ISBN-10 : 4006003889
ISBN-13 : 978-4006003883
2 伝統主義は〈モダニズムの拒絶〉を意味の内にふくんでいます。ファシストもナチスもテクノロジーを賛美しましたが。伝統主義思想家は、テクノロジーを伝統的精神価値の否定であるとして拒否するのがふつうです。いずれにせよ、ナチズムが産業振興を誇っていたとしても、その近代性賛美は、〈「血」と「土」Blut und Boden〉に根ざしたイデオロギーの表面的要素でしかありませんでした。近代世界の拒絶が、資本主義的生活形態の断罪というかたちで擬装されていたわけですが、その主眼は一七八九年(もしくは明らかに一七七六年)精神の拒絶にあったのです。啓蒙主義や理性の時代は、近代の堕落のはじまりとみなされるのです。この意味において、原ファシズムは「非合理主義」であると規定することができます。
3 非合理主義は〈行動のための行動〉を崇拝するか否かによっても決まります。行動はそれ自体すばらしいものであり、それゆえ事前にいかなる反省もなしに実行されなければならないというわけです。思考は去勢の一形態とされるのです。したがって〈文化〉は、批判的態度と同一視される〈いかがわしい〉ものとされます。ゲッペルスの言葉としてつたえられる「〈文化〉と聞いたとたん、わたしは拳銃を抜く」という発言から、「インテリの豚野郎」「ラディカル・スノッブ」「大学はコミュニストの巣窟だ」といった頻繁に使われる言い回しにいたるまで、知的世界に対する猜疑心は、いつも原ファシズム特有の兆候です。ファシスト幹部知識人たちは、伝統的諸価値を廃棄した自由主義インテリゲンツィアと近代文化を告発することに、ことさら精力を傾けてきました。
4 いかなる形態であれ、混合主義というものは、批判を受け入れることができません。批判精神は区別を生じさせるものです。そして区別するということは近代性のしるしなのです。近代の文化において、科学的共同体は、知識の発展の手段として、対立する意見に耳を貸すものです。原ファシズムにとって、意見の対立は裏切り行為です。
5 意見の対立はさらに、異質性のしるしでもあります。原ファシズムは、ひとが生まれつきもつ〈差異の恐怖〉を巧みに利用し増幅することによって、合意をもとめ拡充するのです。ファシズム運動もしくはその前段階的運動が最初に掲げるスローガンは「余所者排斥」です。ですから原ファシズムは、明確に人種差別主義なのです。
6 原ファシズムは、個人もしくは社会の欲求不満から発生します。このことから、歴史的ファシズムの典型的特徴のひとつが、なんらかの経済危機や政治的屈辱に不快を覚え、下層社会集団の圧力に脅かされた結果、〈欲求不満に陥った中間階級へのよびかけ〉であったことの理由が説明できます。かつての「プロレタリアート」が小市民になりつつある(しかも「ルンペンプロレタリアート」がみずから政治の舞台から身を退いた)現代にあって、ファシズムが聴衆としてたのむのは、このあたらしい多数派なのです。
7 いかなる社会的アイデンティティももたない人びとに対し、原ファシズムは、諸君にとって唯一の特権は、全員にとって最大の共通項、つまりわれわれが同じ国に生れたという事実だ、と語りかけます。これが「ナショナリズム」の起源です。さらに、国家にアイデンティティを提供しうる比類なき者たちは、敵と目されることになります。こうして原ファシズムは、その心性の根源に〈陰謀の妄想〉(それも国際的な陰謀であることが望ましいわけですけれど)を抱え込んでいるのです。この妄想に、信奉者たちが取り憑かれないわけがありません。この陰謀を明るみに出すいちばん手っ取り早い方法は、〈外国人ぎらい〉の感情に訴えることです。ですが陰謀は内部からもめぐらされているはずです。そこで、内部にも外部にも同時に存在することの利点をもっているからという理由で、しばしばユダヤ人最高の標的とされるのです。
