2016年6月21日火曜日

照屋佳男著「コンラッドの小説」早稲田大学出版部刊 pp.26‐28より抜粋  20160621

昨日記した記事「納豆、照葉樹林文化・・銅鐸?」とは最近記した記事の中では珍しく、出だしから閲覧者数がそこそこ伸びました・・。

なぜこの記事が最近書かれた記事の中で比較的多くの閲覧者数を得られたのかは未だ不明ではありますが、単に、それら記事の中では比較的面白かったということになるのでしょうか・・?

これまでに300程度の記事を作成してはきましたが、正直なところ「これはウケるぞ・・。」と確信をもって作成した記事はただの一つもありません・・(苦笑)。

実際にそういった記事が一つでもあれば、それはそれで面白いかもしれませんが・・。
しかし、そうはいっても、あまりウケを狙い過ぎるのも、後々のことを考えてみますと、あまり良くないのではないかとも考えさせられます・・。

また、こうした考えとは、一連のブログ記事作成をはじめた当初よりボンヤリとは持っておりました。
しかし、それ以上に閲覧者の方々からの閲覧記事の傾向などを見て「何となく気づかされた」部分がより大きいのではないかと思います・・。
もとより私はあまりこうした特に思想、信条、(歴史的)事実の認識にかかわるような、そしてブログ記事のような公開を前提にするような文章を書く上でのバランス感覚に長けている方ではなく、むしろ反対であると考えておりますが、上に記したような反応を見ておりますと、そうしたことを、まさに「何とくなく気づかされた」といった感じがあります・・。
このような感覚もなかなか不思議で面白いものであると思います・・(笑)。
(どのようにしてそうした感性が精神内部に生じるのであろうか・・? そのメカニズムとは?)
そういえば、少し前に投稿記事数が300に到達しましたが、その後、現在においても未だ「新しい視野、視点」などは開けてきません・・(苦笑)。
ブログ記事の作成などとは一般的にこういったものなのでしょうか?
しかしながら、以前から繰り返すようではありますが、一応ここまで記事作成を継続することが出来た主要な原因とは、閲覧者の方々からの様々な面白い反応であったとはいうことが出来ます。
それ故、これは決して私一人の手によって為されているのではなく、閲覧してくださっている方々の合計としては甚大なるご協力により、どうにか継続することが出来ているといって良いです。

さて、ここまで書いていて不図思い起こした文章があるので以下に抜粋引用します。」


「照屋佳男著 「コンラッドの小説」早稲田大学出版部刊
pp.26-28より抜粋」

「「ナーシサス号の黒人」には有名な序文が付せられてゐる。一見難解なこの序文の中心には伝統の問題が据ゑられている、尤もコンラッドは伝統という語をただの一度も使ってはゐないが。

「彼(芸術家=小説家)の訴へは(思想家や科学者のやうに)声高にはなされないが、より深い所に達する。思想家や科学者のやうに)明晰ではないが、より深く人の心を動かす―さうしてそれはじきに忘れられる。
それでもその影響はいつまでも残るのである」。

コンラッドに言はせると、芸術家は使ひ捨ての利くやうな思想や事実や理論を相手にしてゐるのではない、芸術家が訴への対象にしてゐるのは、知恵に依存しない我々の存在のあの部分、即ち我々内部の、習得された部分ではなくて天与の部分である」。

これは格別新しい文学論ではない、寧ろ陳腐とさへ評したくなるやうな文学論なのだが、ただ「知恵」(wisdom)といふ語の使い方は、そのやうな陳腐さを消し去る程の重みを有してゐる。

右の一句には過去の力、伝統や思ひ出の力を無視して、「知恵」を獲得したつもりになってゐる世の「賢者」への痛烈な批判が感じ取られるのである。

「我々内部に宿る生きとし生けるものに対する連帯の感情―無数の孤独な魂を結合する微妙にして堅固な確然とした連帯の感情、夢、喜び、渇望、幻想、希望そして恐怖を通じての連帯の感情、人間を相互に結び合せ、全人類を結合する連帯の感情―死者を生者に、生者を未生の者に結び合せる連帯の感情」とコンラッドは言ふ。

「連帯」(solidarity)といふ語が「知恵」に対置されてゐると我々は理解することが出来るが、列挙されてゐるさまざまな「連帯」の性質の中で際立って読者の注意を引くのは「死者を生者に、生者を未生の者に結び合せる」といふ性質であらう。

死者と生者と未生の者との結合という観念を通じて、コンラッドは「連帯」に伝統を含意させてゐる、すると「賢者」の振り翳す思想や事実や理論に伝統が対置されてゐる事になる。

