ラベル 400以上 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 400以上 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年11月5日水曜日

20251104 黎明期の試作機である私について

 当記事を含めて、残り2記事の投稿により、当面の目標としている2400記事に到達します。さて、以前にも当ブログで述べたことがありますが、私は2007年に修士(経済学)を取得後、歯科技工専門学校に入学し、歯科技工士としての専門教育を受け、2009年に歯科技工士免許を取得して、歯科生体材料学を専攻分野として大学院博士課程に進学、2013年に博士(歯学)を取得しました。

 現在では、国内に4年制の歯科技工士養成課程を有する大学が2つあり、広島大学が2005年、東京科学大学(旧・東京医科歯科大学)が2011年に、それぞれ設置されています。それ故、私が博士号を取得した2013年当時、仮に最初の学士課程の入学生が順調に進学されていたとしても、博士課程3年目にあたる段階であり、修了には至っていなかったと見込まれます。つまり、その時点で修士課程を経て課程博士を修了した歯科技工士の事例はほとんど存在せず、私の修了は、ごく初期、あるいは日本初であった可能性もあると考えています。

 キャリアパスが整備される以前に、異分野の修士課程を経て、歯科技工士として進学が妥当と云える歯学分野の博士課程に進み、どうにか修了にまで至ったことは、巨視的に見れば、我が国の歯科技工士教育と歯学分野の学術研究とを結節する、ごく初期の試みであったと云えます。

 現在では、4年制大学での課程を卒業された歯科技工士の方々が、大学院修士課程、さらに博士課程へと進学する事例も聞かれます。そうした整備された道を歩まれてきた方々と比べますと、私などはまるで、黎明期の試作機、あるいは不格好な多砲塔戦車のような存在と云えるかもしれません(苦笑)。しかし、そうした時期であったからこそ、特有の創意や自由闊達さもまたあったのではないかと思われます。

 とはいえ、その過程には以前にも述べました通り、さまざまな困難があり、決して順風満帆なものではありませんでした。そうしたなか、2012年、教授(師匠)も准教授の先生もおられない状況で、担当させていただいた鋳造および鑞付けの歯科理工学実習では、研究室の先生方からご許可を頂き、人文的な話題を随所に交えながら実習を進めることができましたが、これは余程、自分の性質に合致していたのか「それまでの人生がこのためにあったのだ!」と感じられるほどの経験であり、それだけに、今なお強く記憶に残っています。

 それでも、学位取得後の道のりもまた、決して平坦なものではなく、まさに紆余曲折を経るものでした。黎明期の人間として、その不完全さなどネガティブな面全てを含めて、まあ自分らしい経路であったのではないかと思われるところですが、今後は、これまで培った経験を活かしつつ、若い世代の医療専門職の方々が、より自然に人文書に興味を持ったり、臨床と研究とを往還出来るような環境の整備に微力ながら関わりたいと考えています。

今回もまた、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございます。


一般社団法人大学支援機構

~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。













2023年5月28日日曜日

20230527 ブログ2000記事到達に際して

当記事の投稿により、総投稿記事が2000に到達します。当ブログをはじめてから約8年ほどで2000記事の投稿と考えてみますと、その期間は、10日間のうち6~7日は1記事投稿してきたことになりますので、私としては思いのほかに継続したのではないかと思われます。とはいえ、現在、当記事を作成していても、感興や感慨のようなものは皆無と云えます。

また、以前、当ブログにて自分にとって転機となった南紀での経験を述べてみたいという考えから作成した【南紀について】は比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆さま、どうもありがとうございます。また、大学関係者の方々で、新たな医療介護リハビリ系の専門職大学あるいは科学技術大学院大学などの設置を検討されていましたら、南方熊楠が後半生を過ごした口熊野とも呼ばれる紀伊田辺は、南紀白浜温泉にもほど近く、風光明媚であり、教育・研究の環境として悪くないと思われますので、類似した環境と云える紀伊半島南部の東側の新宮と併せて是非、ご一考頂ければと思います。

さらにもう一つこじつけますと、紀伊田辺・新宮双方から通じている熊野本宮大社の主祭神は、家都御子神または家都美御子神(けつみ(み)このかみ)ですが、実は、これは出雲系の神である素戔嗚尊のことであり、この神は、木の国だけに樹木の神であると同時に、穀物の神でもあることから食の神とされています。そして実際に紀州・和歌山は、鰹節や醤油などの我が国の食文化には欠かすことの出来ない食材の発祥の地であり、さらに伝統食品である梅干しの生産量もダントツの首位であることから、語義通り、日本の味のルーツが今なお息づいている地域であると考えます。

そして、前段が幾分長くなってしまいましたが、こうした文化的背景を持つ地域に、食材の専門家である管理栄養士を主軸として、それに関連する職種と云える歯科衛生士などの医療介護リハビリ専門職を養成する学費が安価な高等教育機関(専門職大学)を、ある程度の規模の病院など医療機関がある紀伊田辺・新宮双方に設置しますと、西日本・東日本双方の受験生にも対応出来て、とても良いのではないかとも思われます。

そして、それら専門職大学では、各々専攻する専門職の養成課程科目と語学課目とは別に、各学生さんの内発的な興味に即した人文系の自由研究科目を必修として、それを在学期間を通じて学び続けるようなカリキュラムにすることにより、これまでとは少し異なった知的背景を持つ専門職の方々を養成することが出来るようになるのではないかと思われるのです。

以前、当ブログにて自らのことを「私は課程博士を修了した初めての歯科技工士ではないか?」と述べましたが、その路程は兄の死や、指導教授(師匠)の予期せぬ退職などが重なり、それなりに辛いものでしたが、同時に歯科理工学実習にて鋳造や鑞付けを担当させて頂き、2012年からは教授も准教授の先生もいない状況下にて、実習書や教科書に記載の情報以外は、人文系ネタを随所に散りばめつつ実習を進めることが出来たことは、自分の性質に合っていたのか強く記憶に残っています。

学生さんとしては、実習にて30歳過ぎのオッサンの本能と知性が噛み合って駆動している様子を、何やら「おかしなもの」として見ていたのではないかとも思われます・・。実際、私が人文系ネタを話しながら、実習手順や使用材料などについて説明していますと、後ろから小声で「民明書房刊・・」と聞こえたこともありました・・(苦笑)。

しかし他方で、自分としては最も多く人文系ネタを散りばめた実習を行った2012年度の実習後から2013年初旬にかけて、どうしたわけか、休日での市内の散歩や、喫茶店での読書の際に、実習時に担当した学生さんから話し掛けられることが何度かありました。

若い女性が町なかで、数度の面識しかない中年男性に話し掛けることは、あまり一般的な行為ではないと思われますので、ありがたいことであるのか、ともあれ、少なくとも危険視はされていなかったのではないかと思われます・・(笑)。

また、そこでの会話のさなかに、性懲りもなく人文系ネタを話してみても興味深そうに聞いて頂き、また、私としても、その都度のご質問にも、あまり逸らさない返答が出来たのではないかと記憶しています・・。

そして必修である実習以外の場面で、自分が話す人文系ネタを面白そうに聞いて頂けたり、それに対しての質問などの知的な反応を頂いたという経験は、それまで人文系を背景とする歯科技工士の大学院生として、あまり良い目を見たことがなかった私としては、それなりに画期的、いや革命的なことであり、以前にも述べましたが、そうしたいくつかの経験が複合的に作用して、今回の2000記事達成に至るのだと云えます・・。

とはいえ、であるからと云って、私はその学生さん達に恋慕しているわけではありません。おそらく、彼女等の多くは、鹿児島弁でいうところの「よかおごじょ」らしく、比較的早くに結婚されて、現在は子育てをされているのではないかと思われます。しかし、それらの方々が10年前の学生時代の実習時に、変なことを話していて「何だか面白そう・・」といった感じであるのか、町なかで話し掛けた中年男性は、8年近くかけて2000記事のブログを作成程度のことはしたということで、各々の「見る目」のご参考にして頂ければと願うところです・・。

おかげさまで(どうにか)2000記事に到達することが出来ました。そして今後はしばらく記事作成を休もうと考えていますが、また思いのほか案外早い時期に再開してしまうのではないかとも思われます・・。

