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2024年6月18日火曜日

20240618 岩波書店刊 岩波現代文庫ウンベルト・エーコ 著 和田忠彦 訳「永遠のファシズム」pp.50-52より抜粋

岩波書店刊 岩波現代文庫ウンベルト・エーコ 著 和田忠彦 訳「永遠のファシズム」pp.50-52より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4006003889
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4006003883

2 伝統主義は〈モダニズムの拒絶〉を意味の内にふくんでいます。ファシストもナチスもテクノロジーを賛美しましたが。伝統主義思想家は、テクノロジーを伝統的精神価値の否定であるとして拒否するのがふつうです。いずれにせよ、ナチズムが産業振興を誇っていたとしても、その近代性賛美は、〈「血」と「土」Blut und Boden〉に根ざしたイデオロギーの表面的要素でしかありませんでした。近代世界の拒絶が、資本主義的生活形態の断罪というかたちで擬装されていたわけですが、その主眼は一七八九年(もしくは明らかに一七七六年)精神の拒絶にあったのです。啓蒙主義や理性の時代は、近代の堕落のはじまりとみなされるのです。この意味において、原ファシズムは「非合理主義」であると規定することができます。

3 非合理主義は〈行動のための行動〉を崇拝するか否かによっても決まります。行動はそれ自体すばらしいものであり、それゆえ事前にいかなる反省もなしに実行されなければならないというわけです。思考は去勢の一形態とされるのです。したがって〈文化〉は、批判的態度と同一視される〈いかがわしい〉ものとされます。ゲッペルスの言葉としてつたえられる「〈文化〉と聞いたとたん、わたしは拳銃を抜く」という発言から、「インテリの豚野郎」「ラディカル・スノッブ」「大学はコミュニストの巣窟だ」といった頻繁に使われる言い回しにいたるまで、知的世界に対する猜疑心は、いつも原ファシズム特有の兆候です。ファシスト幹部知識人たちは、伝統的諸価値を廃棄した自由主義インテリゲンツィアと近代文化を告発することに、ことさら精力を傾けてきました。

4 いかなる形態であれ、混合主義というものは、批判を受け入れることができません。批判精神は区別を生じさせるものです。そして区別するということは近代性のしるしなのです。近代の文化において、科学的共同体は、知識の発展の手段として、対立する意見に耳を貸すものです。原ファシズムにとって、意見の対立は裏切り行為です。

5 意見の対立はさらに、異質性のしるしでもあります。原ファシズムは、ひとが生まれつきもつ〈差異の恐怖〉を巧みに利用し増幅することによって、合意をもとめ拡充するのです。ファシズム運動もしくはその前段階的運動が最初に掲げるスローガンは「余所者排斥」です。ですから原ファシズムは、明確に人種差別主義なのです。

6 原ファシズムは、個人もしくは社会の欲求不満から発生します。このことから、歴史的ファシズムの典型的特徴のひとつが、なんらかの経済危機や政治的屈辱に不快を覚え、下層社会集団の圧力に脅かされた結果、〈欲求不満に陥った中間階級へのよびかけ〉であったことの理由が説明できます。かつての「プロレタリアート」が小市民になりつつある(しかも「ルンペンプロレタリアート」がみずから政治の舞台から身を退いた)現代にあって、ファシズムが聴衆としてたのむのは、このあたらしい多数派なのです。

7 いかなる社会的アイデンティティももたない人びとに対し、原ファシズムは、諸君にとって唯一の特権は、全員にとって最大の共通項、つまりわれわれが同じ国に生れたという事実だ、と語りかけます。これが「ナショナリズム」の起源です。さらに、国家にアイデンティティを提供しうる比類なき者たちは、敵と目されることになります。こうして原ファシズムは、その心性の根源に〈陰謀の妄想〉(それも国際的な陰謀であることが望ましいわけですけれど)を抱え込んでいるのです。この妄想に、信奉者たちが取り憑かれないわけがありません。この陰謀を明るみに出すいちばん手っ取り早い方法は、〈外国人ぎらい〉の感情に訴えることです。ですが陰謀は内部からもめぐらされているはずです。そこで、内部にも外部にも同時に存在することの利点をもっているからという理由で、しばしばユダヤ人最高の標的とされるのです。
 

2024年3月24日日曜日

20240323 中央公論新社刊 池内紀著「ヒトラーの時代-ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか」 pp.21-24より抜粋

