2026年8月19日水曜日

20260818 2500記事の先にある、新たな文章作成の様相:相転移?

 ここ一週間以上、ブログの更新はしていませんでした。しかし、それ以外での文章作成はしており、また、過日投稿の記事でも述べましたように、2500記事到達以降、再び始めたノートへの筆記も、思いのほか続いています。日によって作成する文章の量は異なりますが、概ね毎日、ノートに何かしら書いています。
 面白いもので、ノートに筆記具で文章を書いていますと、ここでキーボードを用いて文章を作成するよりも、明らかに滑らかに文章が出てきます。しかし、そこで書いた文章は、生来の悪筆のため、後日、判読が困難であったり、あるいは度々、話が飛んでいたりしており、ここで、こうして作成している文章よりも、明らかに思い付いたままの、まだ明瞭な文章になる以前の「思い」のようなものが記されていると云えます。
 おそらく、キーボードを用いて文章を作成していますと、無意識のうちにも、それをある程度まとまった「文章」として整えようとする働きが生じるのでしょう。それに対して、筆記具にてノートに書いていますと、そうした文章として整形される手前にある、断片的な考えや連想まで、そのまま記すことが出来るのだと思われます。
 とはいえ、そうした、いわば「原初的な思い」を起点として、我々の考えや思想と云ったものは次第に醸成されていくのであり、その意味において、より身体に近い、原初的とも云える筆記具でのノートの文章作成を、いましばらく継続することには、これまでの経験も踏まえて、何かしらの意味があるのではないかと思われるのです。また、これに関しても興味深いと思われる点がありましたので、後日、改めて当ブログにて述べてみたいと思います。
 さて、ここ最近読み進めている、アレクサンダー・C・カープ氏、ニコラス・W・ザミスカ氏による『テクノロジカル・リパブリック』は、ようやく全体の7割方まで読み進み、おそらく、今週中には読了に至るのではないかと思われます。当著作は、当初、噂を聞き、書店で何気なく手に取り、立ち読みしたところ、内容が大変に興味深く、また、読み進めるにつれて、今後の我が国についても色々と考えさせられるようになりました…。そして、そうしたことについても、さきのノートでの筆記と同様、また後日、当ブログにて述べてみたいと思います。
 また、それに加えて、ここ最近、いくつかの必要性が重なり、当ブログの既投稿記事や、週一でのパート勤務の際に作成させて頂いている医院ブログの記事を改題、編集したもの、あるいは、新たに作成したオリジナルの文章を、これまでに見知った、主にアカデミア関係者の方々に、メールマガジンのような形でBCC送信させて頂いています。
 これはBCC送信と云うこともあってか、殆ど返信はありませんが、それでも時々、ご感想を頂いたり、文章の内容とはあまり関係のない最近の出来事などについて、BCCへの返信という形でご連絡を頂いたりすることもあります。
 考えてみますと、ブログとは、基本的に不特定多数の方々に向けて文章を公開する場所であり、それに対して、こうしたメールによる文章の送信は、これまで実際に見知った方々に送信するという意味で同じ「文章による発信」であっても、その性質は若干異なると云えます。また、それは、誰に向けて作成した文章を届けているのかが明確であるということは、ブログにはない特徴であると云えます。
 そしてまた、少ないとはいえ反応がありますと、さらに、いくつかの事情も重なり、こちらのメールマガジンのような発信にも、もう少し注力しても良いのではないかと考えさせられます。
 当ブログは、一応11年間継続し、2500記事にも到達しましたので、今後もこれはこれで継続していくつもりですが、その一方で、これまで当ブログにかなり集約されていた「文章の作成」が、最近ではノートへの筆記、当ブログ、医院ブログ、そして特定の方々に向けたメルマガのような文章配信と、少しずつ分化し始めているようにも思われます。
 そして、それぞれの作成した文章が、また別の文章の材料となったり、また、反応により、新たな考えにもつながったりするのであれば、これまでの文章作成や発信のあり方そのものが、ある種「相転移」的に異なる様相へと変化することもあるのではないかと思われるのです。もっとも、実際のところ、それがどのような形になるのかは、現時点ではよく分かりませんが、とりあえず、始めてみなければ何も分かりませんので、また落ち着くまで、しばらく継続してみようと思います。そして今回もまた、ここまでお読み頂き、どうもありがとうございます。