そして2000記事到達となる今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。



















2023年2月8日水曜日

20230207 光文社刊 宮台真司・野田智義著「経営リーダーのための社会システム論 構造的問題と僕らの未来」 pp.189‐193より抜粋

光文社刊 宮台真司・野田智義著「経営リーダーのための社会システム論 構造的問題と僕らの未来」
PP.189‐193より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4334952933
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4334952938

宮台 スローフード運動は、1986年、イタリアのローマにマクドナルドの第1号店がオープンした際、市民の間え「僕らはパニーニを食べるんだ」という声が上がり、反対運動がわき起こったのをきっかけに発展しました。99年8月には、ジョゼ・ボヴェという有名なフランスの農民活動家(現欧州議会議員)がマクドナルド店舗解体キャンペーンを始め、その様子は世界中に伝えられました。人間が社会の、あるいはシステムの奴隷になってしまうのを避けようとする戦略的な運動は、90年代をピークに一定の広がりを見せたのです。

 しかし、その後の運動には陰りが見え始めます。それは、とりわけ90年代半ば以降のグローバル化の急進展で、地元商店が大規模資本の直営店やフランチャイズに置き換えられて、ファストフードが雇用を生み出す重要なシステムとして見直されるようになったためです。2018年には、フランス、マルセイユ郊外のバルテルミー地区で、地域経済の落ち込みによってマクドナルドの閉店が決まると、住民たちが「閉店反対運動」を起こしました。

これは、残念であると同時に、非常に重大な展開です。共同体が共同体であり続けるための条件はいろいろありますが、そこには経済的環境も含まれます。具体的には、グローバル化の影響による格差拡大で貧困化が進んだコミュニティでは、人々は生きていくためにあえてシステム世界を選択せざるをえず、それによってコミュニティはますます壊れて、ますますシステム世界に依存していきます。ヨーロッパ的アプローチの限界はそこに表れています。

 マクドナルド化をディズニーランド化で埋め合わせる

宮台 これに対し、アメリカではシステム世界を重視し、システム世界の全域化そむしろ徹底しようとしています。

 移民国家アメリカの社会は多人種・多民族で構成されており、人間関係は互いを知らないという「不信ベース」で成り立っています。人間集団の基本は、同じ価値や目的を持つ人たちが集まるアソシエーション(組織集団)で、行動に責任を負うのはあくまでも個人です。また、キリスト教原理主義の国なので、人々は神に見られていると感じており、汎システム化によって人間が経験する精神的不安定にも比較的耐性が強い土壌が備わっています。

 システム世界の全域化を徹底するアプローチは、こうした歴史や文化を反映したものです。一口で言えば、成員が「動物」でも回る社会の仕組みを構想しようというものです。ここで「動物」というのは、不快を避け、快に向かう性質を持つという意味です、つまり、人々の内発的な善意ー良心ーを用いる代わりに、アメとムチだけでなく、快・不快の巧妙なコントロールを行うアーキテクチャ(仕組み)による管理下を進めるという戦略です。

 飲食店を例に取ると、大資本の直営店やフランチャイズ店では、BGMの音量、照明の明るさ、座席の硬さ、家具や調度のアメニティを使って、客の滞留時間をコントロールし、単位面積当たりの収益率を上げようとします。客は、そうした戦略に気づかず、「疲れたな」とか「飽きたな」と感じて、主観的には自発的な選択として店を出ますが、そうした自発的な選択がアーキテクチャによってコントロールされています。ローレンス・レッシングは「CODE-インターネットの合法・違法・プライバシー」(山形浩生・柏木亮二訳、翔泳社、2001年)という著書で、これを「アーキテクチュアル・パワー」と呼びます。

「人間が快・不快を感じる動物でありさえすればよい」とするこうしたアプローチは、収益率上昇にとっては有効ですが、副作用をともないます。こうしたアーキテクチュアル・パワーを用いたシステムは、客の常識的な価値観を一切当てにしないので、システム世界の全域化が進んでいけば、社会はその分、さらに「不信ベース」になりがちです。

 そうした流れを象徴するのが、モンスター・クレーマーによるカスタマー・ハラスメント(顧客・取引先からの嫌がらせ・過度クレーム)です。不信や不安が原因で、損得勘定に過剰に敏感になって、些細な不利益でヒステリーを起こす人が増えるのは、システム世界の全域化にともなう当然の副作用です。

 そうした副作用にどう対処するのか。アメリカ的アプローチでは、システム世界の全域化による副作用には、システム世界の全域化の徹底によって対処します。アメリカのマクドナルドでは、商品を受け取るまでの時間が長いことを理由に店員を殴ったクレーマー事件が発生すると、すぐさま警察に突き出して解決します。警察=行政というシステムで解決するのです。さらに、Airbnbなどでは、プロバイダーのみならず、消費者・ユーザーの振る舞いも評判スコアにカウントされますが、そうしたシステムを使うわけです。

 ここから少し話を進めます。マックス・ウェーバー研究で知られる社会学者ジョージ・リッツァは「マクドナルド化する社会」(正岡寛司監訳、早稲田大学出版部、1999年)という本を書いています。元になっているのは1980年代に書かれた論文ですが、そこで彼は「マクドナルド化(McDonaldization)」と「ディズニーランド化(Disneylandization)」という言葉を使います。

 リッツァの言う「マクドナルド化する社会」とは、人間が「動物」でありさえすれば回るような脱人間化・没人格化・損得化が進んだ社会です。そういう社会では、人々は「かけがえのない人間として扱われたい」という感情を無視されることで疎外感や不安感を抱くようになり、カウンセリングを受けなければ押しつぶされてしまうような心理状態に置かれます。

 それを対処するために使われるのが「ディズニーランド化」、すなわち祝祭的消費に因る感情的回復です。アメリカでは、マクドナルド化によって人々が抱くようになった疎外感や不安感を、ディズニーランドによって与えられる祝祭体験で埋め合わせることで、人々が感情的に破綻してシステム世界からこぼれ落ちることがないようにしているのだ、というのがリッツァの図式です。

 そこには「システムがつくり出した裂け目を、システムで埋める」というシステムのマッチポンプがあり、人間はマッチポンプの素材へと貶められています。そこには、人間を動物のような制御対象と見なすシステムの自己運動があるだけで、社会の主人としての人間という存在はほとんど完全に消え去っています。われわれの尊厳は、果たしてそれで保たれるのか。保たれないからこそ、トランプ現象や、Qアノン現象のような陰謀説のまん延があるのではないでしょうか。みなさんにじっくり考えていただきたい点です。

2022年12月11日日曜日

20221211 【空想】新たな医療介護系専門職大学の立地について

ここ最近寒くなってきたためであるのか、先日少し体調を崩してしまい、直近数日間はブログ記事作成はしませんでした。とはいえ、先日述べた目標である「年内での1920記事到達(±5程度)」を達成するためには、さらなる記事作成を要します。また、以前にも述べました通り、引用記事にて、あと10数記事作成して1920記事まで到達することも可能ではありますが、さらに先もあることから、ここは自らの文章による記事作成にて進めた方が良いと考えました・・。現在は特にスランプでもなく、単に体調が万全ではない程度であり、作成を始めれば、どうにか波に乗ることは出来るであろうと踏んで始めた次第ですが、はじめの勢いにて、この程度まで作成することが出来れば、とりあえずは及第であると云えます。

さて、以前に何度か当ブログにて述べてきたことではありますが、今後、高齢化が進む社会への対応にくわえ、国際的な競争力向上のためにも、我が国は、その国民性とも云える此岸的性質を善導して、英語あるいは中国語を用いることが出来る、より多くの医療介護専門職の養成を行うことが効果的な施策であると考えます。

とはいえ、既存のそれら専門職の養成機関である大学や専門職大学や専門学校が、軒並み、新たな学部や学科を新設することが可能であるかと考えますと、それは困難であると思われます。そこで、ツイッターで私の固定ツイートにて述べている「半官半民での学費が安価な医療介護専門職大学の新設」が(もう少し)検討されても良いのではないかと思われるのです・・。

