのことでした。そこから「こちらのシンクタンクさまに当ブログを読まれている方がいらっしゃるのではないか?」と考え、勝手ながら少し緊張してしまいました(苦笑)。しかしながら、考えてみますと、これは特に驚くべきことでもなく、現時点での当ブログの閲覧者総数は115万人を超えていることから、そのようなことがあっても決して不思議ではないとも思われるのです。そうしますと、やはり今しばらくは、コンスタントなブログ更新を継続し、わずかではあれ、興味深く、我が国の社会に何かしら貢献し得る情報を発信していくことが良いのではないかとも思われるのです…。また、そのように考えますと、面白いことに、未だ文章化・発信出来ていない事が、まだまだ多くあるように思われてきます。あるいは、こうしてキーボードで文章を作成するという行為そのものが、過去の記憶を励起させ、それが最近での出来事や読書の記憶と化合することで、新たな文章の作成を可能にしているのかもしれません。換言しますと、文章作成という行為は、単に記録ではなく、記憶と経験を再編成する結節点として機能しているのだとも考えられます。今回、当初は2440記事到達の勢いで始めましたが、結果として、比較的自然に文章作成の流れに入ることが出来たように思われます。そして、おそらくは、この状態に入ることが、継続において、とても重要なことなのであるとあらためて思われました。ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

一般社団法人大学支援機構

~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

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2026年4月9日木曜日

20260408 春風社刊 谷川健一著「古代歌謡と南島歌謡: 歌の源泉を求めて」 pp.205-207より抜粋

春風社刊 谷川健一著「古代歌謡と南島歌謡: 歌の源泉を求めて」
pp.205-207より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4861100585
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4861100581 

 ところで、住吉の弟日娘と同一の名をもつ女性が「肥前国風土記」逸文に見える。その名を、乙等比売(おとひめ)と言うとあり、異本には弟日姫子(おとひめこ)とある。大伴狭手彦と相愛の関係になったが、狭手彦が新羅を征討に出陣するとき、山にのぼって領巾(細長い薄布)を振り、その船を見送ったという。この話は有名で、「万葉集」の巻五にはこの悲哀をうたった一連の歌がある。領巾を振った山は唐津市の鏡山だという。そして見送った女は松浦佐用姫(まつらさよひめ)となっている。

 さきに見たように、大宰府の付近には児島と呼ばれる遊行女婦のいたことは明らかであるから、大陸との交流のふかい唐津付近に遊び女がいたとしてもおかしくない。住吉の弟日娘が遊行女婦であったように、大伴狭手彦と別れを惜しんだ弟日姫子もそうしたたぐいの女であったかもしれない。室町後期の「閑吟集」に、

 つれなき人を 松浦の奥に 唐土船の 浮寝よなう(一三八)

とある。唐土船というのは唐船ともいい、中世に中国との貿易にあたった日本船を指す。「自分につれない人を待ちかねて、唐津湾の沖に停泊する唐船ではないけれど、浮寝をする」という意。浮寝というからには、船中で独り女が寝ているであろう。『梁塵秘抄』巻二にも、「遊女の好むもの」として、雑芸や鼓などがあげられているほかに、「小端舟」となる。遊女たちは小舟をあやつって旅客を迎えた。遊女の中の年老いた者は大傘をさしかけて、舟の棹を取ったのである。

 そうしてみると、さきの「閑吟集」の歌も、船中で客を迎える松浦地方の遊女を指しているにちがいない。弟日娘と同一と思われる松浦佐用姫も「松浦地方のサヨという女」ということで松浦佐用姫と呼ばれたように思われるが、松浦というのを肥前の地名と固定してよいのかということになると、必ずしも断定できない。松浦佐用姫の伝説は日本各地に伝わり、奥羽地方にも分布しているからである。

 柳田国男によると、「佐用姫のサヨは塞の神を意味し、松浦のマツは神あるいは貴人に対する奉仕を意味する言葉である。したがって松浦佐用姫は固有名詞ではなく、本来は遠く遊行して諸国の神の祭に参与した一群の女性を指す言葉であった」と言う。柳田はさらに、「村の祭に化粧して現わ来たり、神の故事を演ずる者は、昔も今も一階級しかない」(「民俗学辞典」)と付け加えている。

 柳田はまた、小松という名は小野小町の小町と根源を同じくすると述べ、「陸前栗原の小松の虚空蔵堂などで、小野小町が佐用媛の任務に代わって居るのも、自分にとっては些かも偶然では無い」(「人柱と松浦佐用媛」)と言っている。

 こうしてみるときに、松浦佐用姫の松は特別の意味をもつことになる。神をマツルとか貴人にマツラフという語と同種類の語が、マツである。神をマツリ、神にマツラフ女性が神聖な祝宴にはべるのはとうぜんとしても、それがやがて男たちの酒盛りをとりもつ巫娼の役割を果し、あげくのはてには枕席も共にすることになれば、マツという語も男が女をマツ、女がはやくから男をマツという風に転用されてくる。

