2016年1月15日金曜日

20160115 性格、性質の根源および教育などについて

A「最近求職活動の方は順調ですか?」


B「ええ、まあボチボチ動きはあるのですが、まだ口外できる程のものではありません・・しかし以前よりも何故だか少し進展しやすくなってきたような感じを受けるのですが、これは景気の為でしょうかね?」


A「・・それはよくわかりませんが、比較的順調に進んでいるのでしたら良いと思います。
あと他に何か変ったことなどはありましたか?」


B「・・そうですね、これまで何度か学位など持っていなければ良かったと求職活動を通じて思いましたが、それは今考えてみますと、もしかしたらブラック企業避けの意味はあったのではないかとも思います・・(苦笑)
ですから、これはこれで良かったのかもしれません・・未だその判断をくだすことは難しいですが・・。
ともあれ、文系、理系何れであれ、学位とは、あれば、あった方が良いのかもしれません・・。
まあ、私の場合かなり特殊ではありますが・・(苦笑)
それと、つい先日、履歴書を手書きで書き、出来上がったものを見てみますと、我ながらその悪筆ぶりに多少辟易としたのですが、このことから、手書きの文字は上手い方が良いとは思いますが、しかし一方において、悪筆であることを常識的でないと見るような傾向があるとすれば、それは迷信に類する偏見であるのではないかとも思うのですが・・。
そのことを自身に即していいますと、私は自然な悪筆を生む左利き(笑)であり、且つ周囲にいうとあまり良い顔をされない血液型の代表であるB型でもあるのです・・。
この二つの要素が重なると変っていると思われるのが通例であり、このことに関しては私自身一時期多少深刻に悩んだこともあります・・(苦笑)
しかし、私の師匠の御一人もこの二つの要素を兼ね備える方であり、また、そのことを周囲に誇り「左利きのB型は天才肌である。」と仰っていて、そこから単純に勇気を与えられ、その後益々この師匠を師事することにしました()。」


A「・・ううむ、私もたしかに手書きの文字はあまり自信がなく、むしろ逆に積極的に下手な方であると思いますが(笑)、それでもそこから何かしらの実害をこうむったような経験は無いような気がしますが・・。
また、その「左利きのB型は天才肌」というのは本当なのですか?」


B「その点は私自身検証したことはないので、何ともいえませんが、ただ、その師匠はやはり様々な意味で突出している才能を持っておられるのではないかと感じさせることが多くありました・・。
具体例は個人特定になるかもしれませんので言いかねますが・・。
また、私に関していえば、おそらく才能、知能の明暗が割合はっきりしているのではないかと思います・・。
ですから就く仕事に関しては、かなりシビアに選択しなければならないのではないかと思います・・。
これを「わがまま」といわれたらそれまでなのですが、一方誰でも自信を持って自身の仕事をしたいと思うことは自然であると思いますので、それは何といわれようとも、単なる干渉の域を出ないのではないかと思いますが・・。
ともあれ、私の場合、具体的には何故だか学校の成績とは関係なく歴史、社会は変らずに好きでした・・また途中から現代文なども好きになって行きました・・。
ですから徐々に好きになってゆく科目が増えていったような気がしますね・・。
そして、その核となったものが私の場合やはり歴史、社会であったのではないかと思います・・。
また、その原因とは構造主義的に考えれば周囲の環境であり、具体的には、そういった知識、世界観を面白く話してくださる方々が多かったからではないかと思います・・。
その意味において、さきの師匠もAさんも同様に私に対し、かなり大きな影響を与えてくださったのではないかと思います・・。
しかし同時に私の場合、一つの研究分野における圧倒的な知識およびその自覚といったものがなく、それが私の強みであり同時に弱みではないかと思っています・・。」


A「ふーん、そんなものですかねえ・・。
まあ、それでもたしかにBさんはこれまでに幾つかの学問分野を横断してきたことから、周囲には様々な分野の方々がいると思うので、そこからBさんのようになるのはもしかしたら自然であるのかもしれませんね・・。」


B「ええ、それに加えて私個人の自覚、知覚として修士院生の頃に様々な専攻の院生達が集まり、色々と議論した経験がその後大きな影響を与えたのではないかと思います・・。
そして、その経験がなければ、先ほどの左利きのB型の師匠に巡りあうことも出来なかったと思いますし、また様々な貴重な経験を得ることもできなかったのではないかと思います・・。
ですから私からすれば、修士院生時のこの議論の経験とは、決して意図された作為的なものでなく、自然な流れでそうなったと思うのですが、実はそれが大変良かったのではないかと思うのです・・。
そして、この個人的経験を踏まえ、思うことは、現在の特に地方国公立大学に対する文系不要論的な圧力により、各々地方に根差し成長を遂げてきた大らかな、自由度の高い知性の発展を促すメカニズム、仕組みが大幅に阻害、封殺されてしてしまうのではないかという危惧です・・。
そして実はこのメカニズム、仕組みこそが戦前からの各地の文化に根差した旧制高校大学予科旧制高等専門学校そしてその後継の高等教育機関が有していた良質な文化の真髄ではないかと思うのです・・。
しかしながら、たしかにこうした意見は単なるアナクロニズムセンチメンタリズムに基づくものであると考えられるかもしれません、ただ、こうした意見を云わせる程に現在の特に文系の高等教育機関を巡る状況は変転しつつあるのではないかと思うのです・・。」


A「・・・たしかに現在の高等教育機関の特に文系分野における状況は芳しくないでしょう・・。
そしてそれに対し唯々諾々と従わなくてはいけないことに憤りに近いものをおぼえることもあります・・。
しかし、私はこうした状況とは、たとえ少子高齢化が進行するとしても、そんなに長く続くものではないのではないと考えます。
各々の高等教育機関が本当にその地域の文化に根差したものであるならば・・。」


B「ええ、結局それも各々組織が立地する地域の日常的な文化との係わり合いが分水嶺、分岐点になるのだと思います・・。
ともあれ、これは決して楽観視はできないと思いますが・・。」

20160114 反知性主義・・?