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2026年8月4日火曜日

20260803 「地の文章」と「修辞をした文章」と文章作成について思ったこと

 去る7月6日に目標としていた2500記事に到達してから、早くも1カ月近く経ちました。その期間で当記事を含めて、2500記事から、さらに10記事追加しましたので、およそ3日に1記事は投稿してきたことになります。この投稿頻度は、目標到達後の休息期間としては多すぎると思われますので、以降、さらに休みを多くしたいとは考えていますが、PC前に座り、当ブログを開きますと、不思議なことに『また何やら文章を作成しなくては…』といった心持ちになってくるのです…。加えて、そうした気持ちが生じると云うことは、既に充分、休息を取ったことを意味するのではないかとも考えられるため、とりあえずスムーズに作成出来るところまで作成して、その後、作成への気持が涸れていなければ、そのまま続け、困難であれば、作成文章を下書きとして保存しておけば良いと考え、作成を始めた次第ではありますが、思いのほかに文章は進み、この程度まで進みました。そういえば、冒頭で述べた2500記事到達直後、何を思ったかまた、ノートを購入し、そこに何かしら文章を書くようにしていますが、紙のノートに筆記具で文章を書くと云う行為は、かつては頻繁に行っていましたが、昨今では、そこまでの頻度ではないため、何やら新鮮に感じられ、しかも、紙に文章を書いていますと、こうしてPC前に座り、キーボードで文章を入力するよりも、かなりスムーズに文章が出てくるのです…。これは当初、それなりの驚きがあったことから現在も続いていますが、今後出来る限り続けてみたいと考えています。そして、ここまで作成していた、その様相を検証するために、また筆記具を持ちノートを開きますと、やはりスムーズに何やら文章を書くことが出来るのです。そこで、それぞれの文章の違いは何であるかと検討するため、過日、記したノートの文章を読んでみますと、そこでも、このことに言及しており、ノートに書く文章を「地の文章」として、PCに入力する文章の方は「少し修辞をした文章」と記していました。これはたしかに事実に近いのではないかと云えます。また、こうしたことを書いていますと、以前にも当ブログにて述べました、言語についての考えが想起されます。それは、初期ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」の「言語が意味を持つのは、それが実際の世界の構造に接地されて、その構造を写像出来る場合に限られる。そして、この写像の可能性こそが、言語で語り得ることと、語り得ないことの境界を定める。」と云った考えです。これを、さきのノートへの手書きと、PCでの入力に当て嵌めて考えてみますと、手書きの方は「地の文章」であると同時に、言語の重要な要素である「写像」については、あまり考慮していない文章であり、また、そうであるからこそ、スムーズに作成することが出来るのではないかとも思われます。そして、それは文章が湧いてくる身体と、手に持った筆記具との「近さ」に因ると考えます。他方のPC入力での文章は、作成するために、その文章の内容を予め自覚しておかないと作成することが困難であることから、ある程度、文章として読まれることを意識して「写像」つまり現実世界と言語との対応関係、あるいは読み手からの文章としての理解のし易さを考慮して、修辞をした文章を作成することから、手書きほどにはスムーズな文章作成が困難であると思われるのです。そして、こうしたことは、おそらく今回はじめて感じられたことではないと思われますが、何度かそうした経験をすることにより、修辞を施し、ある程度、他者からの理解を得られるような文章を作成することが出来るようになるのではないかと考えますが、そのように認識を新たにしてみますと、ここしばらくは、目標到達後の休息期間ではありますが、時々は、このように新たなブログ記事を作成することは良いことであるように思われました。そして、今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。

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2026年8月3日月曜日

20260802 下戸遺伝子と三遠式銅鐸を結ぶことで見えてくる様相

日本の古い歴史を調べる際に、記紀などの文献資料や、古墳や出土物などの遺跡・遺物などをあたることが多いのではないかと考えます。たしかに、そうした方法は重要であり、また主たるものであると云えます。しかし、そこに自然科学分野での知見や研究成果などを組合せてみますと、それまでの方法では看取することが困難であった、新たな興味深い様相を、時には見出すことが出来るのではないかと考えます。

その一例を挙げますと、それは「三遠式銅鐸」「水稲耕作文化」「ALDH2変異(下戸遺伝子)」「マラリアの流行」といった、一見、関連性が乏しいと思われるキーワードをつなぐことにより見えてくる様相であり、これらは、近畿東部、東海西部、北陸南部をまとめた地域を軸としますと、結び付けることが出来ます。

我々日本人には、少量の酒を飲んだだけで顔が赤くなったり、動悸や頭痛が生じる人が少なくありません。これは、アルコールの分解過程で生じる有害物質アセトアルデヒドを処理する酵素「ALDH2」の働きが弱い体質によるものです。このお酒に弱い、いわゆる「下戸遺伝子」と呼ばれるALDH2変異型は、世界的に一様に存在するものではなく、東アジア地域に著しく集中しています。近年のゲノム解析研究によりますと、この変異は、約2~3万年前に中国南部の長江下流域付近で発生し、その後、同地域を起源とする水稲耕作文化を持つ人びとの移動に伴い、日本列島に流入したと考えられています。

