2018年7月12日木曜日

20180712 学問分野の違いと社会における評価について【対話形式】

過日、西日本を中心とした大雨により、未だ二次被害発生のおそれの残る地域があるとのことです。既に被害が生じてしまった地域の速やかな復旧そして今後発生する被害が出来る限り小さいことを祈念しております。

A「1000記事を越えてからも記事を書き続けているようですが、休息は入れないのですか?」

B「ええ、ほぼ毎日記事を書き続けていますと、休息であったとしても、止め時のようなものがよく分からなくなってくるのです・・(笑)。むしろ誰かから『この辺で休息を入れた方が・・』とでも云われた方が、あれこれ考えずに止めることが出来るのですが・・(苦笑)。」

A「まあ、そういうのは他者がアレコレ指図するようなことでもないと思いますので、自分の判断で行うのが良いのだと思います。しかしそれでも、このままずっと2000記事あたりまで書き続けるつもりですか(笑)?」

B「いえ、それはありません。現在思っているのは、この先1050記事、ですから、あと残り10記事程度作成したら止めて休んでみようと思っています・・。」

A「1050ですか・・あまりキリが良い数字とは云えませんが、まあ妥当なところではないでしょうかね・・。そういえば、昨日投稿のブログを少し読ませて頂きましたが、ここ最近では珍しく多少奮っていたように思われましたが、何かあったのですか?」

B「・・ええ、ここ最近は用事にて歯科医療機関や大学・専門学校などを訪問する機会が比較的多く、そうしたなか、話をさせて頂いた先生に対して『これはタダモノではない・・』と感じることが時折あるのですが、おそらくそうした感覚が何かしら作用してあのような記事になったのではないかと思われます・・(笑)。」

A「なるほど、その歯科医療分野の先生方はやはり優秀な方々が多いと思いますが、そのなかでBさんはどういったことを聞いてそのように思うのですか?」

B「ああ、それは話されている内容の広がりといいますか、物事の説明の際に用いるたとえの的確さと、その引き出しの多さといったところであると思います。しかしそれでも、そうした方々は、話をお聞きしていますと自然と分かるのではないかと思われるのですが・・どうでしょうか?」

A「うん、まあたしかに人文社会科学系分野でもそういったところはありますが、しかし、こちらでは悪くすると『衒学的』などと評されることもありますので、その点において歯科医療分野などはその基礎に医療技術・臨床技術というのですか?まあ、そういった割にシビアなものがありますので、いくらか好意的に見られるのではないかとも思いますね・・(苦笑)。」

B「ええ、たしかに我々の社会全般にはそういったところがありますが、それでも、その話される内容の的確さ、背景知識の信憑性などは、文系・理系を問わず科学と名乗るのであれば、重視されるところであると思いますので、あまり本質的なことではないように思われますが・・。」

A「・・理想論で云えば、たしかにそうかもしれませんが、人の生命や健康に直接関与することがない歴史・思想などといった人文社会科学系の学問は、いくら的確に、そして多くの引き出しを用いて語っても、こちらが本気になればなるほどバカにされるのがオチであり、多分、大半の連中の本音は「学校の授業や講義以外では絶対にそんなこと聞きたくない!」といったところではないでしょうかね・・(笑)。いや、これは何もバカにしているわけではなく、まあ、これまでの経験と観察からの実感です・・。とはいえ、その結果が現在の我が国の社会の様相ですので、私としては多少悲しいですが、それでも自分の考えがそこまで間違っていなかったということになるのではないかとも思われるのです・・(苦笑)。」

B「もちろん我が国の人文社会科学分野の方にも問題がないとは云えませんが、しかしそれ以上に率直を通り越して驕慢になってしまった我々の方にも問題があるのではないかと云うことですね・・。たしかにそれは分からなくもないですが、それでも漸進的ではあっても、改良していく以外にないと思われます・・。」

A「・・いや、そうやって改良していくのは至極結構なことであるのかもしれませんが、多分そのようなことをいくら行っても我が国社会を良くすることは出来ないと思いますよ、過ぎてしまった歴史を変えることが出来ないように・・。」

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。


~書籍のご案内~
増刷決定!
ISBN978-4-263-46420-5


~勉強会の御案内~
前掲著作の執筆者である師匠による歯科材料全般もしくは特定の歯科材料を題材とした勉強会・講演会などの開催を検討されておりましたら、ご相談を承ります。師匠はこれまで長年にわたり大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが出来ます。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com 
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

数年前より現在までに列島各地、特に西日本にて発生したさまざまな大規模自然災害によって被害を被った地域の諸インフラの復旧および、その後の速やかな復興を祈念しています。












20180711 さまざまな要素の交わるところ・・思想家・哲学者に男性が多い理由?