そして、ここからは空想になりますが「では、その専門職大学は何処に設置するのか?」と考えてみますと、先ずは学費を安価にするため、教員の多くは、若手の成りたての研究者と、一度、定年退職をされた大学研究者・臨床家の先生方に就いて頂くのが良く、またその立地は、国内の比較的温暖で温泉があり、また近隣に学生の臨床実習のための医療・介護施設が既にある場所が適当ではないかと思われます。

そうしますと、その具体的な候補としては、静岡県東部の伊豆地域と、南紀白浜を含む紀伊半島南部地域が挙げられるのではないかと思われます。これら地域のうち伊豆地域では既に医療系学部がいくつか点在しておりますが、それらの大学にて養成を行っていない専門職の養成であれば、地域的にも、既存大学側としても、あまり問題はないと思われます。むしろ、進学先の候補ともなる地元の高校生にとっては喜ばしいことであると思われます。またもう一方の南紀地域は、私自身がそこで何年間か在住した経験から、この地域は近代以降より高等教育機関が乏しく、大都市圏と云える大阪に比較的近く、県庁所在地がある和歌山市以南では、たしか中紀の御坊市に和歌山工業高等専門学校が立地するのみであったと記憶しています。

くわえて、古くからの温泉地である南紀白浜に隣接する自治体の一つが紀伊田辺であるのですが、この紀伊田辺はあまり多く聞くことはない地名であるかもしれませんが、江戸期においては、徳川御三家の一つ紀州徳川家の御附家老である安藤氏が治める3万8千石の城下町であり、また近代以降においては、我が国が誇る博物学者である南方熊楠(和歌山市出身)が後半生を研究活動をしつつ過ごした場所でもあります。

つまり、その仔細な地域の精神的背景は未だ明確には分かりませんが、私の感覚として、当時の紀伊田辺は、あまり大きくない地方の街としては立派な書店がいくつかあり、また城下町の一つの特徴と云える地域にある老舗の和菓子店(織豊期以降の武家文化と茶道には親和性があり、そして茶道があれば和菓子店が必要となる)もあり、ありきたりな表現となってしまいますが「古き良き日本」がいまだ遺っている地域であると云えます。

こうした地域と高等教育機関である大学との相性は、おそらく、少なくとも悪いものではなく、また、さきに述べましたとおり、中紀の御坊以南に高等教育機関が存在しない県南部は、そうした新たな試みとなる高等教育機関を設けるのに適切な立地であると思われるのです。

さらに、この紀伊田辺と類似した背景(紀州徳川家の御附家老云々)を持つのが紀伊半島南部の東側に立地する新宮市です。こちらは街の規模としては紀伊田辺の半分以下となっていますが、田辺市は以前に周辺自治体との大規模な合併がありましたので、その主要な市街地部の規模としては、紀伊田辺と新宮では、大きくは変わらないかもしれません。

ともあれ、そのようなこともあり、新宮にも、そうした高等教育機関を設けても良いのではないかとも思われましたが、ちなみに、こちらは少し南に行ったところに南紀勝浦温泉があります。

勉強や研究を終えた学生や教員が気軽に温泉に浸かりに行くことが出来るような自然環境と市街地とのバランスが取れて、そして、古来からの土着の優れた文化が生きている地域に新たな試みとしての医療介護系専門職大学を設置するのは、我が国の高等教育にとっては良い効果を齎すのではないかと私には思われるのですが、さて実際のところはどうなのでしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。













2022年6月3日金曜日

20220603 株式会社 河出書房新社 三島由紀夫著 対談集「源泉の感情」 pp.148‐150より抜粋

株式会社 河出書房新社 三島由紀夫著 対談集「源泉の感情」
pp.148‐150より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309407811
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309407814

福田 僕は教育問題のほうが先だと思う。

三島 僕もそう思うね。教育問題はいま一番根本的な問題かもしれない。

福田 僕は、さっきのあなたの比喩を使えば、現状肯定の現実主義というものを疑問に思うのはね、いわゆる抽象論になるけど、ほんとうの意味の現実主義というものは現状肯定ですむはずがない、理想追求というものを人間の本能の一面として認めなきゃならないんだよ、ほんとうの意味の現実主義なら。

三島 そうなんだ。

福田 理想主義というのは、決して現実を遊離したもんじゃなくてね、人間性の現実なんだ。理想を持ち、それに殉じて死ぬということが本能なんだ。それをあたかも生命欲だけが本能であって、それに殉じて死ぬということが本能に反するものだと思ったら大間違いで、これも本能なんだ。少なくとも人間だけが持っている本能だ。

三島 それは全く同感だな。

福田 だから、現状肯定、現状維持の現実主義者というものも、実は一種の観念論なんだよ。

三島 そうなんだ。

福田 英語だったら理想主義というのも、観念論というのも、同じアイデアリズムという言葉で、その間の事情がよくわかる。その英語でいえば、アイデアリスティック・リアリズムというやつが、現状肯定の現実主義なんだ。現実主義ですべて解決できると信じられている理想主義といってもいい。そうなると、人間の現実はこうなんだと思い込んでしまう。人間の現実は現実主義的だと思い込んでしまう。これは大間違いで、人間の現実は、やっぱり理想主義的でもある。そういう意味で、いまの憲法をそのままにしておいて、自衛隊をつくっても合憲、何をしても合憲、核兵器を持っても合憲というようなことをやっていくのは、縄抜けではなくて籠抜けになってしまうんだが、これはある意味で言うと日本的なんだ。問題はこの日本的であることの弱点と長所です。ある面では、日本的であるということは長所でもあるんだけれども、弱点でもある場合もあってね。「当用憲法論」のときにも言ったんだけれど、そこから偽善が生まれるんだな。現状のままで自衛隊合憲説を唱えていると、はじめのうちは嘘と意識していても、そのうちにほんとうにそんな気になってしまう。理想はやっぱり武装放棄にあると思ったりし始めちゃう。

 こういう道徳的鈍感が恐ろしいんだが、その偽善を正当化する最後の拠点があの憲法から出ていると思うんだ。革新派だって、あんなものは信じてはないからね。その点はかれらも偽善者さ。すべての偽善の発生は、敗戦のときから始まった。憲法もその一つ。それから原爆反対運動もそうなんだ。日本人だって原爆つくりたかったんだ。先にやられちゃっただけだよ(笑)。

 それを日本は、まるで良心的であったかのように、ヒューマニストであったかのように、世界唯一の被爆国だ、なんて妙なことを自慢の種にしはじめる。戦争中と同様、米英鬼畜とくる。僕は、そういう偽善を何とか直さなきゃいかんと思うんだ。日本人の道徳観を。だから、教育が一番大事なんですよ。その教育が効果があがってくれば新憲法放棄が別に後進国特有のファナティックなナショナリズムにもミリタリズムにもならずにすむと思う。それしか僕は考えられないんだ。教育ということしか。

2021年11月25日木曜日

20211124 昨日投稿記事の続き『「文学」の持つ意味や価値』について・・

昨日投稿記事の最後にて「「文学」の持つ意味あいや価値」と述べましたが、私のこれまでの経験からは、認識の仕方、つまり、それまでの考え方を変えるような作品は、いくつかありました。

その一つがポーランドを出自とする英国の作家ジョゼフ・コンラッドによる「闇の奥」であり、そのハナシの筋は、全体的に暗く、また、その作中人物に託された筆者の思想や含蓄、あるいは当時の世界情勢、西欧社会一般での人々の考え方なども描かれていることから、現在であるからこそ、読み直すと面白い作品であるとも云えます。

ともあれ、私が当作品に惹かれたのは、主にその「書きぶり」であり、過日投稿のブログ記事にて、いくつか、その書きぶりを真似て作成したこともあります。

では、その「書きぶり」の「何に」惹かれたのかと考えてみますと、それは、著者の視座が、さまざまな時代や地域を行き来しながらハナシを進める「書きぶり」であり、具体的な箇所を挙げますと、当ブログでの引用記事にもある「僕は大昔のこと、1900年前、ローマ人が初めてここにやってきた頃のことを考えていたんだ―ついこの間のことのようにね。」からの記述です。

こうした、作中にて語り手がいる場所から、二千年近く遡った、大昔とも云える時代にて、あり得たであろう様相を、想像と史実とを織り交ぜて語り、そこから、本題とも云える語り手自身の経験・記憶に結び付け、さきに述べた時代や地域を行き来語りつつハナシを進めるといった、その「書きぶり」に、何かしらの「深み」を感じたと云えます。