A「最近首都圏は冷えますが、元気でやっていますか?」


B「ええまあ、お陰様でどうにかやっています。

それにしてもどうも最近ブログのネタがまた浮ばなくなってきてしまいました・・。
特にスランプで落ち込んでいるというわけではないのですが、ただ何となくネタが浮ばず、筆が進まずに「こういう状態もあるのだな。」といったところです。」


A「それでしたら、そういう状態をまたブログで正直に書けば良いのではないでしょうか?
そしてそれを書いているうちに、また何か面白いネタが浮んでくるのではないでしょうか?
しかし、それはそうと求職活動の方はその後何か進展はありましたか?」


B「そちらの方は多少動いてはいますが、相変わらず予断を許さない状況で、また何か進展がありましたら御連絡します。

A「はあ、そうですか・・
私個人としてはBさんみたいな人がもっといてもいいとは思いますよ(笑)。
というのは、現代の全学問分野での特徴の一つとはBさんみたいな学問的な意味での両生類()みたいな人が極端に少ないことではないかと思うからです・・。
こうした変な人がアカデミアに少しはいないと面白くないですからね()。」


B「・・ううむ、たしかに私はキワモノですから、そうした立ち位置をいただくことが出来ればそれこそ水を得た両生類あるいは雨を得た河童のようになることが出来るのではないかと思います()
しかし、そう考えてみますと、明治から昭和前半あたりまではそういった人が案外多くいたのではないかとも思いますが・・。
そうすると何だか丸山真男タコツボ文化の話を思い出してしまいますね。」


A「まあ元が同一であっても学問分野の専門化が進展した結果、それら分野がササラ状になっていったのでしょうが、今度はそれらササラの要素を何らかの枠組みを用いて統合出来るような人が出て来れば良いのですが・・。
そういう人があまり出て来ないのが現状なのでしょうね。」


B「・・たしかに統合は難しいとは思いますがニッチとしての理系、文系の間に立ち位置を見出すことは不可能ではないと思います。
一方、現在為されている高等教育への施策の方向を考えてみますと専門性での研究教育を重視しているように思えますから、これは難しいのではないかなとも思いますが・・(苦笑)
しかし、それでも高等教育の本質的理解には、そうした文系、理系を見渡せる複眼的な視野が必要不可欠であるとは思いますので、いずれ何らかの形でそのぶり返しは生じるのではないかと思いますが・・。」


A「ええ、現在特に地方国公立大学などでは文系不要論的な圧力が強いようですからね・・しかし、おっしゃる通り、こういった動きとはそこまで長く続くものではないと思います。
こうした傾向とは、いってみれば俗論との結託による文化大革命ポル・ポト派による大虐殺などと、その根源的な心情における動機においては大差無いとも見てとれますからね・・そして、そういったものは大抵どこかで反作用が生じるのではないかと思います。
ただ、その反作用がどのような形で生じるかについては予測がつきませんが。」


B「ええ、その御意見については同感です。
しかし一方、こうした意見とは、私の場合「そこまでして自分の立場を正当化するのか?」ともとられかねないので、あまり口に出してはいえないですがね(苦笑)
そうしたことからブログなどでそういった考えを述べることが出来るのは案外便利ではないかとも思います。
しかし、そうするとまた嬉しからぬ反作用が別件逮捕的に生じる可能性があるところが我が国のウェッティーなところではないかと思います
ともあれ、こうした危惧も畢竟、自意識過剰の所産ではあると思いますが・・(苦笑)。」


A「・・何だかトーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」を彷彿とさせるような意見だけれども、我々は芸術家ではないからね・・。
それでも、そうした社会多数派の同調圧力を成分的基礎とする、場合によっては相手を死に追いやっても省みないような試練を投げかけるメカニズムとは一体どのような内部構造をしているのだろうかね?
また、そうしたものが目には見えないものの厳然と存在していることを認めながら、一方において道徳やら倫理を説くのはどうもナンセンスなような気がしなくもないですね(苦笑)。」


B「ええ、そうした二面性とは、自分が強者であると思っている方々には手放しがたい魅力を持っているというか、一種の力の源泉なのではないでしょうか?
ですから、そういった方々にこそ、そうですねカミュの「転落」あたりを読んでいただければ良いのではないかと思いますが・・まあ難しいですね(苦笑)。」


A「科学技術の進化発展と経済的繁栄が密接に結びついていた頃は日本人の宗教的制約が少ないことは有利に作用していたのかもしれませんが、現在のような社会状況においてそうしたことは逆に悪く作用するのではないかと思います・・。
こうなると特に都市部においては相互不信を基調とする個人主義の社会を招来し、その将来とは暗澹たるものになってしまうのではないかと思います・・。」(時計仕掛けのオレンジ)


B「ええ、そうした社会にならないためにこそ、一見経済的有用性を見出せないような文系学問分野の存在価値があるのではないでしょうか・・?
そういった学問分野に対し即物的判断をくだし、乱暴にことを収めようとすることは、さきにAさんがおっしゃったように歴史上多く見られるのですが、どうやら我が国もまた同じ轍を踏みそうな感じがしますね・・杞憂であれば本当に良いのですが。」