2017年10月28日土曜日

20171027 『母系的・陸稲栽培-狩猟文化』其の2 

2:母系的・陸稲栽培-狩猟文化
この民俗文化複合はおそらく縄文時代末期に列島に伝来したものと思われる。

河川下流域沖積層地域を主要な耕作地とする水稲耕作文化の伝来に先行し、この民俗文化は列島に定着し、主に丘陵地斜面の焼畑にて陸稲栽培をしていたものと考える。

さきの記事にて述べた通り、我が国のおける本格的な農耕文化とは縄文時代晩期~弥生時代に盛行となった水稲耕作よりもかなり遡るものであると考える。

概括的な経過として、縄文時代後期における芋栽培、そして縄文時代末期における陸稲栽培といった段階を経て、はじめて水稲耕作文化の流入、定着が可能な状態が招来されたのではないかと考える。

また、そこから一般的な歴史発展の様式とされる農耕文化とは河川流域において発生、発展し得るという考えは訂正される必要があると思われる。

すなわち、大河川の氾濫を制御、管理する技術およびそれを為す組織の発達がなければ、河川流域の沖積地に定住し農耕に従事することは不可能であるからである。

それ故、列島を含む東アジア地域における農耕文化とは、南アジア地域の谷川、河川から遠くない丘陵地斜面での焼畑農業より発するものと考える。

我が国のおいても丘陵地およびその斜面に縄文時代の遺跡、居住址が多く看取されるが、特にその後~末期とされる遺跡、居住址を農耕以前の狩猟採集文化(のみ)と結び付けるのは疑問であり、むしろ狩猟採集と並行し焼畑農耕を営んでいた集団を想定するのが妥当であるものと考える。

また、この民俗文化もさきの『母系的・秘密結社的・芋栽培-狩猟民文化』と同様、母系的社会であったと思われ、その文化差異を判然と区別することは困難であると云える。

神の死骸より穀物が生じたとされる屍体化生神話とは、この『母系的・陸稲栽培-狩猟文化』によってもたらされた可能性があり、神の三貴子、その末弟(スサノオ)の暴行により生じる日食神話の神話複合とは、ビルマのパラウン族からクメール族にかけてアウストロアジア語系の諸族に見出され、三貴子の長子であるアマテラスの岩戸隠れの神話は、中国南部の苗族のアッサムのアウストロアジア系のカシ族、語族的にはチベット・ビルマ語群に属するナガ族、アボール族の神話からも看取される。

とはいえ、三貴子以前のイザナミ・イザナギ神話が、この『母系的・陸稲栽培-狩猟文化』に伴うものであるかどうかの明確な見解はない。

その一方で、中国南部、東南アジア諸族のあいだに分布する洪水神話とは、洪水のために人類が死滅し、生き残った兄妹が近親相姦の禁忌を呪術儀礼的に解消し、各々他人として子孫を生み、そして種族が繁栄するといったものであるのだが、これは中国南部の苗族において特に顕著であり、また地域的な分布においては台湾、フィリッピンさらにはインドにおいても看取される。

そして、さきのイザナミ・イザナギ神話とは、この洪水神話前段にある洪水の部分が欠落したものであることは疑い得ない。

また『母系的・陸稲栽培-狩猟文化』とは言語的には、おそらくアウストロアジア語系の言語を話していたものと考えられる。

日本語の語彙にはアウストロアジア語に起源を比定される語が少なからず存在すること、さきの神話がアウストロアジア語系の諸族に分布している事実を勘案すると、アウストロアジア語系の諸族の我が国への渡来とは十分に考えられる。

この文化の特徴とは
*母系的な社会
*太陽神アマテラスの崇拝
*家族的、村落共同体的なシャーマニズム
*司祭的な女酋の存在
*穀物の屍体化生神話
*焼畑による陸稲栽培
などが挙げられる。

そして、所謂『照葉樹林文化』とは、さきの『母系的・秘密結社的・芋栽培-狩猟民文化』および『母系的・陸稲栽培-狩猟文化』を包摂した民俗文化大系に対する異なる視点からの呼称であるとも云える。

今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

昨年より現在までに日本列島各地にて生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った諸インフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。

先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」