現代の我が国におけるALDH2変異型(下戸遺伝子)の分布を見てみますと、縄文系ゲノムの割合が高い東北地方や九州南部、沖縄などでは、酒に強い遺伝子が高頻度で見られるのに対し、前述の近畿東部、東海西部、北陸南部地域では、このALDH2変異型(下戸遺伝子)を持つ人びとの割合が顕著に高くなっています。そこから、この下戸遺伝子は、我が国においても全国で一様に存在するものではなく、特定の地域に定着したものであることが分かります。

では何故、この近畿東部、東海西部、北陸南部地域において、大陸由来の下戸遺伝子が定着、維持され続けたのかと考えてみますと、そこには、水稲耕作文化の普及による自然環境の変化と、それに伴う感染症という淘汰圧が作用したのではないかと考えられます。

大陸を起源とする水稲耕作文化は、弥生時代から、豊かな水資源を持つ近畿東部の琵琶湖周辺や東海西部の木曽三川流域、北陸南部の九頭竜川流域などで広く展開されました。その一方で、大規模な水田や用水路の開発は、同時に、低湿地や水たまりなどの湿度の高い環境を生み出し、それはマラリア原虫を媒介する蚊の格好の繁殖場にもなりました。そして、これらの地域は、近現代に至るまで、マラリアの流行地として知られていました。

ここで注目されるのが、さきの下戸遺伝子とマラリア感染症との関係性です。

飲酒時に体内に蓄積するアセトアルデヒドには一定の抑菌作用や寄生虫の増殖を抑える効果があるという仮説があり、マラリア負荷の強さが下戸遺伝子を持つ人々の生存に有利に働いた(正の選択圧)可能性が指摘されています。確かな科学的事実とするには、さらなる検証が必要ではありますが「水稲耕作」「感染症リスク」「遺伝的定着」の環境的相互作用は、地域社会の成り立ちを考えるうえで、大変興味深いものであると云えます。

そして、この下戸遺伝子の高頻度地域およびマラリア感染症の流行地域と概ね一致するのが、弥生時代後期を特徴付ける銅鐸の一様式である「三遠式銅鐸」の出土分布地域です。三遠式銅鐸は、同じく後期式の銅鐸である「近畿式銅鐸」が大きな飾耳を吊り手(紐)に持ち、文様の突線を大きく盛り上げ、躍動的な勢いを強調するものが多いのに対して、「三遠式銅鐸」は造形的に対極に位置していると云えます。吊り手(紐)に大きな飾耳はなく、表面に「袈裟襷文」や「鋸歯文」などの直線的あるいは幾何学的な文様を精密・均一に刻み込むという技術的特徴を持っていると云えます。

その文様の描き方は、近現代の工業製品の意匠を思わせるほどに整然としており、同一様式の線や文様が精確に反復されています。こうした双方銅鐸の意匠の相違は、それぞれの製作を担った工人集団や、その技術的特徴の違いを反映していると考えます。

おそらく、銅鐸の作製を担った工人集団は、その技術と同様、朝鮮半島を含む大陸にルーツを持ち、そして、彼等が持っていたのは一連の鋳造技術だけでなく、ALDH2変異型(下戸遺伝子)もまた、そうであったのではないかと考えます。そして、この下戸遺伝子に由来する銅鐸の意匠あるいは一種の美意識が、前述した三遠式銅鐸の精密・均一な銅鐸表面の文様であったのではないかと考えます。

また、さらに歴史的視野を広げてみますと、この地域は、後世、戦国時代において、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と云った組織化や制度構築に長けた乱世の覇者を輩出し、さらに近現代においては、自動車産業や工作機械などに代表される、我が国が誇る工業文化も生み出しました。近代工業に不可欠な標準化や工程の統御を重んじる優れた工業文化を生み出した風土は、三遠式銅鐸の精密・均一な文様の意匠と通底するものがあるのではないかと考えます。

二千年近い歴史の隔たりがあるため、これらを直接の因果関係で結び付けることは困難でありましょうが、同じ地域において、規格性や精密な技術を尊重する価値観が繰り返し表出してきたことは、地域社会のプロトタイプ(原型)を考えるうえで極めて興味深い現象であると考えます。

遺伝子は人々の移動と生活環境への適応を記憶し、出土遺物は人々の技術と意匠文化を今に伝えます。換言しますと「ALDH2変異(下戸遺伝子)の分布」、「水稲耕作とマラリア感染症」そして「三遠式銅鐸の文様の精密・均一さ」は、それぞれ独立の要素としてではなく組合せて考えることにより、さらに精確で明晰な歴史像の仮説を我々に示すのではないかと思われますが、さて如何でしょうか?そして、今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。


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