そして、その「書きぶり」に「深み」を感じるように背景には、南紀での在住経験があると思われます。つまり、その在住期間に日常的であった場所に、古墳など大昔の遺構がありますと、次第に、そして自然と、それ(遺構)に付随する「深み」や、その背景についても興味を持つようになり、さらに、その次には、その興味に基づいて知った背景などを絡めて、その地域のことを語りたくなっていくのではないかと思われるのです。

これは、私の場合はそうであったと云えますが、こうした何と云いますか、自身の経験と、作中に描かれている様相が「あれ、この状況は**に似ているのでは・・?」と何らかのきっかけで不図、思い付くようなことが、意外と重要であると思われるのです。

また、南紀での在住経験からハナシを進めてきたことから追記しますと、こうした、いわば「自分の境遇との何らかの類似性」を認識することによって感情移入が可能となり、それは歌の歌詞などに対しても同様であり、それを契機として、その歌に対して「自然な感動」をおぼえることが出来るようになるのではないかと思われるのです・・。

これは南紀白浜在住時、退勤後、一人、夜の白良浜に出てみますと聞こえてくるのは波音ばかりであり、あとは海と星空と月と円月島が視界に入るといった状況にて、不図、童謡の「椰子の実」が思い出されて、そのメロディーを口笛でしばし吹いてみますと、その歌詞も思い出され「ああ、これは現在の私のことかもしれないな・・。」と思い、そして、ある種の感傷に浸るといったことがありましたが、おそらく、それ以前には、自分の境遇との類似性から、ある特定の歌に共感をおぼえるといったことはなかったと思われますので、現在考えてみますと、あれはあれでエポック・メイキングであったように思われるのです・・。

また、そうした視座は、歌詞と同様、小説、あるいは論文などに対しても有効であると思われ、あるいは、こうしたいわば情緒的とも云える要素とは、論理的に記述された文章を読み解く際においても重要であるのではないかと思われ、そして、それが昨日の投稿記事、および当記事冒頭にて述べました「「文学」の持つ意味あいや価値」の一面であるようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

順天堂大学保健医療学部


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。





2021年8月27日金曜日

20210827 既投稿記事をいくつかまとめたもの①

野上彌生子著「迷路」上巻 P.584
「なんでも、いいたい放題いってのけるところの多津枝には、自分では意識しない故郷の血にひそむ、外観の精錬された「近代」とは、まるで反対な熊襲の蕃女めいた野生が、肉感的にまで迸しる。」

上掲引用文に登場する多津枝から、同年代と思われる鹿児島に出自を持つ随筆家の白洲正子を想起された方々もいらっしゃるのではないかとも思われます。ともあれ、現代においては死語になりつつある「熊襲」や「隼人」といった古代の語感を持つコトバから連想されるものは「野生的な強さを持つ辺境部族」と評して良いと思われます。そしてまた同時に、そこからは同部族の女性(蕃女)にまでは想像が至ることは少ないと思われます。むしろ、それとは反対に、熊襲・隼人の地、すなわち、九州の女性全般についての古来からのイメージとは、温和で、男性を立てる、芯の強い女性像といったものになるのではないかと思われます。

こうした読書の際に感じる疑問およびその視点は、その地域を知るための大切なヒントになることが多いと思われます。また、こうした経験から思うことは、地域の文化風土といったものは、実際、その土地にある程度の期間住んでみないと分からないのではないかということです。

そして、それを念頭に置いて頂き、以下の文章に続きます・・。

鹿児島市の郡元周辺に鴨池という地名があります。
文字通り、ここにはかつて、鴨がすむ大きな池があったとのことですが、現在、そうした池はありません。私の知る限り、鴨池には、かつては動物園(現在はさらに南に移転した)があり、現在のこの場所には、大規模商業施設、市民球場、医療保健施設などがあります。

この鴨池から県道20号線(市電通り)沿いに騎射場(きしゃば)を経て天文館方面にしばし北上しますと、鹿児島有数の古社の一つである荒田八幡宮に至ります。

かつて、この荒田八幡宮では、武の神である八幡神を祀る神社に相応しく、流鏑馬神事が行われていましたが、おそらく、その名残が、さきに出て来た(荒田八幡の)近隣にある「騎射場」という地名になっているのではないかと思われます。

しかしながら、他の八幡宮を含めた神社にて、流鏑馬神事が行われる場所のことを騎射場と表現する例は聞いたことがありませんので、これは当地域独特の文字文化(文字による事物表現の仕方の傾向?)によるものであるのかもしれません・・。

他方で「騎射場」(きしゃば)と同じ音を持つコトバを以前に聞いたことがありました。

それは琉球、沖縄での地名、苗字の「喜舎場」(きしゃば)です。

この「喜舎場」の「喜舎」について考えてみますと、それは仏教用語の「喜捨」に起源を持つのではないかと考えられます。この「喜捨」は「布施」とも似ているのですが、その意味合いとは「功徳を積むために喜んで自身の財物を施す」という現代でいうところの「寄付」にあたると云えます。そして、この「功徳」という意味合いにおいて「喜捨(舎)」には宇佐八幡宮をはじめとする全国の諸八幡宮にて流鏑馬神事と同様に行われる魚や鳥を野に放つ「放生会」神事と共通する要素があるものと考えます。

また、この八幡宮における「放生会」神事の起源は、南九州にて朝廷に対し反乱を起こし、戦で倒れた隼人の鎮魂の意味で、はじめられたとされています。

これらのことを考えてみますと、鴨池(放生会神事を行うための池)、騎射場≒喜舎(捨)場(功徳を施す場所)、荒田八幡
(放生会神事)が、ごく近隣に存在すること、そして、さらには現代においても、この鴨池に、かつて動物園が存在していたことは大変興味深く、この地域の文化の基層から現代に至るまで貫かれている何かしらの信仰的な観念の存在、あるいは、それらの持つコトバの多義性(我が国における原初的な詩心といっても良いかもしれません・・)といったものを示しているのではないかと考えさせられるのです。

そしてまた、この「騎射場」と「喜舎場」との関係に類似した事例として、かつて山口県山口市に存在した鋳銭司(すせんじ)村と、福岡県福岡市西区に存在する周船寺(すせんじ)が挙げられます。

鋳銭司とは、文字通りとも云えますが、7世紀末から10世紀末までの間、朝廷が貨幣製造を行っていた役所の名称であり、双方の「すせんじ」に、かつて、貨幣製造を行っていた役所が存在していたことから、これら地名の名称は同一起源であると思われます。

また、以前、周船寺の方の「すせんじ」付近に在住していた頃、この地名(周船寺)の由来を複数の方々に訊ねてみたところ、その中で多かったのは「周船寺の地名の由来は、当地が糸島半島の東側の付け根にあたり、そこを基点として船で糸島半島を周り、西側の唐津方面に抜けるか、あるいはその地峡に近いという立地から、運河あるいは陸路を用いて西側に抜けるかを選択する、いわば交通の要衝であったことによる。」というものであり、当地域、九州においては、島々の民俗文化にて類似した事例を読んだ記憶があり、また、それは世界的に見ても、バイキングが船を陸路でコロを用いて近くの海あるいは河川へ移動している情景を描いた絵を以前、見た記憶があることから納得できます。

しかしながら最後の「寺」となりますと、豪徳寺、祐天寺などの地名(駅名)の様に同名の寺がそれらの地に存在しなかったことから、やはり、さきに述べましたように、鋳銭司・周船寺(すせんじ)は「かつての貨幣製造所」という解釈にて問題はないと思われます。

さらにまた、もう一つの類似例として、大分県の臼杵(うすき)市、宮崎県北部にかつて存在した臼杵(うすき)郡、鹿児島県鹿児島市の宇宿(うすき)、鹿児島県奄美市(奄美大島)の宇宿(うしゅく)が挙げられます。かつて、鹿児島県鹿児島市の宇宿周辺に在住時、親戚が仕事のため愛媛県松山市に在住しており、所用にて北部九州、山陽方面に行く機会がありますと、立ち寄らせて頂きました。そして、松山からの帰路は、JR予讃線にて松山から八幡浜に行き、そこからフェリーに乗り、右手に発電用の大きな風車の立ち並ぶ佐田岬半島を眺め豊後水道、豊予海峡を渡り、臼杵(うすき)港に着き、そこからJR臼杵(うすき)駅まで歩き、日豊本線に乗り南下し、そして指宿枕崎線の宇宿駅に帰着下車して帰宅するといった具合でした。