中央公論新社刊 池内紀著「ヒトラーの時代-ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか」
pp.21-24より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121025539
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121025531

ナチ党の集会に多くの聴衆を引きつけたのは、党の政治的プログラムよりも、ヒトラー個人の演説だった。痩せぎすで、こころもち割れた声。論点を黒白図式で明快に示して、それをくり返しつづける。断固とした口調で、大胆に断定する。ヒトラー自身が政治的プロパガンダの基本的原理として口にしたところであって、ナチス・ドイツ一五年間を通して一貫して変わらなかった。大衆の情緒的な感性にもっともよく訴えることを見きわめていた。

 単純化と、くり返しと、断定が、ひときわ効果を発揮する土壌があった。すでに述べたように当時ドイツは第一次世界大戦後の底知れぬ不況と失業者に苦しんでいた。古今未曾有のインフレによって、ドイツの屋台骨にあたる堅実な中産階級が、せっせと維持してきた預金を一夜にして失った。年金はパン一つ買うにも足りない。

 第一次世界大戦は四年あまりもの無意味な戦いののちに終結した。ロシアは革命で戦線から脱落、イギリス、フランス、ドイツ、ベルギー、どの国も消耗しきっていた。ドイツが戦線放棄を余儀なくされたのは、キール軍港における水兵の反乱などで、本国の厭戦気分がもはやとどめようもなくなっていたせいであって、戦線が国内に及んだことはない。「敗戦国」の意識がきわめて薄く、そこから「背後からのナイフの一刺し」の意識が生まれた。その際、情報、外交、経済に強力なネットを持つユダヤ人=ナイフ説が定着した。

 生きがいの喪失と将来への不安、そのような精神状況のなかに、ナチスは「救済役」として現れた。旧弊を断ち切り、明るい未来を実現する。それを邪魔立てする敵は何か。ヴェルサイユ条約、ユダヤ人、コミュニズム。くり返し、またくり返し名指しするー。

 ところで私は一つのことを忘れていた。ヒトラーの声である。記録映画などにとどめられているヒトラーの声はガラガラ声、ときに金切声であって、やたらに壇上で獅子吼するふぜいだが、まだ未熟だったトーキーのせいではあるまいか。あれほど大衆をとらえた演説は、声そのものにも、いうにいわれぬ魅力、また魔力をそなえていたのではなかろうか。

「新編春の海ー宮城道雄随筆集」という本がある。幼いころに失明したが、箏の世界で革新的な業績をのこした宮城道雄(一八九四~一九六五)の随筆を集めたもので、巻末に作家林芙美子との対談がついている。一九三八年、「文藝春秋」九月号に掲載されたものだという。耳の人には人一倍敏感な聴覚が視覚の補いをする。その宮城道雄がヒトラーの声について述べている。一九三八年はドイツが戦後の荒廃から立ち直り、ヒトラー政権五年間の功績が大きくクローズアップされていたころだった。

宮城 しかし何ですね、厳めしそうな将軍なんかで、会ってみると存外声の優しい方がありますね。この間中継で聞きましたが、ヒトラーという人はやはり声がちゃんと具わっておりますね。

林 なんだか、怖い声のように想像されますが・・・。

宮城 ちょっと聞きますとライオンが吼えるような感じがします。しかし、あまり太い声じゃありません。いい声で、やはりドイツ人特有の声です。

 ヒトラーの演説には、プロパガンダだけがいわれるが、「耳の人」が聴きとったような「いい声」の要素がはたらいていたにちがいない。女性がとりわけ演説に「しびれた」というのも、女性は男性よりも、はるかにその種のことに敏感なものである。

2023年10月28日土曜日

20231027 岩波書店刊 ジョージ・オーウェル著 小野寺 健訳 『オーウェル評論集』pp.264-267より抜粋

岩波書店刊 ジョージ・オーウェル著 小野寺 健訳
『オーウェル評論集』pp.264-267より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003226216
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003226216