芸術家にとって重要なのは知恵ではない、伝統の意識である、とコンラッドは言ひたいのだ。

しかし伝統の意識の獲得が途方もなく大きな労力を要する事をコンラッドは承知してゐる。

第一、伝統は、船乗りにとっても作家にとっても、仕事への献身を通じてしか感得され得ない。

仕事への献身といふ一事は船乗りから作家への移り行きを可能にした当のものであった、小説家としての仕事への献身を、コンラッドは「形式と美質の完璧な融合をめざして脇目もふらぬ献身」といふ風に表現し、かう述べる、「さういふ創作上の課題を成し遂げようと誠実に努力すること、力の及ぶ限りこの道をどこまでも辿らうと努力する事、躓いても、疲れても、非難されてもひるまずにこの道を辿らうと努力する事、これだけが芸術家の存在を正当化し、それに確実な根拠を与へるのである」


このような不撓不屈の専心的な努力を通じて伝統が生き生きと感得される時、芸術家は思ひ出の力を借りて経験に輪郭を与へ得るやうになる。

「思い出の力を借りて」と言ったのは、伝統は一面から言ふと、思い出の集積、或は上手に思ひ出された過去の集積に他ならないからである。

そして作品において明瞭な輪郭を与へられた経験とは、「仮借なき時間の奔流」から掴み取られた、或は救ひ出された「過ぎ去り行く生の局面」「生の断片」に他ならない。別言すると、それはさういふ「局面」や「断片」の「震動、色彩、形式」或は「説得力ある一瞬一瞬の核に存する緊張と情熱を明示する事に他ならない。

コンラッドの小説

照屋佳男

ISBN-10: 4657909312
ISBN-13: 978-4657909312

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

大雨が降った九州の皆様の御無事および、さきの大地震にて被災された熊本県地域での被害がなく、今後の復旧、復興が速やかに為されることを祈念します。





20160620 納豆、照葉樹林文化・・銅鐸?

週のはじめではありますが、本日も帰宅が遅く、日をまたいだ今現在より記事を作成することになりました・・。

さて、先日記した紀州、和歌山名物の「なれずし」についてですが、かつて食品の冷凍、冷蔵技術が飛躍的に発展する以前の時代においては、こうした発酵食品が一般的なものであり、また東部日本に比べ温暖湿潤な気候風土である西日本においては、より一層その傾向が強かったのではないかと思われます。

現在、納豆といえば関東(特に水戸)などが著名ではありますが、おそらく、かつてのそうした時代(冷凍、冷蔵技術の進化以前)においては、納豆もさきの「なれずし」同様、西日本においても一般的な食品であったと考えるの自然です。

奈良、平安時代における朝廷での宴会の献立、あるいは各地方から朝貢される食品の記録などを見ますと、そこには様々な発酵食品が見受けられることから、納豆も名称こそ現在と異なるかもしれませんが、それらの中に入っていたものと考えられます・・。
(未だに納豆の語源が納得できません・・(笑)。

では、何故現在の紀州、和歌山を含む関西、近畿地方とは、納豆文化が東日本に比べ人気がなく、また一般的ではないのだろうか?(まあ、あくまでも一般論ですが・・)と考えてみますと、そこにはあまり明確な原因、理由が見受けられず、ただ単に「住民達の食文化、食品に対する嗜好が変化したのではなかろうか?」ぐらいとしかいえません・・。

また、それと関連して中尾佐助が述べた東アジア南部を中心に広がる「照葉樹林文化論」の生活文化の中には、納豆を含む発酵食品の製造、嗜好が挙げられております。

御存じではあるかと思いますが、納豆とは日本特有の食品ではありません・・。

ともあれ、我が国の場合、全体的な植生において西日本(大体フォッサ・マグナ以西)の方が常緑性照葉樹が優勢であり、まあ、こうした植生となる気候風土の地域において、そうした生活文化が自然に発生し、それが営まれた易かったのではないかと考えられます・・。

また、それと関連して、大陸における銅鐸と類似した要素を持つとされる精銅の祭器とは、現在の中国南部、東南アジア北部といった、さきの照葉樹林文化圏において、時代は多少異なるものの見受けられ、その埋納の仕方などに類似点があることが指摘されております。

こうしたことも我が国の歴史、文化を考えてみる上でなかなか面白いのではないかと思います。

本日は何故か、こうした話が思い浮かびました・・。

また、それと多少関連するかもしれませんが、先日も少し書きましたが、ある書籍で地名に関しての大変面白い記述を見つけましたので、近日中にその部分を抜粋引用しようと思います。

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

さる九州、熊本での大地震にて被災された地域の速やかな復旧そして復興を祈念しております。」