フェリーを下りて着いたJR日豊本線の臼杵駅にて切符を購入する際、はじめ「宇宿(うすき)まで一枚ください」と駅員さんに伝えたところ、怪訝な顔をされてしまったことから「・・すいません、指宿枕崎線の宇宿まで一枚ください」と云い直したことが、ここで思い出されます・・。

ここ大分県の臼杵は、かつて大友氏のもとで繁栄し、戦国末期には宣教師のフランシスコ・ザビエルも訪れ、布教活動を行っていたと伝えられています。そのまた一方で、臼杵は仏教遺跡である磨崖仏にて全国的に知られています。ちなみに磨崖仏は、鹿児島においても南九州市の川辺や鹿児島市の慈眼寺などでその存在が知られています。鹿児島での磨崖仏の起源を考えてみますと、古来より薩摩・大隅地域では豊の国(現在の大分)からの移民が多かったことから、これら磨崖仏も、その多くは豊の国(現在の大分県)から移民してきた方々、あるいは、その子孫の方々によって製作されたものではないかと思われます。

そして、鹿児島(薩摩・大隅)に移住前の大分(豊後国)よりもさらに以前の、これら磨崖仏の起源を考えてみますと、我が国にて磨崖仏を含む、比較的初期の仏像彫刻などが製作された地域の多くは、古くは渡来人が移住してきた場所であり、そうした事情を加味して鹿児島(薩摩・大隅)そして、それ以前の大分(豊後国)での磨崖仏に限定して考えてみますと、それらの作風などから、朝鮮半島南東部の旧「新羅」地域に起源があるように思われますが、これは実際に見聞したわけではなく仮説です。

ともあれ、そうした「きしゃば」にはじまり「すせんじ」そして「うすき」にまで話題が飛び、そこから更にもう少し話題を展開させるため「うすき」の地名の最後につく「き」の意味について考えてみたところ、以下の書籍記述が思い出されました・・。

谷川健一編「地名の話」平凡社刊pp.195‐198より抜粋
「谷川 中野さんは「八幡信仰史の研究」のなかで、宇佐氏とか大神氏とか辛島氏など宇佐八幡の神職の家のことを書いておられますね。その中の大神という名前は大和三輪山の祭祀氏族である大神氏から出たといわれていますが、宇佐八幡の「託宣集」を見ますと、まず辛国の宇豆高島に降臨した八幡神が、次に大和国の膽吹嶺に移ったと書かれています。この膽吹嶺は大和にみつからないのですが、「和名抄」にある大和宇陀郡の伊福郷のことだろうと先生はお考えのようですね。

中野 私は宇陀郡をつぶさに歩いてまいりました。

谷川 私は前から伊福という地名に関心をもっているのですが、「和名抄」にのっている六ケ所の伊福という地名のうち、四カ所が銅鐸出土地なんです。そこで、古代の伊福部という氏族はおそらく鋳銅に関係をもったのじゃないか、と推測をたてましてね。伊福の福は真金吹くとか銅を吹くとかの吹くに相当して、金属を精錬する時に使用するふいごに関係のある語だと思うのです。
それで大和国の膽吹嶺を宇陀郡の伊福郷(現在の大宇陀町)に比定され、またそのとなりの菟田野町の大神という部落を、宇佐に関係のある大神氏の出身地と考えられる中野先生の御説にたいそう関心をもったわけです。じつは大神部落と目と鼻のところにある大沢とか松井という部落には水銀鉱山があり、戦後も採掘していたのですね。現在は採集をやめているようですが、そこで宇佐の八幡神がいったん大和の膽吹嶺に飛んで、また最後は宇佐に帰っていったという伝承も意味深長で、銅とか水銀とかに関係のある技術集団を、大神氏が伴って宇佐にやってきたのか、あるいは大神氏自身がそうした技術をもっていたのか、いろいろと想像してみたくなるのですね。
ところで「託宣集」にもどりますが、いったん大和の膽吹嶺に移った神は、こんどは紀伊国の名草浜に移る、とあります。紀の川下流一体が名草ですね。日前宮のある付近。

中野 そうです。紀伊国と国東・宇佐との往復は極めてはげしかったようです。

谷川 ところで私は昨年国東半島を一周してふしぎに思ったのは、キという言葉のつく地名の多いことです。ざっと見ても堅来・櫛木・岐部・富来・来浦・安岐・杵築など。

中野 ここは古い豪族の育った所で、その姓は紀伊国の紀氏が非常に多いのです。

谷川 それはどういうわけでしょう。

中野 まだはっきりわかりませんが、石清水八幡宮別当紀氏の関係かと考えましたが、もっと前からだと思われる点もあります。とにかく紀氏は紀伊国がもっとも多く、大和・和泉・河内を主とし、山城・美濃などに広がり、紀部になると中国・四国に広がっている。こういうようにみると、海上交通の関係から宇佐・国東にも入ったと思われます。

谷川 「神功紀」に紀直の祖豊耳というのも出てまいりますね。紀氏とトヨが出てくるものでへんな感じがしたことがあります。

中野 国東の古い豪族はほとんど紀氏で、後の八幡宮に所属しているのが多いのです。

谷川 その紀氏は紀州に起源をもっている?

中野 分布からみてもそうだと思います。

谷川 数年前に徳島県南部の海岸を高知県境までたどってみたことがありますが、あそこもキのつく部落が多い。牟岐・木岐・志和岐・由岐というふうに点在しています。今の阿南市の富岡もまえは牛岐といったそうです。この岐の字のつく地名は、海士のばあいも海女のばあいもありますが、例外なく海人部落なんですね。高知県に入りましても、佐喜浜という海女部落だったところがあります。ところで阿波徳島の吉野川の南は昔は長の国と呼ばれて、瀬戸内海における安曇の海人の根拠地だったところですので、この岐の字のつく海人部落も安曇氏と関係があるかな、と考えたことがあるのです。そこで最初おっしゃった豊前・豊後の安曇氏と海部の関係のことが気になるのですが・・・。」

そしてもう一つ、地名の最後につく「き」についての書籍記述が思い出されました。記述の対象となる時代は、さきの「地名の話」内記述の方が新しく、以下記述の方は、おそらくは朝廷以前の時代も含み、そしてまた、我が国の歴史の起源についても触れるものであり、その冷静な書きぶりからはうって変わって躍動する知性が感じられます。