ISBN-13 : 978-4006003883
2 伝統主義は〈モダニズムの拒絶〉を意味の内にふくんでいます。ファシストもナチスもテクノロジーを賛美しましたが。伝統主義思想家は、テクノロジーを伝統的精神価値の否定であるとして拒否するのがふつうです。いずれにせよ、ナチズムが産業振興を誇っていたとしても、その近代性賛美は、〈「血」と「土」Blut und Boden〉に根ざしたイデオロギーの表面的要素でしかありませんでした。近代世界の拒絶が、資本主義的生活形態の断罪というかたちで擬装されていたわけですが、その主眼は一七八九年(もしくは明らかに一七七六年)精神の拒絶にあったのです。啓蒙主義や理性の時代は、近代の堕落のはじまりとみなされるのです。この意味において、原ファシズムは「非合理主義」であると規定することができます。
3 非合理主義は〈行動のための行動〉を崇拝するか否かによっても決まります。行動はそれ自体すばらしいものであり、それゆえ事前にいかなる反省もなしに実行されなければならないというわけです。思考は去勢の一形態とされるのです。したがって〈文化〉は、批判的態度と同一視される〈いかがわしい〉ものとされます。ゲッペルスの言葉としてつたえられる「〈文化〉と聞いたとたん、わたしは拳銃を抜く」という発言から、「インテリの豚野郎」「ラディカル・スノッブ」「大学はコミュニストの巣窟だ」といった頻繁に使われる言い回しにいたるまで、知的世界に対する猜疑心は、いつも原ファシズム特有の兆候です。ファシスト幹部知識人たちは、伝統的諸価値を廃棄した自由主義インテリゲンツィアと近代文化を告発することに、ことさら精力を傾けてきました。
4 いかなる形態であれ、混合主義というものは、批判を受け入れることができません。批判精神は区別を生じさせるものです。そして区別するということは近代性のしるしなのです。近代の文化において、科学的共同体は、知識の発展の手段として、対立する意見に耳を貸すものです。原ファシズムにとって、意見の対立は裏切り行為です。
5 意見の対立はさらに、異質性のしるしでもあります。原ファシズムは、ひとが生まれつきもつ〈差異の恐怖〉を巧みに利用し増幅することによって、合意をもとめ拡充するのです。ファシズム運動もしくはその前段階的運動が最初に掲げるスローガンは「余所者排斥」です。ですから原ファシズムは、明確に人種差別主義なのです。
6 原ファシズムは、個人もしくは社会の欲求不満から発生します。このことから、歴史的ファシズムの典型的特徴のひとつが、なんらかの経済危機や政治的屈辱に不快を覚え、下層社会集団の圧力に脅かされた結果、〈欲求不満に陥った中間階級へのよびかけ〉であったことの理由が説明できます。かつての「プロレタリアート」が小市民になりつつある(しかも「ルンペンプロレタリアート」がみずから政治の舞台から身を退いた)現代にあって、ファシズムが聴衆としてたのむのは、このあたらしい多数派なのです。
7 いかなる社会的アイデンティティももたない人びとに対し、原ファシズムは、諸君にとって唯一の特権は、全員にとって最大の共通項、つまりわれわれが同じ国に生れたという事実だ、と語りかけます。これが「ナショナリズム」の起源です。さらに、国家にアイデンティティを提供しうる比類なき者たちは、敵と目されることになります。こうして原ファシズムは、その心性の根源に〈陰謀の妄想〉(それも国際的な陰謀であることが望ましいわけですけれど)を抱え込んでいるのです。この妄想に、信奉者たちが取り憑かれないわけがありません。この陰謀を明るみに出すいちばん手っ取り早い方法は、〈外国人ぎらい〉の感情に訴えることです。ですが陰謀は内部からもめぐらされているはずです。そこで、内部にも外部にも同時に存在することの利点をもっているからという理由で、しばしばユダヤ人最高の標的とされるのです。