 住吉の浜の松がはやくから有名であったことは、すでに万葉の歌から明らかであるが、その松に殊更なる寓意を託された遊行女婦の群を私は想像してみるのである。

2026年4月6日月曜日

20260405 書籍の選択と文章作成とのバランスと、そこから生じるものについて

 相変わらず現在も数冊の書籍を読み続けていますが、そのうちの一冊である人類学を題する著作は、難解と思われるところが少なからずありますが、興味の方が強いことから、比較的好調に読み進み、半分以上にまで至りました。年齢を重ねますと、読むことが出来る書籍が以前よりも少なくなっているように感じられ、あるいは、読書以前の興味や好奇心と云ったモチベーションが、以前よりも減衰したように感じられます。それでも、ある程度興味を持ちつつ読み進めることが出来る書籍があることには安心させられます。そして、そうした興味・好奇心は、書店での立ち読みと云う、身体性を伴う行為により、更新・昂進される性質があると考えます。このことは、2020年から1~2年間続いたコロナ禍の際に痛感しました。しかし、その一方で、同年1月から開始したエックス(旧ツイッター)で得られる新刊をはじめとする書籍の情報もまた、興味深く有益であり、私の場合、2020年以降の状況(コロナ禍・エックスの開始)により、書籍選択の様相が変化したと云い得ます。また、エックスでのポストをしばらくの期間、読み続けていますと「こちらの方は、この本を読まれると面白いのでは…?」と考えることが度々生じるようになり、また同様に、対面での会話においても、そのように考えることが増えるようになりました。そうしたことから、一月ほど前、ある歯学分野の先生に「おそらく、先生はこちらの本を興味深くお読み頂けると思います。」と申し添えて、ある著作をお渡ししたところ、つい先日「おお、あの本良かったぞ、良いことが書いてあった。」とのご感想を頂きました。こちらの先生は、人を褒めることは多くないことから「あるいは、私の読みが当たったのでは…?」と思われました。また、直近投稿の「先日の久しぶりの紀伊田辺訪問から思ったこと」内で述べました「(和歌山での勉強会を)主催されている先生が、今春より、同じ和歌山市内に立地する四年制大学看護学部の教養科目を担当(兼任)されるとのご報告を頂き」の先生より「何か事前の参考になりそうな書籍があれば教えて欲しい」とのご要望を受け、手持ちで参考になりそうな書籍を数冊まとめて、つい先日、レターパックにて投函したことも思い出され、そこから、いくつかの異なる分野のアカデミアの方々から、書籍選択についての評価を頂けたことは、我がことながら印象深かったです…。また、そこから、鹿児島での歯科理工学の師匠が退職された後、戻られた師匠のご自宅に度々、書籍などをお送りしていたことが思い出されました。当時の私は現在よりも、かなり多く書籍を読んでいました。しかし一方で、こうした文章を作成することは出来なかったとも思われます。あるいは、既にそうした資質はあったのかもしれませんが、実際にそうした内容を文章として表して(著して)公表するという、継続を要する身体性の獲得が為されていなかったため、やはり、作成することは出来なかったと云えます。その意味で、その十数年後に、書籍の選択について、複数分野の先生方から評価されたことは、その十数年のうちの多くの期間、当ブログを継続してきたことが、何かしら効いているのではないかとも思われるのです…。そしてまた、多少不遜ながらも、こうしたことは、金銭的価値は乏しいのかもしれませんが、他方で、そこまで簡単なことでもなく、また、誰にでも出来るわけではないようにも思われるのですが、実際のところはどうなのでしょうか?ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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ISBN978-4-263-46420-5

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2026年4月2日木曜日

20260402 先日の久しぶりの紀伊田辺訪問から思ったこと

  先週は3/28㈯午前に家を発ち、関空に午後2時頃到着し、そこから日根野駅で特急くろしお号に乗り換えて、紀伊田辺まで行きました。到着は16:30過ぎであり、そこから徒歩で闘鶏神社に向い、当初の予定通りに参拝や所用を行い、安心した心地で紀伊田辺駅まで徒歩で戻ることにしました。さて、以前から当ブログで述べたように、私は今世紀初年から3年間、紀伊田辺の南に隣接する西牟婁郡白浜町に在住しており、そこでの休日は、度々、自動車や自転車で、ここ紀伊田辺を訪れていたことから、その街並みは、鮮明に記憶に残っていますが、かなり久しぶりに訪問した紀伊田辺の駅前の街並みは、和歌山市のぶらくり丁のようにシャッター街化が進み、私が知る往時の「活気があるコンパクトな地方都市」といった趣は、かなり減衰していました。他方、南紀白浜在住当時から知っている、古くからのお店で、現在も元気に営業されているところも点々とありました。その一つが地域を代表する銘菓と云える「辨慶の釜」や「デラックスケーキ」で知られる「鈴屋」さまであり、駅への帰路の途中に立ち寄らせて頂き、翌日の和歌山市での勉強会の際に、出席される方々に供するお菓子として適切であると考え、こちらの店舗のみでしか購入出来ない、さきのデラックスケーキの切れ端を商品化した「はしっ子」を一人で購入可能なだけ購入させて頂きました。そして、翌日の勉強会の際に出しましたところ、好評であったことから、今回の足を延ばしての紀伊田辺訪問はわずか2時間ほどでしたが、充実したものになったと云い得ます。また、勉強会では、出席された、かつて院生であった先生方や、当時からの先生の研究の現況や課題などを共有させて頂き、こちらも充実したものになりました。この勉強会は、知る限り、2012年から毎年、半年毎に開催されており、私は概ね参加させて頂いていますが、その規模は大きくもならず、小さくもならずに継続しています。また、2015年に開始した当ブログにおいても、当勉強会について度々言及しており、私見としては、博士課程修了後の私の知的好奇心や自意識が干上がらず、あるいは破綻せずに、これまで、どうにか生き永らえることが出来た一つの要因であると考えています。そして、今回の勉強会においては、主催されている先生が、今春より、同じ和歌山市内に立地する四年制大学看護学部の教養科目を担当(兼任)されるとのご報告を頂き、それが、当ブログと連携しているエックス(旧ツイッター)での、つい数週間前(3/16)の私の投稿内容とも被るものであったことから、何とも不思議な感じを受けました。また、我田引水ながら、それとも関連して、和歌山市は、大都市である大阪府と隣接して、人口流出が続きながらも、独自の歴史的背景や文化を持つ地方都市であり、現代の都市的な悪影響が相対的に乏しい環境であり、それこそ、医療系の新大学・学部などの立地には適しているのではないかと思われるのです。このことは、ここ十年ほど、和歌山市での新大学・学部の設置の様子を観察して、あらためて理解出来たことであり、あるいはこの先も、こうした流れがしばらく続き、そしてその先には、現今、人文系主体である当地の国立大学法人運営の大学の学部構成にも変化が生じるのこともあると思われるのです。具体的には、口腔保健学科や管理栄養学科を擁する医療系の新学部の新設であったり、あるいは、他の老舗医療系大学との共同出資・運営にて、和歌山市内あるいは、それこそ、さきの田辺市内(臨床実習先となる医療機関は地域内に複数あります)に医療系の専門職大学が新設されると良いのではないかと思われるのです。そして、そうしたスタイル、つまり、欧米文化の真似ではない、我が国なりのSTEM教育を行い、そこにArtの要素を加えた、総合的なSTEAM教育が、今後の我が国に再び、盛運をもたらすのではないかとも思われるのですが、さて、実際のところはどうなるのでしょうか…。ともあれ、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。