金関丈夫著 大林太良編 岩波書店刊「木馬と石牛」pp.59‐61より抜粋
「日本のいわゆる金石併用時代の青銅器文化に、中国地方の中央を境界にして、東西二つの文化圏があった。東は銅鐸の文化であり、西は銅剣、銅矛の文化であるということは、今ではあまねく知られている。また出雲地方が、この西の文化圏にあったということについても、明らかな証拠がある。現に出雲大社の宝殿には、この地方から出土した銅矛の実物が蔵されている。この二つの異なる青銅器文化圏の意義をどう考えるかということは別として、弥生式の時代に、出雲地方が北九州を中心とする一つの優勢な文化圏にあったということは、またたいへん面白いことではないかと思う。「古事記」によると「ムナカタ」氏が祭祀したという筑前の宗像神社の祭神の一人「イチキシマヒメ」というのは、宗像三女神のうちで、後世に創らせたものであったが、この「イチキシマヒメ」の「イ」は単なる接頭音であり、「チキ」とか「ツク」とかに語源がある。私の考えでは、この「チキ」「ツク」などという語と、筑紫の「ツク」また九州の地名に多い「ツキ」例えば秋月、古月、香月、杵築、「シキ」例えば伊敷、一色、「スキ」例えば臼杵、指宿、「チキ」例えば市来、加治木、「チカ、シキ」例えば値賀島、志賀島などとは関係があり、これらの音で表されている名を冠した一つの強力な海洋部族があったかと思う。出雲地方へ北九州の青銅文化をもたらし、出雲の海辺の一角に定着して「杵築」の地名をのこしたのも、恐らくこの一族ではなかったか。こんなことをいうと、大社関係の方々にしかられるかもしれないが、大社の祭神はいまはオオナムチノミコトということになっているかもしれないが、これは近世以後のことであって、古来スサノオノミコトと信ぜられていたのである。ところがさきの宗像の三神は、天安河原でうけひをしたときに、スサノオノミコトのものざねから生まれたので「乃ち汝の子なり」とアマテラスからスサノオにおしつけられたという。すなわち宗像の三神はスサノオノミコトの子だということになっている。この説話のおこりは、おそらく「イチキシマヒメ」の祭祀者がスサノオノミコトを祭祀する部族と接したときに生まれた、よくある妥協の思想から成立した話であろう。大社にはスサノオと共にイチキシマヒメが祭られたことがなかったとはいえないと思う。出雲の部族が、古代においては日本海をまたにかけたたいそう発展的な海洋族を含んでいたことは、「古事記」の記事や、「風土記」の国引きの伝説からもうかがわれる。若狭路から琵琶湖に入ったと思われる「イツクシマヒメ」も、両部思想のお陰で安芸の厳島と同様弁天様になったが、島の名の竹生には「チク」の語源をとどめている。これらも日本海から近畿に入ったのであり、出雲族の越の国々との交通の遺物であろう。京都の出雲路というのも同方面から侵入したこの部族の故地であろう。竹生島の「チク」は滋賀の「シカ」にも関連があろうかと思う。出雲神話に南方説話の影響の多いことなども、私の以上の考えを支持するもののようである。近年鰐淵村の猪目洞穴で発見された弥生式時代の貝輪などにも、南海産のテング貝で作られたものがあった。土俗の方からいっても、中海のソリコブネのような船が南方につながることは、早くから人々に云われており、その他にも色々と面白い事実があるようだ。佐陀神社の神事の海蛇が南海から暖流に乗ってきたものであることも、この際見逃し難い。以上はただ旅中、不備な資料を基にした私の思いつき出会って、詳細はもっと深く考えなければならないが、請われるままに仮に発表したのである。」

上掲記述の最後に、詳細な再検討は必要としながらも「それら地名と、その背後にある文化の起源は南方にあるのではないか」と結んでいましたが、ここで民俗学者・言語学者として知られている琉球に出自を持つ伊波普猷による以下の地名、およびその意味についての記述が思い出されました。

岩波書店刊 伊波普猷著 外間守善校訂 『古琉球』pp.58-59より抜粋引用
「琉球語では城のことをグスクというが、八重山では石垣で囲うた所をグスクといっている。金沢(庄三郎)博士がかつて沖縄教育会で述べられた演説の一節に、このグスクということばは、沖縄人が大和民族であることを証する好材料となるのであります。朝鮮の古語では村のことをスキ村主のことをスクリ(宿禰と同意義)と申します。この言葉は日本語にも這入って日本の位の名にもなっていたのでありますが、それと同意義の言葉が日本語では城と書いてシキと読んでおります。大和の地名にシキという所がありますが、またシキシマ(敷島)という日本国の名にもなっています。シキは城ということになります。シキという言葉を研究して見ると先ず二つに分けることが出来ます。シは住むという意味で、キは囲の中という意味であります。即ち囲の中に住むという意になります。(中略)然らば日本語でシキ朝鮮語でスキという事は一体どういう所を指してそういうたのであるかというと、高い所にあって石の壁で取囲まれている所という意味であります。(中略)それで日本語のシキも朝鮮語のスキも琉球語のスクも皆城壁という意味であります。是らの名詞で、正鵠を得た判断が出来るので、沖縄は敷島即ち日本の一部分であるという事は争うべからざる事実であります。歴史がなくとも、伝説がなくとも、記録がなくとも、神話がなくとも、沖縄人の祖先は日本人のそれと同じくシキの中に住んでいた事が証明されます。という事であったが、アマミキヨ種族は沖縄島に上陸して後もグスクを築いてその中にいたのである。(グスクのグは敬語である。)佐敷はもと「狭いスキ」または「小さいスキ」ということで、これはその地勢から考えてもなるほどと思われる。(佐敷という地名は熊本辺にもあるのである。)これらは皆沖縄人の祖先が北方の同胞と共同なる根源地に住していた事を証明する好材料である。」

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
順天堂大学保健医療学部

順天堂大学医療科学部

日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。







2021年6月29日火曜日

20210629 非生産的としてマウントを取られがちな人文社会科学ではありますが・・

どうにか6年間、10日のうち7日はブログ記事の更新をしてはきましたが、それによって自信がついたといった自覚はほぼありません・・。一方で世の中を見てみますと、現今において自信なるものは、その稼ぐ金銭の多寡によって決まるといった風潮があるように見受けられます。

これは経済活動の首府でもある東京において、著しくその傾向が強いように思われます。また、それに対抗し得る学術・芸術といった文化活動においても、多くの場合、最終的には経済活動に収斂され、丸め込まれ、本来それらが持っていた価値が、少なからず減じられているように思われるのです・・。

他方でそれは「経済活動が盛んであり、多くの富が蓄積され、さらに流通すれば、自然と、そこでの学術や芸術といった文化活動も盛んになる」といったメカニズムを別の視点から眺めたものであるとも云えます。

つまり、肥料としての冨が豊富であれば、その地の文化活動も盛んになるということですが、しかし、経済活動による富と文化活動の関係性において、文化活動とは一方的に肥料を与えられる受動的なものなのでしょうか・・。

これは文化活動の分野にもよると思われますが、医療の基礎たる医学研究を文化活動の一つとして捉えますと、分かり易いと思われます。つまり、そうした文化活動があることから、我々の社会は漸進的ではあれ進化しているのだとも云えるのではないでしょうか。

しかし、さきに述べたように、分野によっては社会に対しての貢献が見え難く、特に人文社会科学分野などは、非常に分かり難いと云え、あるいは疾病保険か生命保険の掛け金のように(半ば無為とは思いつつも)肥料を与え続けなければならないものであるようにも思われます・・。

してみますと、そこで「合理化・効率化」といった概念やコトバが広く一般的に用いられるようになりますと、そこから、さきの人文社会科学分野などは(無駄なものとして)真っ先に槍玉に上げられ易くなると云えます・・。

そして、ここに至って大事であると思われるのは、やはり「さまざまな歴史」であると思われるのです。「経済状況があまり芳しくなくなり、合理化や効率化といったコトバ・考えが重視されるようになると、不図、頭に浮かぶさまざまな事物は、本当に全て無駄なものとして排除しても良いものなのだろうか?」といった疑念を持った場合、参照されるのは古今東西の類似した状況であると思われます。

しかしながら、それはただ、そうした事柄が記されている各種資料が存在していれば良いというわけではなく。それを類似していると考え、指摘出来る方々、また、以前からそうしたことを考え続けている方々が、意見を発信し、さらに関連諸分野の方々との議論・検証等を経て、ある程度分かり易いカタチとして世の中に広く発信することが大事であると思われるのですが、こうした作業を大きく歪ませるものが、以前からの伝統的価値の力が大規模な敗戦によって著しく減衰し、その代わりに更に重視されるようになった経済活動による諸価値の判断であるように思われるのです・・。

坂本龍馬に続き、渋沢栄一を一種の英雄として扱いたがる世間の価値観とは、詳細は別として、半世紀を通じ、大きくは変化していないものと思われます。あるいは団塊の世代の青年期と老年期での理想像の変遷といったものを示しているのかもしれません・・。

そういえば、登場人物達が揃いも揃って美男美女であり、衣装もセットもやたらとキレイな歴史ドラマが普通に制作出来て、それが当り前にヒットするような国や地域とは、たとえ他方の経済活動による合理性や効率性が重視され、それが活きた活動指針とはなっていても、やはり何かがおかしく、数世紀にわたる持続的な発展などは困難であるように思われるのですが、さて、いかがでしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 



一般社団法人大学支援機構

~書籍のご案内~

ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: tsurukiclinic2001@gmail.com 

