2017年9月1日金曜日

20170831 通史ものの書籍を読んでいて思ったこと・・

本日八月最終日の首都圏は断続的に雨が降り、また気温も上がらず、八月としてはかなり冷涼な一日であったのではないかと思われます・・。

さて、先日より読み進めております上下巻より成る通史ものの著作は、残り100頁程度となりましたが、小説、物語などと違い、大団円などといったものはないようであり、このままの調子にて比較や分析に終始するのではないかと思われます・・。

この著作を読みつつ、文中にてこれまでに知らなかった知見に出会うと、その都度、その箇所に横線を書き入れ、あるいは頁に折り目などを入れておりますが、現在になり、これら箇所を振り返りつつ眺めてみますと、やはりそれなりに面白く、自身がその箇所に横線を記入した理由も納得出来ます。また読了の後も、機会を見つけて再読してみようと思います・・。

また、この著作を読んでいる際に内容を思い起こさせる他の著作とは多々ありますが、とりわけ多いと感じたものはフレーザー著『金枝篇』、金関丈夫著『日本民族の起源』、石田英一郎らによる同名著作、あるいは岡正雄論文集『異人その他』といったところではないかと思われます・・。

とはいえ、斯様に思いかえしてみますと、どうも私を含めて我々日本人とは純粋に遺伝子、血液型の分布といった(情動的要素を伴わない)理系的とも云える要素についての自民族への分析、考察とは躊躇なく客観的態度にて行うことが出来るものの、そのさらに上に築かれる文化についての分析、考察とは情動的価値感が惹起せられることにより躊躇するのか、あるいはあまりにも日常的過ぎて、対自的な存在として認識することが困難になってしまうというような傾向があるのではないかと思われるのです・・。

そして、何といいますか、それに対してツジツマを合わせるようにどちらかというと(扱い易い)比較的皮相的な歴史ネタを散りばめた種々アイコン、文化事物を生みだすといった事態になるのでしょうが、とりわけ昨今の我が国社会にて広く見受けられるタイム・スリップ、タイム・リープものとは、あるいは興味へのきっかけにはなるのかもしれませんが、しかし、こうした『分かり易さを核として急激に凝集する』ことは、いつもの我が国の流行ものの伝で、結局のところ、早晩のうちに忘れてしまうのではないかといった危惧をおぼえるのです・・(苦笑)。

しかし、こうした傾向とは見方を変えてますと、勘が良い、察しが良い(空気を読む)ということにもなると思われますので、そうしたことからも、何と云いますか、自身をも含めて我が国のなかなか変えることの難しい根の深い習性らしきものを感じてしまうのです・・(苦笑)。

それ故、私見としては社会全体として生活の資になり易い理系学問分野に注力するのは大変結構ではあると思うのですが、その一方で、もう少し、こうした(観念的な)ことを嗤わずに考える習性を自然と身に着けていくような工夫が為されたら良いのではないかと思うのです・・。

しかし、そうしますと、そうした工夫が本職であるはずの文系研究者の方々の多くとは、自身がようやく手にすることが出来た正規の研究者という地位に安住、惑溺してしまい、こうした、いわば泥臭いことをスッカリ忘れ、心身ともに爽やかな存在になってしまうことが多いのではないかとも思われます・・。

いや、たしかにその方が(我が国の場合)女性はハナシを聞いてくれるのでしょうが・・しかし同時に、その内容や実効性については当人自身も余程自己欺瞞をしていなければ『至極あやしいものである』と気付いているのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・(苦笑)?

他方、反対のキャラクターを押し通すと洗礼者ヨハネのようになってしまうように思います・・(笑)。
(また、少なくとも近代以降の我が国に本格的な哲学、思想などが生まれ得ない大きな原因は、このあたりにあるのではないかとも思われます・・。)

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまでに生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域での諸インフラの復旧・回復そして、その後の復興を祈念します。」