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2026年3月29日日曜日

20260328 言葉の二重構造と記号接地問題

 昨今の世界情勢を俯瞰しますと、我々は一種の奇妙な二重性に直面しているように感じられます。表層においては、ポリティカル・コレクトネス(PC)の浸透により、言葉はかつてなく穏健で配慮に満ちたものとなりました。しかし、その言葉が示す現実の方は、暴力の行使が常態化し、社会的対立はむしろ悪化の一途を辿っているように思われます。この言語と実相との乖離は、単なる政治的修辞の問題ではなく、我々の精神構造の深刻な変容を示唆しているのではないかと思われます。そして、その核心にあるのが、言葉の「接地の喪失」という事態であると考えます。本来、言葉は、物理的現実や身体的経験に接地したものでした。「戦争」という語は具体的な死を、「動員」は身体の強制的な移動を、それぞれ直示的に含意していました。また、正義や信仰といった抽象的な理念語であっても、それは個人の実存を賭けた行為と不可分であり、そうした言葉を発することは、そのまま何らかの代償を伴う行為への入口を意味していました。しかし、近代化に伴う合理化と制度化の過程で、言葉は行為から切り離されていき、言葉が、現実を指し示すものではなく、制度内部で操作される「概念」へと変化すると、第一段階の浮遊が生じました。さらに、とりわけ現代において、かつての統合的な価値体系、いわゆる「大きな物語」が失効すると、理念語は依って立つべき実体を喪失します。歴史観や使命感に代わり、理念語は自らの立ち位置を表明するための「記号」へと変容しました。そして言葉は現実を動かす倫理ではなく、自己像を補完するための道具となったのです。この状況を理解する上で重要であるのが「記号接地問題」の視点であると考えます。本来、記号は物理的実体を示すことで意味を成しますが、現代社会における記号とは、往々にして他の記号のみを参照する自己完結的なループに陥っていると考えます。例えば「抑止力」や「安定化」といった言葉からは、もはや、具体的な破壊や個別の死を直接的には想起させません。それらは政策体系内部で機能する抽象語であり、身体的経験からは断絶しています。つまり、記号は現実の事象ではなく、記号体系の内部で完結されているのです。そして、この接地喪失は、暴力の不可視化とも密接に関連していると考えます。現代の暴力とは、当事者でない限りは、往々にして数値・言語化されたデータとして処理され、画面上で完結されてしまいます。そして、こうした事態に対応して言語も抽象化されて、むしろ暴力を隠蔽するための修辞として機能するようになります。ここで生じるのが、言葉の「無人称化」です。言葉が身体性から遊離しますと、そこには責任を負うべき主体としての「私」が不在となります。そして、ここで興味深い事実は、言葉が現実から遊離しているにもかかわらず、倫理的な語彙だけは増殖を続けている点です。平和や人権、多様性といった言葉が頻繁に語られることで、社会は一見すると道徳的に洗練されたかのように見えます。しかし、その多くは現実の困難さとは関係のない「空虚な理念の言葉」です。この状態こそ、言葉の接地喪失がもたらした現代的ニヒリズムの典型であると考えます。こうして接地をなくした言葉は、無害であると同時に無力です。それは誰も傷つけませんが、現実を変える力も持ち得ません。そこでは言葉は行為の起点ではなく、むしろ行為を遅延させる装置として機能します。つまり、現代社会とは、善に基づく良い言葉が氾濫する「表層」と、暴力が躊躇なく行使される「深層」という二重構造の上に成立しているのだと云えます。言葉が平和を語るその傍らで、現実では情け容赦のない闘争を遂行するという、この乖離こそが、現代社会の根源的な精神的緊張を形成しているのではないかと思われます。そこから、我々が直面している危機の本質とは、暴力そのもの以上に、言葉が、現実を指示する機能を失い、意味や重みを喪失している点にあると考えます。そして、もし、言葉に再び意味や重みを取り戻す方法があるのだとすれば、それは言葉を再度「交換不可能な身体」に結びつける試み以外にはないと考えます。統計上の数値ではなく「一人の死」を語ること、あるいはシステム内部での最適解ではなく、自らの存在に依拠した主張をすることです。言葉が再び現実に接地しますと、同時にそれは我々に痛みや責任を強いるものへと変貌します。しかし、その痛みこそが、我々が、この現実を記号としてではなく、身体を持つ人間である唯一の証であると思われるのですが、さて、実際のところはどうなのでしょうか?ともあれ、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。

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2026年3月27日金曜日

20260327 2500記事到達に向けた出口戦略について

 あまり良い区切りではありませんが、前回の記事投稿により、総投稿記事数が2435に到達していました。そして、現在、目標としている2500記事到達まで、今回の投稿を含み、65記事の更新を要することになりますが、これは概ね2日に1記事の投稿頻度として考えますと、130日、つまり4カ月と10日近くとなり、現在からですと、8月初旬頃になることが見込まれます。しかし、今から盛夏まで、2日に1記事での更新を継続すると想像しますと、少し気が滅入ってきますが、他方で、目標までダラダラと継続するのも、あまり身が入らないと思われますので、やはり、目標までは、出来るだけ速やかに到達するように、どこかで意識することが重要であるように思われます。
 しかし、当ブログは開始から3年間ほどは、ほぼ毎日、記事更新を行っており、1000記事に到達したのは、開始から3年目の2018年でした。また、その当時の、ブログ記事作成が生活の多くを規定していたような熱量に比べますと、現在の私はどこか冷めてしまっているのかもしれません…。そして、その後もどうにか当ブログは続いて、冒頭にて述べましたように、直近で2435記事までの到達となりました。とはいえ、相変わらず記事作成への意欲は湧かず、むしろ「まだ休止期間中なのだから、更新しなくても良いのでは…」といった考えの方が先に出てきます…(苦笑)。
 そして、そうした内面でありつつも、新たに記事作成をしていることには矛盾も感じられますが、このような「分かっちゃいるけど止められない…。」と云った感覚は、理性での制御が困難になるほどに、ブログ記事の作成と云う行為が浸透している顕われであり、これはむしろ、これまでのブログ継続に伴う、ある種、健全な「業」であるとも云えますので、この調子を自然に維持しつつ、出来れば、本格的な夏に入る前に2500記事まで到達出来れば良いと思います。そして、2500記事まで到達出来ましたら、一度、当ブログからしばらくの期間離れたいと考えています。
 そうしたことから、これからの出口(2500記事到達)に向けた展望を少し具体的に考えてみますと、先ず、現在は3月下旬ですが、ここから盛夏を迎える前の7月上旬での目標到達と設定しますと、残り65記事を約100日間で作成することになります。まず来る4月では、更に20記事以上の更新を目指し、総投稿記事数では2455を目指します。続く5月では、GWなども利用しつつ、更に20記事以上の更新を目指し、2475~2480を目指します。そして続く6月では、そこからさらに20記事以上の更新を行い、出来るだけ6月内での2500記事を目指し、出来なければ、7月にまで延長します。そして2500記事まで(どうにか)到達出来ればと考えていますが、果たしてことは、そこまで上手く運ぶのでしょうか…?また、以前にも何度か述べたことではありますが、当ブログの下書きは、さまざまな状態・出来のものを合わせて300記事以上あります。それらは、作成途中の素材のようなものであると云えますが、それらのなかで、多少加筆をすれば、ブログ記事として投稿出来るようなものは60記事近くはあるのではないかと思われます…。そのため、今後、そちらの掘り出しと加筆にも注力したいところですが、あるいは、その中には、適度に忘れていて熟成しているのも少なからずあるのではないかとも思われます。そして、かつて作成したした断片の文章が、現在の視点と重なることで、何らかの面白い「化学反応」が生じることもあるかもしれません。そうしたことも一つの楽しみとして、今しばらく当ブログの更新を継続します。
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2026年3月24日火曜日

