2023年7月10日月曜日

20230710 19世紀後半から続く我が国の「文明開化」・「開化」について④

この西洋からの圧力によって我が国は自然ではなく、無理に発展せざるを得ない状況になってしまいました。そのため、近代以降の我が国の開化は、ゆっくりと内発的に進むことはできずに、無理をして大きなステップにて進んで行かなければならず、地面に足が触れる時間は短く、ごくわずかを触れ、他の多くの部分は触れずに進んで行きます。これが外発的という意味です。

他方で、我々の意識は常に動いています。この意識の一部を調べてみますと、その内容は時間とともに変化して、また、明るさや暗さが生じることがわかります。こうした表現では少し理解し難いかもしれませんので、もう少し詳説しますと、意識の一部を単純化して考えてみますと、物事を意識して理解するためには時間が必要であり、その意識は無意識から一定の時間を経て頂点に至り、その理解が明確になり、その後は段々と意識は鈍くなり、ぼんやりとしていきます。こうした心理状態の推移は実験によって証明されます。具体例を挙げますと、読書に際して、書面に単語A、単語B、単語Cが順番に現れたとき、これらの単語を順番に理解していく過程は自然と云えます。はじめ、Aが明確に現れる段階では、まだBは意識上にありません。やがてBが意識に現れ始めますと、最初のAは漸う薄くぼんやりとし、徐々に意識上から消えていきます。そして、これがCに移る際にも、さきと同様の過程が繰り返されるのですが、この一連の過程は複数の例から観察される事実と云えます。

そしてこの観察は、心理学者が短い時間での意識を解析して我々に示したものであり、またこの観察は、個人の意識のみならず、集団意識や長時間の意識においても応用可能であると考えます。例えば、こうしたブログ記事を読んでいますと、あるいは徐々に興に乗じて、直前に経験したことは、意識の隅の方に行って不明瞭になり、やがて当記事を読み終えた頃には、涼しい風が吹いていることに気が付き、その心地良さに、今度は当記事の内容が意識の隅へと追いやられてしまうのです。とはいえ、これは先述したように観察された事実であることから、歎いていても助けはありませんし、仕方がありません。

そこで、こうした意識の性質を無視して、気合を入れて長文のブログ記事を作成しても、それは往々にして読まれる方々の意識の流れを無視することになりますので、そうした主張はほぼ受入れられることはありません・・(苦笑)。何故ならば、そうなると、当ブログを読むことが内発的な興味によるものでなく、さきに述べたように外発的なものになってしまうからです。

そして、これまで述べてきた内容を加味・勘案して、一連の当記事の主題である我が国の「文明開化・開化」に戻しますと、我が国の開化は、自然の波動を描いて甲の波が乙の波を生み、乙の波が丙の波を引き起こすようにして内発的に進んでいたのかが問題とされていましたが、我が国の場合は、端的にそうではないと云えます。

これまでに何度か述べましたが、開化とは、活力の節約と消耗の二つの側面に制約されながらも、外部の圧力によって進展が加速されることがあります。そして、その経路はほとんど自覚されないほどです。つまり、古い波から新しい波に移るのは、古い波に我慢ができなくなり、内部からの必要性から新しい波が展開されるからです。こうして古い波の良し悪しやその実相を理解した後、次の波に移ることができるです。そのため、経験し尽くした古い波に未練はなく、新しい波に移行しながら世間体を整える必要はありません。

しかしながら、我が国近代以降の開化は、西洋文化主導の潮流に支配されてきました。そして我々日本人がその波に乗り出すこと自体が本来は異質であり、居心地の悪さを感じることも多々あったことでしょう。そうした中で新しい波に移行する前に、古い波の特徴や真相を理解する余裕がないままで、捨てなければならないことも度々あったことでしょう。これは食卓において、一つの食事が終わる前に次の食事がすでに用意されるようなものです。そのため、この開化の影響を受ける人々の多くは、空虚感や不満、不安を抱くものと思われます。また、このような開化を自慢する人々はあまり好ましくありません。それは端的に軽佻浮薄であり、あるいは、タバコの味を分からない子供が無理をして美味しそうにタバコを吸っていると見せかけることのように生意気とも云えます。しかしまた、無理をしてでも、このような状況に立ち向かわなければならない、ならなかった国民もまた、相当に悲しいものがある、あったと云えます。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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20230709 19世紀後半から続く我が国の「文明開化」・「開化」について③

そして、実際にそうであったからこそ、訪問から郵便そして電報から電話やメールへと、進化とも云える変化を遂げてきたのではないかと考えます。これは要するに、あまりやりたくない仕事は避けて快適に生きたいというわがままな要求や、あるいは働いても報われないといった不満から、さきの活力節約の側の力が大きくなり、やがて事態の変化・発展をもたらす力へと成長するのではないかと思われるのです。以上が、さきに述べた「義務に対しての消極的な活力節約と、道楽に対しての積極的な活力消耗の双方が相互作用」を具体的に述べたものですが、これら性質の相互作用とは、往々にして同時代での道徳観と合致するものではなく、あるいは非難されることもあるのでしょうが、しかし実際のところ、こうしたダイナミズム(相互作用の過程)を経ることなしに、事物とは進化的に発展することは難しいのではないかと思われます。

そして実際、この活力節約の願望から生まれた様々な発明や技術と、活力消耗という娯楽としての側面が絡み合い、混沌とした開化現象が生じています。これは、人間生来の進歩を追求する本能的な傾向から派生する一種のパラドックスであると云えます。しかしながら、我々は何千年もの間に時間をかけて進化してきた結果、生活はより楽にはならず、実際の困難さはあまり変わらないのです。これは開化の進展に伴い競争が激しくなり、生活が違う意味でますます困難になってきたからであると云えます。例えば、勉強の競争において小学生と大学生では異なるかもしれませんが、根本的には同じ課題に直面していると云えます。つまり、昔と現代の人々では、幸福度や不幸度には違いがあるかもしれませんが、生存の不安や努力に関しては昔と変わっていないということになります。あるいは異言しますと、かつては生き残るために戦って必死に努力をしましたが、今では生きるかどうかではなく、どのような状態で生きるかという競争が展開されているのだと云えます。

ここでは我が国の開化の特殊性について説明します。一般的な開化とは、内発的であるのに対し、我が国の開化は外発的であると云えます。内発的な開化とは、自然な形で内部から進展することであり、外発的な開化とは、外部の力によって形を取らざるを得ないことを意味します。その意味において西洋の開化は自然な流れで進んできたと云えますが、それは我が国の開化とは異なります。他国と接触する際には影響を受けることは避けられませんが、長期的に見れば、日本の開化は比較的内発的に進んできたと言えます。ただし、鎖国政策が終わり、突如として西洋文化の影響が強く現れたことは例外的な衝撃でした。日本の開化は急速に変化しました。外部の刺激によって自己の能力を失い、他者の意見に従わざるを得ない状況に陥ったのです。この状況は一時的なものではなく、数十年前から続いており、今後も続くでしょう。我が国には他に方法がないため、外部の刺激によって押され続けるのです。その理由は明らかです。先述の開化の定義に戻れば、西洋の開化は労力を節約し、娯楽に積極的に取り組む方法を持っています。つまり、内発的に進んできた段階で、急に複雑な開化が現れ、私たちに圧力をかけたのです。

この圧力により、我々は自然な進展ではなく、無理に発展せざるを得ない状況になりました。そのため、近代以降の我が国での開化は、ゆっくり進むことはできず、大きなステップにて進まなければなりません。足が地面に触れる時間は短く、そして一部のみを通過します。他の部分は通過しません。これが外発的という意味です。

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