2022年3月14日月曜日

20220314 株式会社プレジデント社刊 ボリス・ジョンソン著 石塚雅彦・小林恭子 訳「チャーチル・ファクター」 pp.195-197より抜粋

株式会社プレジデント社刊 ボリス・ジョンソン 著 石塚雅彦・小林恭子 訳「チャーチル・ファクター」 pp.195-197より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4833421674
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4833421676

チャーチルはイギリス精神、つまりは不屈の魂そのものに生まれ変わりつつあった。あのふっくらと丸みのある頬、陽気さが漂う上向きの唇、実直そうな目を思い浮かべていただきたい。200年以上にわたり、ヨーロッパのどんな敵に対しても、荒っぽくも陽気な典型的イギリス国民として描かれるあの恰幅のいい紳士、ジョン・ブルがチャーチルに乗り移ったかのようだった。チャーチルは18世紀のナポレオン時代から出版物やプロパガンダで使われたこの典型的イギリス人像を思い起こさせる資質をふんだんに備えていた。

 ずんぐりとした体型、陽気で騒がしく、贅沢な暮らしを愛し、多くの人がうんざりするくらいの愛国心がある。しかしこの度を超えた愛国心こそ、第二次世界大戦の危機の最中において、最も必要なものだった。チャーチルのライバルとされた政治家ハリファックス、チェンバレン、外交官スタッフォード・クリップス、イーデン、アトリ―。彼らの愛国心はその域には達していなかった。

 当時、ほかのイギリスの政治指導者がトミー銃を手にし、その姿を写真に撮られていたらただではすまなかっただろう(実際に、今でも銃を手にして写真を撮られるのは政治家にとっては絶対の御法度とされている。銃に触ろうものなら広報担当者が金切声を出すだろう)。どの政治家も銃を持って様になるほどの威厳に欠けていたし、チャーチルのような個性、外見、カリスマ、切れ味を持っていなかった。

 戦時に国を主導し、深刻な不安感が広がるなかで国民を一つにまとめるには、政治家は、深く感情に訴える手法で「国民とつながる」必要がある。抗戦する理由を論理的に訴えるだけでは十分ではなかった。勇敢であれと強く勧めるだけでは不十分だった。

 国民を振り向かせ、励まし、焚き付ける必要があった。国民を笑わせ、さらに敵を笑えるようにできればなおよい。国民を動かすには、チャーチルは国民とイギリスの基本的な国民精神ともいうべきものを通じて、どこかで一体になる必要があった。

 ではイギリス人の主たる特徴とは何か。イギリス人たち自身にいわせればこういうことになろう。まずはどこかの国の人々とは違って、素晴らしいユーモアの感覚がある。シェークスピアが「オセロ」で酷い飲酒の歌をイアーゴやカッシオに歌わせてからというもの、イギリス人はオランダ人を泥酔させ、デンマーク人を酔い潰すほど酒が強いことを誇りとしてきた。イギリス人はまた、過度にやせている人には若干の不信感を持つ傾向がある(今やイギリスは世界第二の肥満体国だ)。そして一般的に、イギリス人は、自分たちの国は奇人、変人、変わり者の宝庫であると考えている。

 チャーチルの山高帽の下には、ユーモア、大酒のみ、肥満、変わり者という四つの特徴すべてが収まっていた。1940年時点でのチャーチルの役割を考えると、興味深いのは彼のこうした性格がそれだけ作為的だったのかという点だ。すべてが完全に無意識に自発的に発生したのだろうか?あるいは、チャーチルは本当に自己演出、情報操作の達人だったのだろうか?

公の場でのチャーチルの光り輝くような個性は、チャーチル本人とその関係者がつくった伝説であったという見方をする人は少なからずいる。ただひとついえるのは、チャーチルの不遜さ、時に棘のある機知といった性格はまさにジョン・ブルそのものであった。


20220313 地域を特徴付けるものの考察と日常経験としての読書の意味

これまでに作成した【架空の話】にて、苗字から、その方の出身地を類推する描写がいくつかありましたが、こうした興味自体は、以前、ホテルにてフロントとして勤務していた頃からあり、たとえば、ある地域からの団体宿泊客が来訪の際、その添乗員もしくは幹事の方から、宿泊客の名簿をお預かりすることが多く、その名簿を眺めていますと、ある同じ苗字が複数見つかることがあり、そして、そうしたことが続きますと、次第に「ああ、この地域には、この苗字が多いのか・・。」といった、ある種の抽象化を行うようになります。

一たび、そうした抽象化を覚えますと、今度は、それをホテル宿泊客以外の日常生活においても用いるようになり、あまり多くはありませんが、その方の苗字から、出身地域を見出したこともあります。さらに、これまた、いくつかの記事にて述べましたが、ある地域に在住し、しばらく経ちますと、その地域特有の顔貌の傾向の種類なども、ボンヤリとながら分かるようになり、それはまた、n数が増えることにより、そのボンヤリが、わずかに明晰化され、そして、より実感として、さきの苗字と同様「ああ、この地域には、こういった顔貌の傾向が多いのか・・。」といった感覚を得るに至りますが、それでも、こうした認識には総じて「完全」というものはなく、とにかく、具定例としてのn数を増やしていくことにより、その精度を徐々に上げて「完全」に近づけるのが最善であるように思われます。

さて、この「顔貌の地域性」ですが、それらしき感覚を覚えるようになったのは、これもまた南紀でのホテル勤務の頃であったと記憶しています。南紀白浜は、古くからの温泉地であり、また海水浴場もあることから、特に夏季での観光客が多く、また勤務ホテルに隣接する白良浜の一帯は、さらに人口密度が高く、その中を行き来しつつ、フロント業務を行っていました。また、この時季はホテルとしては書入れ時でもあり、あまり休日も取れず、たしか22日間以上の連続勤務もありました・・。とはいえ、こうしたことは、現在になって責める気は全くなく、また、当時の我が国の少なからずの企業は、実質的には、そのような感じであったのではないかと思われます・・。

そうした視点からすると、たしかに我々の社会は変化しているのだと実感しますが、ともあれ、ハナシを「顔貌の地域性」に戻しますと、その後、大学院生として今度は和歌山市内に在住、生活をしていますと、また、そうした関心が生じてきましたが、この時は「顔貌」に、その関心を集約させることはなく「他の地域を特徴付ける(説明し易い)事物を見出そう」と考え、その対象としたものが、当ブログにて何度か述べている銅鐸でした。銅鐸への関心自体は、それ以前の南紀在住時からあったものの、それはいわば漠としたものであり、地域を特徴付ける事物として認識はしていませんでした。とはいえ、後になって考えてますと、そうした方向性の志向や統合を受けていない、いわば「混沌とした知覚の状態」といったものが、さまざまな実験曲線でのプラトーのようにあるのではないかとも思われてくるのですが、ともあれ、こうして私は、日常的な経験から銅鐸を当地域を特徴付けるものと設定した次第ですが、その背景には(一応)日常的な経験として、銅鐸に関する記述のある書籍を読んでいたということがあります。そして、ここまで作成していて、日常的な経験として、あまり実生活には密着し過ぎないで、且つ、ある種の事実を記述した文章を読み続けることが、意外と重要であるように思われてきましたが、さて如何でしょうか。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

順天堂大学保健医療学部


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ISBN978-4-263-46420-5

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