B「・・ええ、これといって大きな動きはありません。
また何かありましたら御連絡いたします。あとは、私のブログの閲覧者数は200記事を越えてから増えたのですが、それもここ最近300~500程度で落ち着いてきました。
しかし、ほんの少し前までは1日の閲覧者数が100~200程度でしたので、まあ大幅に増えたといっていいと思います・・。とはいえ、記事の内容も大きく変化しているとは思えませんし、また先日来の風邪のためか、あまりプレッシャーを感じることも今のところありません・・。そして、このように考えてみますと、実際に文筆、著述業にて生きている方々とは、かなり大きなプレッシャーを背負っているのではないかと思います・・。
その意味で、現在の様々なことをネット上で書くことが出来る社会、仕組みとは、なかなか怖い側面もまたあるのではないかと思います・・。」
A「ふうむ、舌禍、筆禍というようなことですね・・。口語であれ、文語であれ、言葉とは、なかなか難しいところがありますからね。ですからBさんの一連のブログにおいても、とらえ方によっては筆禍につながりかねない部分もまたあるのではないかと思います・・。とはいえ、今までのところ、私が見る限りにおいては、Bさんのブログにはそこまできわどいことは特に書いていないと思います・・。しかし一方、方広寺の釣鐘の碑文から天皇機関説にいたるまでの揚げ足取り的、あるいは別件逮捕的な「すり替え」「見立てる」というような性質とは、昨今のネット社会の進化発展に伴い、外国においてもリアルタイムに、ことのはじまりから経緯、終息まで把握、認識できるようになったのではないかと思います。そこで外国の方々は、そうした我々の社会での出来事を一体どのように見ているのでしょうか?また、こうした出来事に対する観察、指摘とは、日本滞在の長い外国の方々が著した記録などにおいても、時折見受けることができると思います。しかし、我が国はそうした記録を過去のものとして忘却の彼方に追いやり、また同様の行動をとっているということは、ノモンハン事件におけるソ連側の、そして太平洋戦争時の南太平洋戦線におけるアメリカ軍側の日本軍に対する観察内容と見事に符合するのではないかと思うことがあります・・(苦笑)。」
B「ああ、そうした記録は私もこれまでにいくつか読みました・・。また、それと同時に、たしか山本七平がどこかで書いていたと思うのですが、我々日本人とは臨在感を重視する傾向が極めて強く、これが「場の空気」の絶対的な支配を生み出すのではないかと指摘していましたが、その意味においてはおそらく古来より現在に至るまであまり変化していないのではないかと思います。また、それに加えて海外の観察者の多くもまた、そうしたことは先刻承知であるのかもしれません・・。また、そのような視点、視座から見ますと、現在の我が国における様々な出来事、事象も「相も変わらず同じようなことを繰り広げているなあ・・。」と認識されているのではないだろうか?といった感じも受けますね・・。しかし、それだからといって、どのようにすればそうした性質、傾向を良い方向に変化することが出来るのだろうか?と考えても、それは「情報リテラシーの向上」であるとか「教養教育の拡充」といってみたところで、実際そうしたことを行う段階になって、どうもさきほどの「すり替え」「見立てる」といった感じに本質から離れた方向にスライドしてゆき、結果的にどうも当初の目的とは違ったものとなってしまうのではないかと思います。あたかもホラー映画の「フランケンシュタイン」などのように・・。」
A「・・まあ、仰りたいことは概ね理解できます・・。その意味で我々日本人とは、何といいますか観念的、形而上的な発想をすることが極めて苦手な人々であると思います・・。
しかし一方、直接感覚的な事柄に対する感覚は極めて鋭敏であり、それこそが我が国の他の国々に引けをとらない美質であると考えます。そしてこれら観念的、形而上的な発想と直接感覚的な鋭敏さが両立しえないと直覚的に考えてしまうところに先ず大きな落とし穴があるのではないかとも思います・・。」
B「・・はあ、たしかにそれら二つの要素が両立し得ないものであると断言することはできません。しかしながら、そうしたことを考える際の材料となるものが、さきに示したノモンハン事件、太平洋戦争時におけるような様々な歴史的事柄であり、それらを持って類推してみると、どうも難しいのではないかと考えてしまうのです。」