だがここで、前にふれた点にもどってみたいーすなわち世間一般にユダヤ人差別があることは誰もが認めるくせに、自分もその一人だということは認めたがらないという事実である。教養のある人びとは、ユダヤ人差別は許すべからざる罪であり、ほかの人種差別とは別格のものだと考えている。自分がユダヤ人を差別していないことを証明するためなら、誰もが広告をふるう。というわけで1943年には、ポーランドのユダヤ人のために神の救いを祈る礼拝式が、セント・ジョンズ・ウッドのシナゴーグで催されたのだった。ロンドン市当局はぜひ出席したいという意向を明らかにして、当日は官服に鎖をさげたロンドン市長、各地区の教会代表、英国空軍、国防市民軍、看護婦、ボーイスカウトなどの代表が出席した。表面だけ見れば、これは不幸なユダヤ人との連帯をしめす感動的な催しであった。

だが本質的には、これは正しいことをしようという意識的な努力だったのであって、出席者それぞれの本音は、まずほとんどが別物だったのである。この地区はロンドン市内でもなかばユダヤ人地区であって、ユダヤ人差別のつよい所である。シナゴーグでわたしのまわりにいた人びとの中にも、この傾向のある人があきらかにまじっていた。それどころか、国防市民軍でわたしの小隊の隊長だった人物など、集会の前から「りっぱに成功させねば」ととくに熱心だったけれども、この人物は以前はオズワルド・モズリー(357頁の訳者注参照)の黒シャツ隊の一員だったのである。こういう感情的矛盾があるかぎり、英国でユダヤ人に対する集団的暴行が容認されたり、ユダヤ人差別が立法化されるといった、さらに重大な結果になることはありえない。それどころか、今のところでは、ユダヤ人差別が世の中の眉をひそめさせないようになることさえ考えられない。だが、これは大いに安心してよいことのようでいて、実はあまり頼りにならないのである。

 ドイツのユダヤ人迫害は、むしろユダヤ人差別の問題が真剣に検討されなくなるという弊害を生んだ。英国では1、2年前に世論調査機関が短期間の不充分な調査をおこなっているが、ほかにもこの問題に関する調査はおこなわれていると考えられるのに、その結果は極秘のままで公表されていない。

また思慮のある人びとも、ユダヤ人がうさんくさいようなことは意識して言わないようにしている。1934年以後は、絵葉書からも、新聞雑誌からも、ミュージック・ホールからも、「ユダヤ人を種としたジョーク」はまるで魔法のように消えてしまったし、小説などにかんばしからぬユダヤ人を登場させたりするのも、ユダヤ人差別だと見なされるにいたった。パレスチナ問題のときにも、進歩的文化人のあいだでは、ユダヤ人の主張が当然だとして、アラブ側の主張にはいっさい耳を貸さないことが当然の礼儀だった。この態度は、それなりに理由の正しいものだったかもしれない。だが問題はその態度の根本が、ユダヤ人は苦しんでいるいるのだから彼らを批判してはならないという感情だった点にある。つまりヒットラーのおかげで、ジャーナリズムはいっさいユダヤ人を批判しないという事実上の自己規制に入り、反面個人の心にひそむユダヤ人差別は上向きとなって、感受性も知性もある人びとのあいだにさえ、かなりひろまるという不幸な状況に陥ったのである。この現象は、1940年に亡命者たちが拘留されたときにとくに目についた。当然のこととして、心ある人びとはすべて、不幸な外国人を見境なく留置したりすることには抗議しなければならないと思ったのだ。こうした外国人の大部分は、ヒットラーに反対だから英国へ来たにすぎない人びとなのである。だが個人的な話になると、その感想はまるで違っていた。亡命者のなかには少数ながらきわめて無分別なまねをするものもいて反感を買ったのだが、この反感の底には、彼らの多くがユダヤ人だというので、やはりユダヤ人差別の意識がひそんでいたのだった。労働党のある大立者ー名前はあげないが、英国ではもっとも尊敬されている人物の一人であるーが、わたしに向かってきわめて乱暴に言ったことがある。「あの連中にはこっちから頼んで来てもらったわけじゃないんだからね。英国へ来たいんなら、その責任は自分でとってもらおうじゃないか」。だがこの人物といえども、外国人の拘留に反対する請願や声明を出すとなれば、むろん参加するにちがいない。こういう、ユダヤ人差別というのは罪悪であり恥辱であって文明人ならそんなことは考えないという気持、それがこの問題をふかく追求するのがこわいという人さえいくらでもいるのだ。つまり世間にユダヤ人差別があるというだけではすまず、自分も同じ意識をもっていることを認識するのがこわいのである。