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。









2021年6月27日日曜日

20210626 でたらめから始まり、因果律や法則そして物語などを見出すようになり大事になるもの・・

おかげさまで一昨日の投稿記事である「先日の「記事作成を継続する理由」と「新たなものに対する精神の開かれ」について・・」は、本日に至るまでに比較的多くの方々に読んだ頂くことが出来ました。これを読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。

ともあれ、そこで述べた「好みの変化に象徴されるような感覚の変化」とは、やはり感性が柔軟である若い頃に、より多く自然に生じると云えますが、また一方で、ある程度の年齢に達し、そうした感覚が落着いたと自覚するようになってからは、敢えて意識して、そうした感覚を保持し続けるよう努めることが大事になってくるのではないかと思われるのです。

こうした感覚はある種、非合理的とも云える面をも含むため、成熟され、その人なりの最適化が為された、いわば「大人の感性」を持つ方々にとっては多少困難を伴うのかもしれませんが、しかしながら、国全体規模にて考えてみますと、これが近代以降の新興国であったという出自を持つ我が国の現代において、特に弱点であり、重要なことであるように思われるのです・・。

とはいえ、そうした感覚の保持とは、具体的には、世間にて「良い」評価を受けている諸感性に対し無条件に迎合するという態度ではなく、あくまでも、自分の感性や、ある程度体系化された考えに基づいた価値判断に拠ってこそ保持され、さらに進化していくものと考えます。しかしながら、そうであっても、おそらく、その当初の頃は、よく分かららずに、賭けのような感覚にて価値判断をしてしまっていることも多分にあると思われます。それでも、とにかく続けていくうちに、その中に何らかの因果律や物語のようなものを見出すことが出来るのではないかと思われるのです。

そして、この見出された因果律や物語を観念的な意味にて写実的に述べ、自他共への理解を深め、共有化するために極めて有効と思われるものが、我々人類が過去から受け継いできた様々な知見や教養であると思われます。その意味から、これらは、やはり人文社会科学分野での高等教育にて必要不可欠であると思われるのですが、さて如何でしょうか・・。

そういえば、以前にも書きましたが、ここ最近はまたスランプ気味であり、そこから本日も記事作成を躊躇していたのですが、どうにかこのあたりまで書き進めることが出来ました。そして、こうしたことを今しばらく続けていきますとキック・スタートのバイクのエンジンのように、また動き出してくれるのでしょうか・・。とはいえ、そうして「エンジンがかかった!」と思い、得意気になることもまた、これまでの経験から、あまり良い兆候とは云えませんので、出来るだけ客観的な態度にて自身の中で沸き起こる、想起される「流れ」の理解に努めたいと思います。そのように考えてみますと、これまでに投稿した記事そしてまた記事として引用した書籍の記述などは、さきの沸き起こる、想起される「流れ」に当座の形を与えるもの(依代)としては悪くなく、あるいは、これまた観念的な意味での、組み立て遊びに用いるレゴ・ブロックの一つのようなものとも云えるのかもしれません・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 



一般社団法人大学支援機構

~書籍のご案内~

ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: tsurukiclinic2001@gmail.com 

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。













2021年5月15日土曜日

20210515 昨日の続き「誤配」・「セレンディピィティ」への見解の微妙な変化

昨日の投稿記事はまた、思いのほか多くの方々に読んで頂けました。これを読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。さて、この記事では「誤配」および「セレンディピィティ」について書きましたが、私自身のこれまでを省みますと「セレンディピィティ」はともかく「誤配」については少なくなかったように思われます・・。

とりわけ、2010年の指導教員(師匠)の退職は、これまでにも何度か書きましたが、まさに私にとっては「誤配」としてしか認識出来ないものであり、これにより、その後の私の生き方は大きく変化したと云えます。いや、私のみならず、当時の研究室におられた方々皆の人生も大きく変わったと云えます。

当時、同じ研究室におられた先輩院生で、その後、首都圏にて開業された先生がいますが、この方と話していますと、毎度ではありませんが、度々「あれで人生変わったなぁ・・。」といったハナシになります。しかし、ここ直近の数年においては、それ以前とくらべ、その後に、あまり後悔や恨み言とはならずに「まあ、考えてみると、納得は出来ないにしても、あれはあれで仕方がなくて、また、そうしたことがあったからこそ、お互いに色々な経験が出来たとも云えるのかもしれないな・・。」といった方向にハナシが流れていくことが多くなったと云えます・・。(案外、こうした経緯については、同業である大学などの教育研究機関さまよりも、関連会社さま、専門書出版社さまなどの方が、深いところから御存知であることが多いように思われます・・。)

ともあれ、師匠が退職された後は、以前にも少しだけ触れましたが、さまざまな出来事があり、くわえて、歯科医師ではない私などは、学位取得後も、生きるために、色々なことを行うことになりましたが、そうした時に助けてくださったのは、同じ研究室におられた先生方、また、変わらずに勉強会に誘ってくださり、(ほぼ)夜通しの議論をした文系院時代の先生、友人の方々でした・・。

そして、そうした紆余曲折の経緯があり、どうにか現在に至っていると云えますが、これはその期間全体を通じ眺めてみますと、幸運を基調とした「セレンディピィティ」と認識出来るものではなく、未だに全体としては幸運ではなく、凹みの要素の方が強いと云えるのですが、それでも、さきに述べましたように、以前と比べますと、いくらかは前向きになりつつあるようにも感じられるのです・・。他方で、私が前向きになることに対して、否定的な見解を持たれる方々もいらっしゃるかもしれませんが、それでも、能動的(前向き)な活動と云えるブログ記事の作成、投稿は、どうにか5年以上続けることができていますので、今しばらく6年間の更新、そして当面の目標である1600記事への到達までは、そうした見解を保留して頂ければと願うところです。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 


一般社団法人大学支援機構

~書籍のご案内~

ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: tsurukiclinic2001@gmail.com 

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。











2021年3月21日日曜日

20210320 分野により言語体系(文化)が異なることから思い出したこと・・

今回の記事投稿の後、更に2記事更新することにより、かねてよりの目標であった1500記事に到達します。また当初、今月中での到達を目指していましたが、現状から考えてみますと、それは特に無理なく成し遂げることが出来るのではないかと思われてきます。

とはいえ、未だ目標には到達していませんので、あまりそうした絵空事を書くのも如何なものかとも思われるのですが、それでもなお、今回目標としている1500記事は、1000記事到達以降からは、思いのほかに苦労続きの道のりであり、書いているボクからしても「よくもあそこ(1000記事)から更にここまで書き続けることが出来たな・・。」といった思いがあります。

しかし同時に、こうした思いは不思議なほどに、感動や感慨といった感情的要素には結び付かず、ここにおいては、ただただ文章が先に進むことを急かすばかりと云えます・・(苦笑)。もちろん、であるからと云って、さきに述べた思い自体が捏造というわけではなく、おそらく、ある程度普遍的であると思われるのですが、このように文章作成を行っている時とは、その時の臨在的な感情から、ある程度距離を置くことが出来ていると思われるのです。そして、そのために、さきに書いたような認識が出来るのではないかと思われるのですが、このことは、おそらく、口語と文語との相違と関係があるようにも思われますが、もう少し精査してみますと、何か面白いことが分かるのではないかと思われます。

また、口語と文語を含めた言語にて苦労したのは、歯系院に進んだ時であり、当分野の文献を読んでみても、その内容は分からず、また、さまざまな発表で用いる文章の作成も当初それなりに苦労しました。しかし同時に幸運であったのは、私が入った研究室は、以前にも書きましたが、歯系分野でありながら、研究室の長である教授が歯科医師でないことが少なくない分野であり、そして、私の指導教授もまた歯科医師ではなく、工学と歯学にて博士号を取得された所謂ダブル・ドクターでした。当時、当分野では、そのような研究者はあまりいませんでした。

ともあれ、そうした教授であることからか、当研究室の院生や院生OBの先生方もまた、少し変わっている方が多く、人文社会科学系の大学を卒業されて、社会人生活を経てから歯学部に入学された先生や、浪人や留年にて多少時間を掛けて卒業にまで至った先生もいました。そして指導教授は、どうしたわけか、そうした先生方から大変人気がありました。こういった研究室の事情もあってか、私が人文社会科学系を背景とした歯科技工士であることは、そこまで大きな負い目としては感じられなかったのだと現在となっては思われます・・。