本日は帰宅が遅かったことから記事作成を止めようと思いましたが、他方で本日、記事投稿をすることにより総投稿記事数が1040となり、いくらの区切りとはなるため、遅い時間(23:47)を押して記事作成を開始した次第です・・。

さて、時折小説などを読んでいますと、ある人物を中心・基点として歴史の流れにも関与するような出来事が次々と展開するといったことがありますが、読者の冷めた視点にてそれを読むと『それらはあくまでも架空の物語であり、実際には存在しないであろう・・。』と思われるのです。しかし一方、実際の歴史から考えてみますと、幕末期の薩摩加治屋町周辺、長州萩の松下村塾といった、たしかに多士済々と評しても良いと思われるような地域・場所が存在することもまた事実であると云えます・・。

そこから、こうした現象つまり、ある特定の地域・場所に、その時代の動きを担う・駆動させる人物が集中して現れるということは、実際にあり、またそこには、何らかの必然性・原因といったものがあるように思われるのです。

そして、その原因について考えてみますと、それは、ある人間(複数でも)が持つ個性が他者に伝染したり、あるいは時に競争などによって、全体的にエネルギーに満ちた地域・場所といったものが形成されていくといったことではないかと思われるのです・・。
【ここまで書いていて不図想起したのは甲突川に架かる高見橋の母と子供の群像です・・】

また、そのように考えてみますと、さまざまな映画・ドラマ・小説などを舞台として活躍する歴史上の人物に対しての考え・視点も、いくらかは日常的なものへと変化するのではないかとも思われます。

とはいえ、日常的とは云っても、それは映画・ドラマ・小説などを鑑賞する我々の日常性ではなく、おそらく、過去の時代のエネルギーに満ちた地域・場所の日常性は、実際にそれを身近なものとして認識すると、そのエネルギー消費の方向性の違いに総毛立つ・鳥肌が立つといった恐怖・畏怖に近い感覚(ドン引き?)を覚えるのではないかと思われるのです・・(苦笑)。

そしてまた、それはエネルギーに満ちた地域・場所のみに限られるものではなく、そうした経験を経てきた人物が持つ、ある種危険とも云える煌めきのようなものに我々は半ば無意識に畏怖・感服してしまうといった性質があるのではないかとも思われます・・。それ故、古には預言者、後代には思想家・哲学者などが時代の権威筋から恐れられ、あるいは時に弾圧された主な理由は、さきの『そうした人物の持つ危険とも云える煌めき』が周囲の人々の考えを意外と容易く変えてしまうといった性質によるのではないかとも思われるのです・・。【『魔の山』に登場するゼテムブリーニ氏のような方であろうか・・】

また、本当の意味での人文社会科学系学問の恐ろしさ、また奥深さ・重要性は、そういったところにあるようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?


*ChatGPTによる添削後の文章
本日は帰宅が遅かったため、記事の投稿をやめようかと思いました。しかし、今日投稿すれば総記事数が1040記事となり、区切りがつくこともあって、23:47という遅い時間ですが記事作成を開始しました。

さて、小説などを読んでいると、時に一人の人物を中心に歴史の流れに影響を与える出来事が次々と展開することがあります。しかし、冷静に読むと「それは架空の物語で、現実にはありえないだろう」と思うことが少なくありません。しかし一方で、実際の歴史を振り返ると、幕末期の薩摩加治屋町や長州の松下村塾といった場所では、多くの有能な人物が生まれ、時代を動かしていたことも事実です。

このように、特定の地域や場所に、その時代の流れを担う人物が集中して現れる現象は、実際に存在し、その背景には何らかの必然性や原因があるのではないかと感じます。

その原因を考えると、ある人物や集団の個性が他者に影響を与え、時に競争が生じ、その結果としてエネルギーに満ちた地域が形成されていくのではないかと思います。ちなみに、ここまで書いていてふと、甲突川に架かる高見橋の母と子の像を思い出しました。

また、このように考えると、映画やドラマ、小説で描かれる歴史上の人物に対する見方も、少しは身近なものとして感じられるようになるのではないかと思います。

とはいえ、「日常的」という表現を使うとしても、それは我々の日常性とは異なります。むしろ、過去のエネルギーに満ちた時代や場所を身近に感じたとき、そのエネルギーの使い方の違いに対して、恐怖や畏怖に近い感覚を覚えるかもしれません。いわば「鳥肌が立つ」ような体験です(苦笑)。

さらに、この現象はエネルギーに満ちた場所だけでなく、そこから生まれた人物にも見られます。そうした人物は、ある種の危険な魅力を持ち、無意識のうちに畏怖や感服を呼び起こすのではないかと考えます。そのため、古代には預言者、後の時代には思想家や哲学者が権力者から恐れられ、時には弾圧されたのではないかと思います。彼らの「危険な煌めき」が周囲の人々の考えを容易に変えてしまう力を持っていたからです。【『魔の山』のゼテムブリーニ氏のような人物を思い浮かべます。】

また、こうした理由から、人文社会科学の本当の怖さや奥深さ、重要性があるようにも思われます。

ともあれ、今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

~書籍のご案内~
増刷決定!
ISBN978-4-263-46420-5


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前掲著作執筆者である師匠による歯科材料全般もしくは特定の歯科材料にしぼった勉強会・講演会などのご要望がございましたら、よろこんで承ります。師匠はこれまで長年にわたり大学歯学部・歯科衛生・歯科技工専門学校にて教鞭を執られた経験から、さまざまなご要望に対応させて頂くことが出来ます。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com 
どうぞよろしくお願いいたします。

数年前から現在までに列島各地、特に西日本において発生した大規模自然災害によって被害を受けた地域の諸インフラの回復そしてその後の速やかな復興を祈念しています。