A「まあ、それはそうだけれども、そこで悲観的になってしまうのもまた、どうかと思いますので、そこで様々な形で情報を発信して、より多くの人達と、そうしたことを一緒に考えてゆく姿勢が重要になってくるのではないでしょうか?」
B「・・それは建前的には非のつけどころがない、実に立派なものであると思うのですが、その結果が現在の我が国の状況であると思いますので「少なくとも楽観視することは出来ないのではないだろうか?」というのが正直なところですが・・。」
A「・・まあそうなりますと、考えている思想云々よりもスタンス的なことになりますので、また話が多少ややこしくなってくると思うのですが・・。しかし何れにせよ、そうしたことをBさんが現在書いているブログのようにして発信し続けることには何かしら意味があるのではないかと思いますが・・。」
B「ああ、そうした記録は私もこれまでにいくつか読みました・・。また、それと同時に、たしか山本七平がどこかで書いていたと思うのですが、我々日本人とは臨在感を重視する傾向が極めて強く、これが「場の空気」の絶対的な支配を生み出すのではないかと指摘していましたが、その意味においてはおそらく古来より現在に至るまであまり変化していないのではないかと思います。また、それに加えて海外の観察者の多くもまた、そうしたことは先刻承知であるのかもしれません・・。また、そのような視点、視座から見ますと、現在の我が国における様々な出来事、事象も「相も変わらず同じようなことを繰り広げているなあ・・。」と認識されているのではないだろうか?といった感じも受けますね・・。しかし、それだからといって、どのようにすればそうした性質、傾向を良い方向に変化することが出来るのだろうか?と考えても、それは「情報リテラシーの向上」であるとか「教養教育の拡充」といってみたところで、実際そうしたことを行う段階になって、どうもさきほどの「すり替え」「見立てる」といった感じに本質から離れた方向にスライドしてゆき、結果的にどうも当初の目的とは違ったものとなってしまうのではないかと思います。あたかもホラー映画の「フランケンシュタイン」などのように・・。」
A「・・まあ、仰りたいことは概ね理解できます・・。その意味で我々日本人とは、何といいますか観念的、形而上的な発想をすることが極めて苦手な人々であると思います・・。
しかし一方、直接感覚的な事柄に対する感覚は極めて鋭敏であり、それこそが我が国の他の国々に引けをとらない美質であると考えます。そしてこれら観念的、形而上的な発想と直接感覚的な鋭敏さが両立しえないと直覚的に考えてしまうところに先ず大きな落とし穴があるのではないかとも思います・・。」
B「・・はあ、たしかにそれら二つの要素が両立し得ないものであると断言することはできません。しかしながら、そうしたことを考える際の材料となるものが、さきに示したノモンハン事件、太平洋戦争時におけるような様々な歴史的事柄であり、それらを持って類推してみると、どうも難しいのではないかと考えてしまうのです。」
A「まあ、それはそうだけれども、そこで悲観的になってしまうのもまた、どうかと思いますので、そこで様々な形で情報を発信して、より多くの人達と、そうしたことを一緒に考えてゆく姿勢が重要になってくるのではないでしょうか?」
B「・・それは建前的には非のつけどころがない、実に立派なものであると思うのですが、その結果が現在の我が国の状況であると思いますので「少なくとも楽観視することは出来ないのではないだろうか?」というのが正直なところですが・・。」
A「・・まあそうなりますと、考えている思想云々よりもスタンス的なことになりますので、また話が多少ややこしくなってくると思うのですが・・。しかし何れにせよ、そうしたことをBさんが現在書いているブログのようにして発信し続けることには何かしら意味があるのではないかと思いますが・・。」
B「・・ええ、それはたしかにそうであると思いますが、実際のところどうなのでしょうか・・(苦笑)。そうしたことの「意味」「意義」については時折よくわからなくなることがあります・・・。」
「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。」
「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。」