20260324 読んでいる書籍からはじまり、2020年以来の伏線

 以前から引き続き、現在も何冊か書籍を読み進めていますが、そのうちの一冊は、新書であるのですが、これまであまり読む機会がなかった人類学分野の著作であり、さらに、当著作内では、さまざまな分野からの事例の提示や言及などが為されていることから、述べられている内容を速やかに理解しつつ、読む進めることは困難であり、そのため、読む進める速度は、普段よりも有意に遅いのですが、それと同時に、出て来る用語の意味などをネット検索や検討をしつつ読み進めることは、それなりに楽しいとも云えます…。未だ全体の三分の一程度までしか読み進めていませんが、今週末にまた、少し集中的に読み進めたいと考えています。そういえば、今回のように、適当に書き始めたブログ記事の場合、当初から伝えたいと考えていた内容から離れていってしまい、次第にそれを忘れてしまうおそれがあると以前の投稿記事にて述べましたが、今回においても同様であり、書き出しにて、現在読み進めている書籍について述べましたが、その次には、昨年末そして今年初旬での経験から考えていたことについて述べたいと思います。そして、それを述べる前に、去る2023年3月の投稿記事にて「将来のビジョン」として、当ブログを含めた文章の作成を継続しつつ、西南日本(中・四国・九州)の医療系を主とする大学に定期的に訪問、取材させて頂き、月に数本の記事を作成する、おそらくは広報に分類されるようなパートの仕事に就きつつ、さらに先方大学さまの要望をお聞きして、特別講義の講師となる先生の選定や、当初の交渉などを行ったり、あるいは東京・首都圏での就職を希望される学生さんが、さらに能力を伸ばすことが出来そうな就職先医療機関などの選定や見学の交渉なども出来るのではないかとも思われます。こうした仕事は、首都圏に戻った2020年から検討はしていましたが、当時は新型コロナ禍の真っ只中であったことから、そのことを現実に行動に移すことは非常に困難な状況でした。そして、それが徐々にボンヤリとしてしまっていたところ、昨年末に歯科理工学の師匠から「お前はこの先何になりたいんや?」と尋ねられ、さらに人文系の師匠には、今年に入ってから、さきの希望する仕事内容を会話の中でお伝えしたところ「うーん…」といった感じで良いとも悪いとも仰らずに何やら考えられていました。察するに、そうした仕事とは「JREC-IN」にもないことから「どうなのだろうか…?」となったのではないかと思われますが、たしかに、そうした求人は、おそらく、これまではなかったのでしょうが、昨今、時代は大きく変化しつつあります。そして、そのなかで首都圏と立地地域の双方から大学についての情報を発信することは、おそらく当初は、特に金銭的利益は生じないかもしれませんが、そうしたことをある程度の期間継続していますと、また何らかの新たな・悪くない変化が生じる契機になることもあると考えます。そして、このことは2020年から考えておりながらも、あまり明瞭に言語化することは出来ていませんでしたが、ここで、そのことをまた以前よりも多少明晰に、言語化することが出来ました。ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

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2026年3月21日土曜日

20260321 人工知能・AIと文章作成でのエラン・ヴィタールについて

 3月も半ばを過ぎて陽気も春めいてきており、昨日3/20(金)は春分の日のために休日でした。そういえば、ここ最近、金曜日が休日であったことは珍しく、私の場合、金曜日は概ね、文章を作成していたり、営業のため外出していたり、あるいは両方を行っていることが多いと云えます。そのため、金曜日が休日であり、文章を作成しないことは珍しく、それが何時になく新鮮に感じられました。また、ここでの文章作成とは、当ブログのそれとは異なり、もう少し科学をベースにしたものが多いと云えます。くわえて、そこで作成する文章の主題は、これまで専攻した分野のものではないことが多いため、講談社の科学系新書のブルーバックスやネット上の英論文などを読みつつ作成するのですが、これらは私が作成する文章としては、比較的硬質なものであると云えます。そして、ここで大活躍するのが、過日の投稿記事にて述べた人工知能・AIであり、これを援用して作成しますと、科学的知見に基づいた文章が比較的容易に作成出来ると云えます。しかしまた、その作成手法は、以前にも述べた通り、未だ発展途上ではありますが、おそらく、その手法を用いれば、より多くの方々が、科学的知見に基づく文章を作成出来るのではないかと考えます。とはいえ、ある程度、科学的な知見に基づく文章であっても、その面白さを決める要因は「論理展開」であると考えます。これを換言しますと、ある事象と別のある事象とに類似、共通する点を見出し、そのことを出来るだけ読み易く、明晰に伝える文章こそが、良い文章であるということになります。それ故、文章の材料となる事象は、科学的知見に基づいていると云い得る文献・資料をあたるのです。そして、それらを自らの専門ではないにも関わらず、読み込み、理解して、自らの見解に落とし込んでいくことは、それなりに大変な作業であり、毎回、上手く、そして面白く「論理展開」が出来ているとは(到底)思えません…。しかしながら、論点となる事象については、先述のような記述に依拠していることから、多くの場合、間違っていないとは思われますので、その先に展開される考えの方が「それは科学的にどうなのかな…?」となることが多いのではないかと思われます…(苦笑)。しかしまた他方で、そこで展開された自らの見解、あるいは視座にこそ、新しい要素があるのだと思われます。そしてまた、そこでの見解や視座は、人工知能・AIでは導き出すことが(現時点では)困難であるものとも考えます。そのため、この金曜日での文章作成は、人工知能を援用しつつも、全体としては、私が作成したものであると云え、そしてまた多少、不遜とも思われるかもしれませんが、出来の良し悪しは別として、私以外では作成が困難であるとも云えます。また、先述のように、そうした文章を作成するためには、文献・資料をあたり、内容をある程度理解して、それを他の既知の事象と関連させる必要があるわけですが、ここが、さきの「論理展開」であり、また同時に、文章のelan vital(エラン・ヴィタール:生の飛躍)と評し得るところであると考えます。そして、こうしたことを当ブログで文章として述べることが出来ていることも、おそらく、以前の私では出来なかったことであると思われますので、やはり、自らの作成出来る文章の幅を広げるためにも、色々な書籍を読み解きつつ、そしてまた一方で、それに基づいた自由度のある文章作成をするのが良いのではないかと考えましたが、さて、実際のところはどうなのでしょうか?
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2026年3月20日金曜日

