先日のブログにおいても記しましたが、概ね同一の時代を舞台とした小説、映画を複数読み、それと併行、前後して同時代を扱った専門書、学術書などを読みますと、その時代についての理解がより深まると思います。
また、そのような事情とは、様々な歴史、文化的な事物においても同様であると思います。
元々、関東地方、首都圏出身であった私についていえば、それは関西在住時に様々な遺跡、就中、古墳に対して、それが居住地の近隣に自然なかたちで存在することの衝撃が大きく、自分なりに強い関心を持った次第です。
正直なところ、私は南紀在住以前、母国、日本の古代について殆ど何も知らなかったのではないかと思います。
言い訳となりますが、それは自身の国の古代に興味を持つ「具体的なきっかけ」がなかったのではないかと思います。
24歳になるまで・・(苦笑)。
それが、転勤により住むことになった南紀で変化したわけですが、その変化とは、実際どのようなものであったのかと、明確に想起、あるいはそれを言語にて表現することは困難です。
ただ、かねてより文系の大学院(修士課程)に進みたいと望んでいた心情はそのままで、以前より興味を持っていたヨーロッパの歴史、文化に関する研究する大学院から、国内の地域、民俗などを研究する分野に、その希望する専攻を転じたということが、その内面の変化の大きさを示すものと思います。
繰り返しになりますが、こうしたことは、自分のことではありますが、不思議なことに「どのような環境、あるいは理由の蓄積により、こうした変化が生じたのか?」とは、明瞭に思い出すことができません。
とはいえ、もしそこで実家に近い首都圏のヨーロッパ文化を専攻とする大学院に進学していたとしたら、その後、一体どのようになっていたのでしょうか?
こうした「もしも?」とはあまり意味がないと思われますが、それに加えて、今となっては、あまりそうした想像を働かすことができません・・(苦笑)。
ともあれ、やはり私の場合、再び西に戻ったことは良かったのではないかと思います。
また、その後、さらに西に行くことになり、そして再び関東、首都圏に戻ることになりましたが、そうした途中の過程からか、本来であれば故郷ともいえる、関東、首都圏の事物に対し、変に斜に構えて見るクセがついたようにも思えます。
いえ、もしかすると、そうした傾向とは、何か他の過程によるものなのかもしれません・・。
そして、今後またどこか西へ移居することになっても、こうした斜に構えて見る姿勢とは、もしかしたら変わらないのかもしれません・・(笑)。
ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。