ともあれ、そこで述べた「好みの変化に象徴されるような感覚の変化」とは、やはり感性が柔軟である若い頃に、より多く自然に生じると云えますが、また一方で、ある程度の年齢に達し、そうした感覚が落着いたと自覚するようになってからは、敢えて意識して、そうした感覚を保持し続けるよう努めることが大事になってくるのではないかと思われるのです。
こうした感覚はある種、非合理的とも云える面をも含むため、成熟され、その人なりの最適化が為された、いわば「大人の感性」を持つ方々にとっては多少困難を伴うのかもしれませんが、しかしながら、国全体規模にて考えてみますと、これが近代以降の新興国であったという出自を持つ我が国の現代において、特に弱点であり、重要なことであるように思われるのです・・。
とはいえ、そうした感覚の保持とは、具体的には、世間にて「良い」評価を受けている諸感性に対し無条件に迎合するという態度ではなく、あくまでも、自分の感性や、ある程度体系化された考えに基づいた価値判断に拠ってこそ保持され、さらに進化していくものと考えます。しかしながら、そうであっても、おそらく、その当初の頃は、よく分かららずに、賭けのような感覚にて価値判断をしてしまっていることも多分にあると思われます。それでも、とにかく続けていくうちに、その中に何らかの因果律や物語のようなものを見出すことが出来るのではないかと思われるのです。
そして、この見出された因果律や物語を観念的な意味にて写実的に述べ、自他共への理解を深め、共有化するために極めて有効と思われるものが、我々人類が過去から受け継いできた様々な知見や教養であると思われます。その意味から、これらは、やはり人文社会科学分野での高等教育にて必要不可欠であると思われるのですが、さて如何でしょうか・・。
そういえば、以前にも書きましたが、ここ最近はまたスランプ気味であり、そこから本日も記事作成を躊躇していたのですが、どうにかこのあたりまで書き進めることが出来ました。そして、こうしたことを今しばらく続けていきますとキック・スタートのバイクのエンジンのように、また動き出してくれるのでしょうか・・。とはいえ、そうして「エンジンがかかった!」と思い、得意気になることもまた、これまでの経験から、あまり良い兆候とは云えませんので、出来るだけ客観的な態度にて自身の中で沸き起こる、想起される「流れ」の理解に努めたいと思います。そのように考えてみますと、これまでに投稿した記事そしてまた記事として引用した書籍の記述などは、さきの沸き起こる、想起される「流れ」に当座の形を与えるもの(依代)としては悪くなく、あるいは、これまた観念的な意味での、組み立て遊びに用いるレゴ・ブロックの一つのようなものとも云えるのかもしれません・・。
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
日本赤十字看護大学 さいたま看護学部
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: tsurukiclinic2001@gmail.com
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。
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