それでも当初は「毛色が違う変なヤツが来た」ということからか、色々と云われた記憶もありますが、実験が次第に進み、学会発表などを重ねていくにつれて「コイツにも長所のようなものがあるのかもしれない・・。」と思われたのか、あまり云ってこなくなり、むしろ、人文社会科学系のことについては訊ねられるようになりました・・。

そして、そうした経緯もあってか近隣の専門学校の歯科衛生士学科での教養科目(英語)を「コイツにやらせてみるか・・」となったのではないかとも思われますが、そこから、どうにか学位取得にまで至り、その後、生きるために色々とやっていますと、書籍を読むという癖は多少衰えたとはいえ続いていますが、ボクの場合、放って置きますと、人文系の乱読に走る傾向があることがわかりました・・(苦笑)。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 2020年4月開設



一般社団法人大学支援機構

~書籍のご案内~

ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: tsurukiclinic2001@gmail.com 

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。















2021年1月28日木曜日

20210128 時代の先導者達は当初、必ずしも皆カッコいいわけではない・・

 つい先日、現在勤務医をされていて、かつて某大学歯学部某研究科の准教授をされていた先生(歯科医師)と話す機会があり、そこで「医科の中でも歯科はどうも国内に留まって視野か狭くなってしまいがちなんだよね・・。だからこそ、常に新しいものに挑戦した方が良いと思うのだが、何ていうかな、ある程度お金を稼げてしまうからか、それがなかなか難しいのだよね・・。」といった主旨のことを話されましたが、これは歯科医師の先生方については、少なくとも間違いではないと思われます。

そして本日の朝、かねてよりお世話になっている分野横断型で学究肌の先生(開業歯科医師)から「新しい動画を作成したから見てね。」という内容のメッセージが届いたため、早速視聴させて頂いたところ、その動画には、かねてより学会などを通じて面識があり、これまたお世話になっている先生(歯科医師・数年前まで某老舗歯科大学某講座講師)が登場され、歯科関連の新商品の説明をされていたことに吃驚しましたが、アカデミアでの活動の枠にとらわれず、現時点では決して正統とは云えないこうした活動を、おそらくは楽しみながら出来てしまう行動力や気力そして、それが出来る環境には頭が下がりますが、こうしたことが、冒頭の先生が仰っていた「常に新しいものに挑戦した方が良い・・」の実践的な具体例であるように思われました。

とはいえ、冒頭の先生と動画の両先生とは、直接の面識はないはずであるため偶然であると思われるのですが、であるからこそ、自身としてはより面白く感じられました・・。

おそらく、こうした挑戦的な活動は、歯科医療分野においても日々為されていると思われますが、そうした活動がより多く行われ、そして知ることが出来るのは、現時点では、やはりここ首都圏であると思われます。しかし同時に、こうしたブログや、さまざまなSNSなどの情報伝達手段の発達により、そうした活動はより、国内外各地に伝播し易くなり、そして相互作用もまた生じ易くなってきているのではないかと思われます。

その中で、自身がこれまでどうにか継続している当ブログは、小さな存在であるとは思いますが、それでも、そうした新たな次の時代への胎動とも云える活動をいくつかでも紹介出来、あるいは一つであっても未来を予見することが出来ましたら、何と云いますか、自身がこれまで述べてきました「歴史的文脈そして教養の重要性」を自らの活動によって証明することが出来たとも云えますので、それはそれでアカデミアでの正統な人文社会科学研究者の方々に対しても多少は顔向け出来るのではないかとも思われます・・。

今現在、未だコロナ禍の中にある我が国社会ではありますが、今後これが収束し、そして自身のブログ記事作成期間が丸6年となり、そして総投稿記事が1500記事に到達しましたら、また、西日本のアカデミアや歯科医療機関での新たな面白い挑戦的な活動を見学させて頂き、何かしら記事のようなものを作成出来ればと考えています・・。

しかし、そうした願望を持っている私ではありますが、今現在は以前にも書きました通り、欝々としており、必ずしも活気のある状態とは云えません・・。そして、ここまで書きますと、昨日投稿の記事内容が思い出されるのですが、その記事での主張は必ずしも間違っておらず、女性が有形無形の応援によって活力・活動をアクセレートさせる男性の種類の選択を誤りますと、さまざまな人災・天災が生じ、結果として、その地域・国は衰退に向かって行くとのだと云えますが、その観点から現在の我が国における様々な状況を考えてみますと、それは必ずしも「良い」とは云えないように思われるのですが、さて如何でしょうか?

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!





ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: tsurukiclinic2001@gmail.com 

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。












2020年9月2日水曜日

20200902 現在読み進めている著作「民衆暴力」から

本日の首都圏はぐずついた天気ではありましたが、気温は高く、蒸し暑さを感じる1日でした。また、現在読み進めている中央公論社刊 藤野裕子著「民衆暴力」(一揆・暴動・虐殺の日本近代)は、期せずしてタイムリーとも云える第4章「関東大震災時の朝鮮人虐殺」に至り、その記述に眉を顰めることが度々ありましたが、それらは概ね史実であると云えます。そしてまた、(残念ながら)それら記述から、昨今のコロナ禍下の我が国において生じた、報じられた、いくつもの出来事とも、自然な連続性を見出すことが出来ると云えます・・。

関東大震災直後での出来事と、現今の我が国におけるコロナ禍下の出来事の連続性を結節する主たるものは、先日読了した講談社刊 鴻上尚史・佐藤直樹著「同調圧力」(日本社会はなぜ息苦しいのか)に描かれている「世間」において空気のように存在している「同調圧力」であると考えます。

「同調圧力」は、多くの場合、明言されることはないものの「世間」内部での互いの目配せによって醸成されるような、一種、忖度の前提となるようなものであり、これが空気のように「世間」内部に蔓延すると、各々の自由な発言、行動が著しく困難になり、知らぬ間に、ある特定の方向に(世間内部の)発言や行動が向かっていくといった性質があるように思われます。

そしてこれは筑摩書房刊 加藤周一著「日本文学史序説」下巻に記されている「小さな所属集団内部での情意伝達に慣れた人々が、長い間「以心伝心」を理想としてきたということもあろう。言葉による伝達には限界があり、大切なことはすべて言葉によらずに伝達されるという考え方は、日本文化のなかに浸透していた。」によって説明できるのではないかと考えます。

さらにまたそれは、明治初期に福沢諭吉が、自身の興した慶應義塾内に「演説館」を建設した理由(必要性の認識)にも近しい関係があるのではないかとも思われます。

つまり、端的に我が国では、伝統的に、言語によって構成・構築された言説によって彼我が互いに議論を交わす(戦わす)といった文化が社会そして世間に根付いておらず、あったとしても、表層的とも云える語義上での揚げ足取りといった様相になることが多いように見受けられます。

そして、こうしたことから敷衍しますと、国産の思想・哲学といったものが生まれ難いといった状況にも、浅からぬ関連性があるのではないかと思われるのです。

また、そのように考えてみますと、その基層には、古くから国民全般に広く浸透した宗教上の正典といったものが存在しないことが、少なからず影響を及ぼしているのではないかと思われます。

ともあれ、そうした事情は、昨今のインターネットの普及により、社会全般にて参照可能となった情報が著しく増加したことにより、さらに拍車がかかり、現在においては、以前よりもさらに、さまざまな「世間」を結び付け「社会」とすることが可能となる、共有化し得る「言説」を構築あるいは見出し難い状況と云えるのかもしれません。

しかしまた同時に「ある程度の世間の範囲」(たとえば地域社会)にて古くから共有化されている「言説」の核となるものは、以前と比較すると、見出し易くなってきているのかもしれません・・。その意味でも、やはり国であれ地域であれ、その辿って来た「歴史」とは、軽視されるべきものではなく、それは冒頭にて述べた「関東大震災時の朝鮮人虐殺」においてもまた同様であるように思われるのですが、さて如何でしょうか?

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

~勉強会の御案内~
歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

~勉強会・特別講義 問合せ 連絡先メールアドレス~
conrad19762013@gmail.com
どうぞよろしくお願いいたします!