2024年11月27日水曜日

20241126 先日の投稿記事に続いて、読書について

 ここ数週間で急に冬めいて寒くなり、現在は既にして初冬の終盤といった趣すら、ここ関東南部ではあるように感じられます。また、当ブログについても、去る20日以来、新規での記事作成を行ってきませんでしたが、ここ最近の寒さとは関係はないと思われます。しかしながら、たしかに、いつもよりも記事作成に対する熱意は乏しくなってきたとは云えます。とはいえ、これはおそらく一過性のものであり、またしばらく経つと、記事作成をはじめるのだとは思いますが、そうではあっても、このあたりで自らを奮い立たせて作成しておいた方が良いとも、これまでの経験は語ることから、本日、こうして新たな記事作成を試みている次第です…。そして、こうした前口上のようなもので、このあたりまで作成することが出来れば、あとは、主題へと展開する流れになるのですが、この「主題」は、これまでに少なからず作成したブログ記事の骨子となるものであり、それは概ね日中での思いつきや小さな発見などですが、本日については、先日の投稿記事に続き、また現在読み進めているダロン・アセモグルおよびジェームズ・ロビンソンによる早川書房刊「国家はなぜ衰退するのか」についてを主題にしたいと考えています。さて、先日投稿の作成記事にて、さきの著作「国家はなぜ衰退するのか」を「歴史の推移の様相を複数示して、それらから抽出される見解を述べるスタイル」と述べ、そして、それに続き、類似した書きぶりがあると思われる研究者・著述家を数名挙げましたが、後になり、そこに重要な著作を入れ忘れたことが思い出されました。それは、これまでにも当ブログにて何度か取り挙げたことのあるJ・G・フレーザーによる「金枝篇」です。この著作は、以前、修士論文の作成の際にいくつかの版で読みましたが、当著作の書きぶりが、歴史の様相とまではいかないものの、古今東西のさまざまな風習の様子や、それらの起源などについての概説を述べると云った書きぶりであり、そして、そこから、ある種の見解を抽出しようとする、以前に述べた、モザイクのピースのように並べたさまざまな風習から、ある大きな意味を見出そうとする、そのスタイルは、前出の「国家はなぜ衰退するのか」および、その系譜にある諸著作とも通底するものがあると考えるのです。さらに言い換えますと、こうした複数の具体例を並べ、それらから共通する見解を見出そうとする手法を「帰納法」というのですが、この帰納法では、一般的に参照されたデータの数、情報量が多い方が精確さが高くなると云えますが、他方で効率よく情報の収集をする場合には、あまり適した方法とは云えません。つまり、帰納法による見解の抽出とは、その見解がある程度の水準にあると云えるようになるまでには、対象とする分野や課題にもよるのでしょうが、比較的長い時間を要するのではないかと思われます。そしてまた、我々が一般的に用いている「学び」や「学ぶ」とは、概ね、こうした情報の蓄積が身体化されたことを指すと考えますが、この段階において、技術・手技が付随するのが、医療系や多くの自然科学系系分野での「学び」であると云えますが、そうした事情から、これら分野においては、そこで使われるコトバと、それが指し示す実体との関係が比較的確固としたものであると云えますが、これがおそらく人文系であると、そうした確固とした、コトバとモノの関係を身体感覚として実感することが困難であることから、それが重なって、現在の混乱しつつある我が国のようになっているのではないかと思われるのです…。また、このことは過日の和歌山訪問の際においても話題になったことでもあることから、また少し書きぶりを変えて、このことについても少し述べたいと考えています。また、これは蛇足的な私見になりますが、さきの、さまざまなものごとの推移の様相を帰納法的な視座から認識されたものこそが柳田国男が述べた「予言力」に近いものであり、また同時に、橋川文三が述べる「歴史意識」にも同様に近いものであるのではないかと考えます。そして、こうしたものを徹底的に排除してきたさきに、インターネットによって情報化された社会に姿を現しつつあるのが「ポピュリズム」であるということは、やはり悲劇的なことであるのではないかと私には思われます…。
最後に、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

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