2024年1月31日水曜日

20240131 岩波書店刊 宮崎市定著 礪波護編「中国文明論集」 pp.21-25より抜粋

岩波書店刊 宮崎市定著 礪波護編「中国文明論集」
pp.21-25より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003313313
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003313312

石炭は漢頃からぼつぼつ中国で使われ、石炭という文字も、隋頃から現れているようで、宋頃になると一般に人民の間にも使われ、官営の石炭販売場も出来ております。この話は唐の末頃でありますから珍しそうに炭と言うているので当時はまだ余り盛んには用いられていなかったことが分かります。そこで李使君は坊さんの注意に従って飯を炊く時に炭を使い出来る限りの準備を整えて宴を張った。いよいよ息子たちが客にやって来て、それに御馳走を薦めるけれども、一向食べようとしない。ちょっと箸を着けてみるが、あたかも針を飲むが如く兄弟たがいに顔を見合せてやめてしまう。折角お膳を沢山並べても何も食べない。最後に飯が出た。飯ならばどこでも同じ米と水から出来ていて、わざわざ炭で炊いたものであるからきっと食べてくれるだろうと思ったところ、これも一口食べて吐き出した様子である。折角お客を歓待したつもりであったところが、少しもお気に召さなかったので、李使君非常に意気阻喪してしまった。後で坊さんに、一体どういう点が客の気に入らなかったのか聞いてもらった。坊さんが再び貴族の子弟の所に行って「あなた方は折角招待されて行ったのに何も御意に召すものがなかったのは一体どうしたのですか」と聞くと、その子供たちは「料理がその法を得ないからだ」と答えた。そこで更に坊さんが「なるほどほかの料理は法を得なかったかもしれないが、石炭で炊いた飯はどこでも同じではありませぬか」と言うと、「いやその石炭にも法がある。炭を使う時には一度焼いて煙の気を取ってしまってから料理に使うべきものである、ところが李使君の家のはその手続を履まなかったから、飯が煙臭くて食えなかった」と言うたそうであります。

 この話は別に贅沢なのに感心する訳ではありませぬが、その手続は大いに同感を表して宜しい。とにかく石炭のような火力の強いもので、しかも特にその煙気を去ってコークスにして料理に使うというのであるかた、理窟が通っております。その前の時代のように、蝋で炊くとかあるいは酒の甕を人に抱かせるとか、そういう不合理なところがない。この火力ということが、今の話に出た唐の末頃から宋にかけて非常に進歩した。石炭なので高熱を出すので、鉄ではすぐ穴があくから銅の銅釜を使い、銅禁などいう禁令を出して銭を鋳潰して器に造ることを禁じている。また単に強い火力を出すというだけではない。強い火力だけでは物は十分に処理されない。強い上に、大きな火力を出し、更に長く続くことを要する。しかもそれが際限なしではなく適当に調節出来ねばならない。その思うままに火力を支配するということがこの時代の行われたので、更に火力を通じて、あらゆる物に対する人間の支配が確立し、一般文明がずっと進歩した、中華料理がうまくなったのもおそらくこの頃からであろうと思います。奴隷に甕を抱かせないでも、立派に飲める酒が醸されるようになった。この時代は近世中国文明と共に中華料理の黎明期でもあります。それから陶磁器は世界で最初に中国で、宋の時代に完成された。現今世界の陶磁器の祖先は宋の陶磁であると言っても宜しい位でありまして、宋代に陶器が堅牢に優美に、単に実用品のみならず立派な工芸品としての価値を有するに至ったのであります。それが外国に伝わって西洋の陶器にも日本の陶器にもなった。小にしては焼栗、冬になると日本でもやるいわゆる天津甘栗ですが、あの焼栗も既に宋代に流行して、当時の都、開封に、名物として知られた焼栗屋があったということが「老額庵筆記」に見えております。小は焼栗から大は陶器の製造に至るまで、色々な方面に、火力の支配、火力の応用ということが行われております。単にそればかりでなく、当時の一般の美術工芸、あらゆる方面にわたって技術がこれがために非常に進歩しました。

 その要素を考えてみますと、およそ二つの方面があると思います。

 一つは当時、科学的知識が非常に進歩した。火力などもその一つの現れであります。科学的知識といいますと、要するに、物の性質をよく究めて、この物はこういう性質を持っている。彼の物はこういう性質を持っている、その性質と性質を組み合わせて人間に必要な物を造って行く、その土台になる物の持っている長所を究める。それが結局科学的知識と言うて宜しいと思いますが、その一つ一つの物に対して、どういう性質を持っているかを研究し、そうしてその性質を生かして使う。こういうことが宋の頃に行われたのであります。