20260319 人工知能援用の可能性と素の文体での閃きについて

 2022年の登場以来、ChatGPTなどのAI・人工知能は度々用いており、当ブログにおいても、援用して作成した記事は、少なからずあります。また、私にとって、文章作成のために人工知能を用いることは、現在に至るまで、主な使用目的であると云えます。思い返してみますと、色々試してきましたが、しかしまた同時に、いまだに発展途上であるとも考えていますので、今後も、さらに色々と試したいです。一方、当ブログでの記事作成については、直近の既投稿記事においても少し述べましたが、出来るだけ、人工知能に頼らず、自分の体験に基づく、素の文体での作成を目指すのが良いのではないかと考えます。実際、今回のブログ記事作成においては、人工知能を用いずに、この程度まで、あまり時間を掛けずに作成出来たことは、ブログ記事作成のコツを思い出したのではないかとも思われるところです。ともあれ、こうした文体にて書き連ねていますと、しばしば、興味深い見解のようなものがパッと閃き、それを文章化することが出来、さらに、その文章が、より多くの方々から興味深いと感じて頂ければ良いとは考えていますが、他方で、こうした閃きを毎回得ることは困難であることから、当初から主題を定めずに書き始めた方がむしろ、どうにか読むことが出来る程度の記事にはなるのかもしれません…。しかし、今度はそうした(予め主題を定めない)状態が続きますと、かねてより、当ブログにて述べたいと考えている、いくつかのこと(源泉の感情と云うのでしょうか…)を徐々に忘れてしまうのではないかと思われるのです。先月末の投稿記事にて、紀伊半島西部各河川河口部での南北の地理的勾配と時間的遡行の同期化の感覚について述べましたが、この主題は、その後にも述べた通り、以前から文章化したかったことであると云えます。また、そのことは和歌山市在住時の頃から、何度か、口語としては述べたことがありましたが、そのことを文章化することはありませんでした。また、そうしたことは、地域について何も知らない状態で在住を始めてから、その後になり、その地域で、さまざまな経験を経て得た感覚を、能動的に文章化していると云う意味で、やはり南紀には、何か不思議な人に影響を与える、魅力とも云える地域性があるのではないかとも思われるのです…。そして、そのようなことを文章としている時、つい先日、これまた南紀と関連する、面白いと思われる出来事がありました。それは、以前より私は当ブログを作成している最中、何らかの音声を流すことが時々あります。そして、つい数日前、ある怪談の音声を流しながらブログ記事を作成していますと、そこで流れていた怪談の内容が、南紀在住期間で知った伝説と大変類似していたことです。この怪談動画の舞台は、和歌山の対岸である徳島:阿波としており、あるいは両岸(和歌山:紀州と徳島:阿波)共に、そうした伝説が生じる歴史的経緯はあったことから、それはそれで興味深いのですが、徳島においては四国三郎として知られる四国最大の河川である吉野川の上流に位置する三好市の祖谷地区は、その伝説で割合広く知られています。また、それよりも少しだけ遡りますが、ほぼ同時代の伝説は、和歌山側の田辺市にもあり、そして、その伝説に基づいた名を持つ神社もあります。とはいえ、さきの怪談動画にて偶然聞いた内容については、しばらく考えて、関連すつ書籍なども読みつつ、自然に文章化するまで待つようにします。
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2026年3月16日月曜日

20260316 丁度10年前に作成したブログ記事を見て気が付いたこと

 人工知能の支援を受けずに、ブログ文章の作成を試みる場合、このようにして、とりあえず書き出すのが良いと思われます。また、こうした書き出しの感覚は、PCのキーボードでの文章作成と、ペンを用いて紙面に書き出すのではまた異なり、当ブログ開始当初の頃は、キーボードから始まる文章作成が困難であり、ノートに下書きを書いては、それをPCに入力して作成していた期間がしばらくありました。そのなかで、対話形式の口語体に近い文章であれば、比較的容易に作成出来ることを知り、開始からしばらくの期間は、対話形式のブログ記事が多く、それにくわえて、書籍からの引用記事なども作成して、どうにか記事数を積み上げていました。そうした期間がしばらく続きますと、手書きの下書きを用いない、直にPC入力する対話形式の文体で、ブログ記事を作成することが出来るようになっていることに気が付き、それもまた、しばらく継続していますと、今度は、対話形式の口語体ではない、一人称の独白形式での文章をPC直入力にて作成出来るようになっていました。それは、当ブログ開始から9カ月ほど経った2016年3月頃であり、実際、そのこともブログ記事として記録しているようです。つまり、当時の私はどうにかにして一人称での文章の作成をしようと、色々と試行錯誤をしており、それを続けるなかで、自分なりの一人称での文章を探り当て、そこからさらに紆余曲折を経て、何と云いますか、自分なりの文体を何とか探り当てることが出来たのではないかとも思われます。また、当ブログ開始から2、3年程度は度々「自分の文体」について言及しており、また、そのことは、未だに、自らの文体を確立したとは思っていないことから割合鮮明に憶えています。一方、聞くところによりますと、私の文体はあるとのことですが、作成している当人からしますと、未だにイマイチよく分かりません…。とはいえ、たしかに以前よりかはスムーズに文章を作成出来るようになった実感はありますので、自らの考えや思いを載せる文体は、たしかに以前と比べると、明瞭なものになったのであろうとは思います。それでも、そうした実感は皆無に近いものであり、このことは、以前に述べた当ブログの総投稿記事数が2400を超えていることに対する実感がかなり希薄であることにも通じる何かがあるのではないかとも思われます。そしてまた、今後、さらに継続しますと、自らの文体も、総投稿記事数についても、共に、より明瞭に認識することが出来るようになるのでしょうか?あるいは、継続している限り、そうした認識に至ることはなく、そしてまた、その至らないと云う不全感があることから継続することが出来ているのかもしれません。

20160316 文章が湧き出す源泉とは・・
 これまでしばらく独白形式の文体を用いてブログ記事を書いてきましたが、この場合、記事作成者、つまり私が、読んでくださっている方々に対し、直接語りかけ、問いかけるような感じになると思います。私のブログを読んでくださっている方々とは、否応無く、その殆どが不特定多数となりますので、もしも今後私が何かしら筆禍らしきことをしてしまいますと、炎上等が生じる可能性もあります(もちろん私はそれを望みませんが(笑))。そして、それは作成者である私が自身の名前、写真等を示してブログ記事を書いていることにより容易に可能となります。そして、そうしたことを多少なりとも認識してブログ記事を書いておりますと、やはり何かしら「圧力」を感じるのもまた自然ではないかと思われます・・。また、そうしたことをも勘案し、著述業に携わる多くの方々とは筆名、ペンネームを用いているのではないでしょうか?これを当ブログ記事作成者に適用してみますと、それは単なる自意識過剰であり、不必要であると思われますが、同時に、これまでの対話形式のブログ記事においてA、Bといった登場人物がおり、それらの会話という形式をとってきましたので、今後の作成するブログ記事も、その伝に倣い、A、B何れかの発言という形式にしてみようと思います。
こうしたわずかな変化によって、何かしら、今後の文章、文体に対し影響、変化は生じるのでしょうか?また、そうしたことが生じるとしても、それが自他にとって良いものであるかどうか判断することはなかなか難しいのではないでしょうか?ともあれ、ここまで記事を書いてきましたので、この記事の冒頭にA「そして最後に」を入力してみようと思います(笑)。また、ここで不図思い出したのはゲーテの言葉で「心身を蘇らす泉とは自身の内部になければ心身を蘇らすことはできない。」あるいは「自身のハートから出たコトバでなければ他者のハートを引寄せることはできない。」ですが、何故それらを思い出したのかはよく分かりません・・(笑)。とはいえ、私の場合、そういったものは自身の内部に本当に存在するのでしょうか?また、こういったものは理系、文系問わず重要なのではないかと思います。言語とは、コトバとは、文章とは一体何でしょうか・・(笑)?何れにしても、今後もその多くは拙いとは思いますが、何かしら書き続けてゆこうと思います。どうぞよろしくお願いします。

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2026年3月15日日曜日

20260314 実感を伴わない集積された数値が意味すること…

 そういえば、前々回の記事投稿により、総投稿記事数が2430に到達していたようです。ここ最近は、気が付かないほど、投稿記事数に無頓着になりましたが、それでも継続をしていますと、徐々に、次なる目標である2500へ近づいて行くようです。そして、もう少し投稿頻度を上げて継続しましたら、あるいは、来る6月の当ブログ開始から丸11年までには2500記事に到達することが出来るのではないかとも思われます。2500記事と考えますと、未だに現実感は皆無ですが、既に超えた2400記事もまた、超えたという実感は希薄であると云えます…(苦笑)。とはいえ、当ブログ開始から丸3年程度は、現在と比較しますと、かなり意識して毎日ブログ記事の作成を心掛けていました。また、その当時はブロガーのみでの投稿であり、ツイッター(現:エックス)などsnsとの連携はしていませんでしたので、ただ毎日、概ね決まった時間帯に淡々と当ブログの記事作成をしていました。そして、そのようにして当初の1000記事は作成してきたと云えますので、既に2400記事を超えた現在であっても、あるいはそのような態度の方がブログの継続には向いているのかもしれませんが、2020年よりツイッター(現:エックス)との連携をはじめたことが、当ブログの作成スタイルにも影響が生じ、未だ紆余曲折を経ているのであると云えます。とはいえ、現在となっては、2020年から現在までの期間の方が、開始から2020年までの期間よりも長くなり、また、投稿記事数も多くなっていますので、開始から2020年までに身に着いたブログ記事の作成という習慣が、定着して、どうにか現在にまで至っているのだと云えます。しかし、それと同時に思ったことは、2020年と云えば、新型コロナウィルス感染症が猖獗をきわめた年であり、それに伴い、それまで、国際社会である程度流通していた自由主義的な言説・価値が危機により省みられなくなり、そして感染症が少し落ち着いたその翌(2021)年にNATOがアフガニスタンから全面的に撤退して、国際協力による治安維持の限界が示され、さらに翌(2022)年2月、同じくアフガニスタンで、かつて痛い目にあったロシア(当時はソ連)がウクライナに全面侵攻しました。これを契機として国際情勢がさらに不安定化し、そして翌(2023)年10月、パレスチナ・ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマースがイスラエル国内に越境攻撃を行い、そこから、イスラエル対ハマースをはじめとするイスラム原理主義軍事組織との軍事衝突が生じ、それが紆余曲折を経て、現在(2026年3月)にまで至っていると云えますので、世界規模での感染症の蔓延により国際社会が急激に内向きとなり、そして、一連の戦争や軍事衝突が連鎖的に生じたのだと思われますので、2020年以降からの当ブログの継続は、それ以前からの継続があったことから、どうにか、さまざまな書籍を読んだり、報道動画を視聴して、情報を得るように心掛けて、それらを自分なりに加工し、あるいは、関連すると思われる著作の記述などを引用記事として発信することなどが出来たのではないかと思われます。このように考えてみますと、2020年以降の、当ブログとSNSとの連携は、投稿頻度は落ちたものの、以前のように、淡々とブログ記事を作成するのではなく、SNSとの連携により、外向的にならざるを得なかったことから、このような様相での継続に到ったのではないかとも思われるのです。とはいえ、ほかにもまだ述べたいことがありますが、それにつきましては、また次回以降に述べたいと思います。とはいえ、本来、当ブログとは、こうした文章が主たるものであり、それが時々、何らかの契機により、筆(?)が乗り、通常よりも深いこと、面白いことなどを文章化することが出来ていたようなものですので、あるいは、この調子での文章作成であれば、あまり肩肘を張らずに作成出来ると思われますので、もう少し投稿頻度を上げることを試みても良いのではないかと思われましたが、さて、実際のところはどうなるでしょうか?

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2026年3月12日木曜日

20260312 「源泉の感情」の言語化について:地理的勾配と時間遡行との同期化

 先月末、2/27の投稿記事にて述べた内容は、その後、何度か、類似・関連する主題の既投稿ブログ記事をあたったところ、直近(2/27)のそれが、最もその内容を文章として表現出来ていることに気付かされました。とはいえ、こうしたことは、これまでにも度々ありましたが、2/27の投稿記事は、私にとって特に重要な主題であり、そこで述べた地域の歴史に対する認識・理解の仕方こそが、これまでに何度か表現を試みた主題を最も的確に文章化し得たものと云えます。それ故、類似した主題でのブログ記事の作成も決して無意味なものではなく、むしろ、文章としての洗練化の過程で、不可欠なものであるようにも思われるのです。その意味において、自らマンネリ・惰性感をあまり感じることなく、能動的に文章を作成することが出来る分野・題材を持つことは、単に専門分野を持つこと以上に、自らにとって資する何かがあるのではないかとも思われます。そして、そのためには、均衡のためにも、何らかの継続的なインプットも必要であると考えますが、私にとって、このインプットの主なものが読書であると云えます。直近での記事投稿後も、現在に至るまで毎日、何らかの著作や論文などは読み続けており、さらに、当ブログ以外での文章作成も継続的に行っていることから、ここでの記事作成も、躊躇することなく取組めています。とはいえ、これまで述べてきたなかで、やはり重要であるのは、直近の投稿記事にて述べた『紀伊半島西南部を南下し、紀ノ川、有田川などの渡河に伴い、風景の「自然」が優勢になるだけでなく「時代」をも遡行する「地理的勾配(南下)と時間的遡行の同期」の感覚』を、これまでで最も明晰に文章化することが出来たと云う実感であると云えます。おそらく、これこそが当ブログ開始当初の頃から伝えたかった内容の一つであり、また、当ブログの「源泉の感情」の一部であるとも云えます。そして、それを文章化することが出来た実感からか、ある種の安堵感と共に、気の緩みも生じ、くわえて、最近の三寒四温での寒さから、積極的な新規でのブログ記事の作成には至らなかったと云うのが状況の説明として妥当ではないかと思われます...。しかし他方で、ここで斯様に、そのことを題材として、新たにブログ記事を作成してみましたところ「いや、もっと上手く説明することは出来るのではないか?」であるとか「まだ他にも文章化することが出来る関連する題材はあるぞ…」といった思いが反応のように沸々として生じてくるのです…(苦笑)。また実際、私は当ブログでの題材に困りますと「当ブログについて」と「紀州・和歌山ネタ」と、書籍からの引用記事の何れかを選択する傾向があると云えます(笑)。その意味で、これら三つの要素は、私にとって、文章を作成し、掘り下げる度に、新たな考えが生じると云った、なかなか尽きることのない鉱脈であると云い得ます。そして、先述の安堵感からの気の緩みを経て、本格的な春への季節の推移に伴い、また徐々に当ブログでの記事作成も活性化させていきたいとは考えていますが、さて、どうなるものでしょうか?
 ともあれ、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。


一般社団法人大学支援機構

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ISBN978-4-263-46420-5

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Gemini の回答

2026年2月27日金曜日

20260227 文章作成の根源にあるものについて:読書の習慣と記号接地③

 以前にも述べましたが、当初私は、北海道から南紀白浜への転勤が大変に嫌でしたが、否応なく始まったそこでの生活を通じ、地域の自然風土や歴史文化に興味を持つようになり、それが、かねてよりの大学院進学への希望と歯車が噛み合い、動き出し、そして県北部の和歌山市に在住することになりました。つまり、はじめは、都市からは遠く、南方的な自然が横溢とした南紀に住み、次に、大都市である大阪府にほど近い、県庁所在地の和歌山市に在住したことになります。そして、この在住の順序は、現在考えてみますと、前出、コンラッド著「闇の奥」の記述に惹かれたことにも関連があるように思われるのです。と云いますのも、直近の投稿記事にて「歴史が同一地域の上で、類似・継続した価値観、感覚を遺しつつ積層していることを実感として得ることが出来た…」と述べましたが、これは、紀伊半島西南部を流れる、北から紀ノ川、有田川、日高川、南部川、会津川、富田川、それぞれの河川流域で歴史の積層の様相が認められ、また、歴史の推移についても、流域毎に類似する点もあれば、異なる点もある様相が認められたからであると云えます。そして、現代でのその様相もまた同様であり、たとえば、紀ノ川であれば地域で最も栄えている和歌山市を流れ、次いで有田川であれば、紀ノ川下流域ほどには栄えてはおらず、川を南北から挟む紀伊山地から延びた山並みには、一面に蜜柑の樹が植えられており、その花が咲く5月頃の有田市や少し上流の有田川町では、以前述べた2月下旬頃のみなべ町の梅の花の薫りのように、さらに規模も大きく、蜜柑の花特有の、あの爽やかで甘い薫りが地域一帯を包み込むのです。つまり、有田川下流域一帯は、紀ノ川のそれと比べ、より自然が多く、他方、建造物が少なくなり、また、それら建造物も紀ノ川下流域と比べ、時代が遡るものが目立ちます。そこから、紀伊半島西南部を流れる各河川流域の景観をも含む様相とは、紀ノ川から有田川そして日高川と南下に伴い、その様相が示す時代も遡り、最南部に位置する富田川まで行き、その河口部に立ちますと「たしかに紀ノ川よりも河川の規模は小さいけれども、こうした景観は、往古、神武東征の頃の紀ノ川河口にも似ているのではないだろうか?」と考えさせられるのです。また、そうした考えは、有田川や日高川などを渡る際にも想起せられます。そうしますと、紀伊半島を和歌山市から南下して、途中、各河川を渡るに伴い、段々と時代が遡っていくような感覚を覚えるのではないかと思われるのです。実際、当時、私はそのように感じられ、その感覚は南紀白浜在住時では得られることはなく、その後、和歌山市在住時に紀ノ川大橋を自転車で渡っている時に、周囲の景色を見て、不図、そのように感じられたのです。そして、そうした感覚を保持しつつ、過日、引用記事として投稿したコンラッド著「闇の奥」導入部の記述、そして、それに触発されて私が作成した当ブログ投稿記事を読んで頂きますと、さきに「歴史が同一地域の上で、類似・継続した価値観、感覚を遺しつつ積層していることを実感として得ることが出来た…」と述べた、その背景にある感覚をもう少し、ご理解あるいは共感して頂けるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか?

*三交社刊 ジョセフ・コンラッド著 藤永茂訳「闇の奥」
pp.19-21より抜粋
ISBN-10: 4879191620
ISBN-13: 978-4879191625

「僕は大昔のこと、1900年前、ローマ人が初めてここにやってきた頃のことを考えていたんだ―ついこの間のことのようにね。
 そのあと、この河から光明が流れ出て行くようになったんだ―騎士たちが出立して行ったと言うのかい?それでもいいさ。
 だが、それはね、平原を妬いて突っ走る野火、雲間にひらめく稲妻のようなものだ。われわれ人間の生なんてはかないものだ―せいせいこの古ぼけた地球が回り続ける限り、それが続くことを祈ろうじゃないか。
 しかし、暗黒はついこの間までこのあたりを覆っていたんだ。まあ想像してごらんよ。地中海に浮かぶ―ああ、なんて言ったっけな―そうそう、トライトリームという立派なガレー船の副長だった男が、突然、北辺に行けと命令された時の気持をね。
 急いでゴール人の地の陸路横切って北海に出て、古代ローマの軍団の船の一艘の司令を任されるわけだ。
 物の本にあるところを信用すれば、彼らはそうした船を、一月か二月のうちに、何百と造ったものだそうだ―ずいぶんと器用な連中だったに違いないね。
 さて、世界の最果て、鉛色の海、煙色の空、六角アコーディオンと同じくらいの堅牢さしかない船―その船に兵糧、兵士、その他あれこれを積んで、その船長がこのテムズを遡ってくるところを想像して見たまえ。砂州、沼沢、森林、蛮民、―文明人の口に合うものなどほとんどなく、陸に上がっての楽しみもない。あちらで、またこちらで、まるで干し草の大束のなかの針みたいに、荒野のなかで消息を絶つ野営隊もあった。
 ―寒さ、霧、嵐、疫病、流浪、そして死、―空気のなかにも、水のなかにも、薮のなかにも、死がそっと潜んでいるのだ。
 兵士たちは蠅のように死んでいったに違いない。だが、もちろん、船長は任務完遂、それも、あれこれ思い惑うこともなく見事にやってのけたのかもしれない。
 彼らこそが暗黒に立ち向かうに十分な強さを備えた男たちだった。
もし、ローマにいくらかのよいコネがあり、このひどい気候風土を生き抜いたあかつきには、やがてラベンナの艦隊への昇進もあろうという思いに元気づけられることもあっただろうよ。
 あるいはだな、トーガを身にまとった人品いやしからぬ少壮のローマ市民が―さいころ遊びでもやり過ぎた挙句ににさ―一旗揚げ直してみるともりで、知事とか、収税吏とか、はたまた商人などに混じる一行に加わって、この土地にやって来たところを想像してみよう。
まず沼地に上陸し、森や林を抜けて、やがてどこか内陸の駐屯地にたどり着く。そこで、彼は未開地の荒涼さ、全くの荒涼さがすっぽりと彼を包み込んでしまったと感じるのだ、森のなか、ジャングルのなか、そして野蛮人の胸の奥にうごめいている荒野の神秘な生命のようなもの全体が、ひしひしと身に迫ってくる。
 そうした神秘に参入する儀式や手ほどきなどありはしない。彼はその理解を絶したもののただ中で生きてゆかねばならず、それはまた、嫌悪すべきことでもある。
ところが、その神秘はある魅惑も備えていて、それが彼の心にじわりじわりと作用を及ぼしてくる。
 嫌悪感の蠱惑とでも言えようか。思っても見たまえ。日々につのる後悔、逃げ出したいとあせる気持、それができない腹立たしさ、結局は屈服し、ただ憎悪が残るのだ」

*ラッセルにはじまりコンラッドに至るまで…M2病の妄想?

「この当時は当然の如く、主に民俗学、考古学関連の書籍を読んでおりましたが、それだけではどうも自身の述べる事柄の論拠が乏しいと思われたのか、こうした思想、哲学関連の著作をも読む習慣が身に着いたのではないかと思われます・・。

ちなみにこうした議論を通して知り、自分なりにある程度精読した記憶があるのはオルテガフレイザーバタイユコンラッドなどであり、中でもコンラッドに関しては、その著作『闇の奥』(Heart of Darkness)になみなみならぬ関心を抱き、当時その和訳が岩波文庫版と市場に出回っていないものの二種があり、前者に関しては既に入手、既読であったのですが、後者を手に入れるために、自分なりに苦心した記憶があります・・。
加えて、当ブログにおいて一記事として抜粋引用している著作(闇の奥)冒頭部分をそれまでの研究にて知り得た古代史、紀伊半島の歴史に当て嵌めて、さきの議論あるいは雑談などの際に述べていたことが思い起こされます・・(苦笑)。
それは以下のように・・

『僕は大昔のこと、我が国の初代天皇(大王)に率いられた一団がここにやってきた頃のことを考えていたんだ・・ついこの間のことのようにね・・。
そしてあとの時代、この紀の川の河口から髪を角髪(みずら)に結い、胡服に身を包み、直刀を杖立てた連中にはじまり、鎧兜姿に太刀を履いた連中がそれぞれ船団を組んでこの港、当時は雄ノ湊とか徳勒津とか云ったらしいけれども、そこからさまざまな事情を背負いつつ出立して行ったわけだが、それはね、青々とした水田、畑を走る一陣の風あるいは一瞬の稲妻のようなものなんだ・・。
われわれ人間の生なんてはかないものだーせいぜいこの古ぼけた地球が回り続けるかぎり、それが続くことを祈ろうじゃないか。
しかし、我々が今でも知り得ない世界はついこの間までこのあたりを覆っていたんだ・・。
まあ想像してもごらんよ、九州の東海岸にいた航海術に長けた連中が・・そうそう、そういえば当時の我が国には、外洋航海を目的とするような構造船はなくて、大型の丸木舟に舷側板を立てたような船だけであったらしいけれども、そうした船で瀬戸内海を東に抜けて今の大阪か奈良あたりに向かうと決まった時の気持ちをね・・。
それはいわば、自分達とは全く違う不可解な形をした青銅祭器を祀っているような連中の間を抜けて・・いや、そうした連中の真っ只中に行くわけなんだが、それでもこの当時九州東海岸にいた連中はとても勇ましかったようで、ものの本などによると、古代有数の軍事部族であった大伴氏や佐伯氏などは、ここに出自を持っているらしいのだがね・・。
ともあれ、彼等がこのあまり堅牢とはいえない、まあ準構造船とでも云えるような船に兵糧・武器その他あれこれを積んで、どうにか瀬戸内海を抜け、そうだな当時の大阪、河内平野一帯に広がっていた潟湖である河内湖に入り、その流れ込みの淀川のデルタ地帯に上陸したところあたりを想像してみたまえ・・。
砂州、沼沢、故地とは違った植生の森林、自分達とは異なるイントネーションの言語、衣服・・それまで自分達が慣れ親しんだ文化が見当たらなく、陸に上がっても狡猾な罠があったり、毒矢で射られたりして、この航海で見知った仲間達が日を追って減っていったに違いない・・。
こうした環境では、水、森林、草原、藪のなかにも、死がそっと潜んでいるのだ。
だが、もちろんそれでも彼等は特に思い惑うこともなく上陸地点を慎重に選定しながら、時には敵対部族とも戦いながら、更なる航海を続け、また上陸後は上陸後で険しい山道を通り抜け、どうにか目的地に達することが出来たのであろう・・。
彼等こそがこうしたまったく見知らぬ土地に立ち向かうに十分な強さを備えた連中だったのだ。
そして、もし、この一連の長く続く航海、在来部族との諍い、そして、この慣れない気候風土を生き抜いたあかつきには、この航海の目的地でもあり、そして、いずれは此処が己が居地ともなることもあろうという思いに元気づけられることもあっただろうよ・・。』」

そして、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。

一般社団法人大学支援機構

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ISBN978-4-263-46420-5

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