2021年7月9日金曜日

20210709 慶應義塾大学出版会刊 ジャレド・ダイアモンド、ジェイムズ・A・ロビンソン 編著 小坂恵理 訳 「歴史は実験できるのか」pp.129-131より抜粋

慶應義塾大学出版会刊 ジャレド・ダイアモンド、ジェイムズ・A・ロビンソン 編著 小坂恵理 訳

「歴史は実験できるのか」pp.129-131より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4766425197
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4766425192

 本章で紹介するハイチとドミニカ共和国の比較は、境界に関する自然実験という学問分野に該当する。

ひとつの景観のなかに境界が任意に引かれたり取り除かれたりすると(すなわち自然環境とは無関係に境界が設定されると)、どんな結果がもたらされるのかを研究するうえで、人間によってつくられた制度が歴史にどんな影響をおよぼすのか確認していく、この「実験」ではまず、何もなかったところに境界が引かれたことによる影響について調査する。

かつては似通っていた二つの社会が次第に分岐してゆくプロセスが対象で、たとえば1945年は東ドイツと西ドイツが、同じく1945年には北朝鮮と韓国が、1991年にはバルト三国とロシアが国境線によって分断された。一方、これとは正反対のアプローチもあり、その場合には境界が取り除かれた影響を調査する。1989年の東西ドイツの再統合、近年ではスロベニアの欧州連合参加がこれに該当する。このような比較を行えば、制度や歴史の違いがもたらす影響が浮き彫りにされる。地理的に同じ場所で境界が創造または取り除かれた前後の時期を比較すれば、あるいは境界を接する似通った二つの地域の歩みを同時に比較すれば、制度や歴史以外の変数影響を排除することも可能だ。

 ハイチはアメリカ全域で最も貧しく、世界の最貧国のひとつに数えられる。森林の99%が切り払われ、土壌侵食が深刻化している。水、電気、下水処理、教育など最も基本的なサービスさえ、政府はほとんどの国民に提供することができない。これとは対照的に、ドミニカ共和国は未だに途上国だが、一人当たりの平均収入はハイチの6倍に達し、森林の28%が保存され、自然保護に関する包括的なシステムが、新世界のなかで最も充実している。アボガドの輸出量は世界第3位で、ペドロ・マルティネスやサミー・ソーサなど、野球の名選手を輩出している。そして民主主義が機能しており、最近の選挙では現職大統領が破れ、平和裏に引退している。これに対しハイチは、人口はドミニカ共和国とほぼ等しいが、雇用労働者の人数は5分の1、車やトラックの保有台数は5分の1、舗装道路の距離数は6分の1、高等教育を受けた国民の人数は7分の1、医者の人数は8分の1、石油の年間輸入・消費量は11分の1、一人当たり医療費は17分の1、発電量は24分の1、年間輸出量は27分の1、テレビの保有台数は33分の1にすぎない。さらに、ハイチの人口密度はドミニカ共和国より72%高く、乳児死亡率は2.5倍、5歳未満の栄養失調の子供の人数は5倍、マラリアの症例は7倍、エイズの症例は11倍にもおよぶ。

 しかし、二つの国は同じ島を共有している。植民地時代には、サンドミニクというフランス語名で知られていたイスパニョーラ島の西側は、アメリカ全域、いや世界のなかでも群を抜いて豊かな場所で、フランスの海外投資の三分の二がつぎ込まれた。その事実を考えると、現代のハイチの悲惨な状況にはなおさら驚かされる。イスパニョーラ島の西側では、長年にわたる独立戦争の影響で経済や社会が疲弊して、人口が減少したものの、かつてはドミニカ共和国よりもはるかに豊かで強力だった。1822年から1844年にかけて、ハイチはドミニカ共和国を征服・併合している。ところが20世紀の最初の数十年で、ドミニカの経済はハイチを追い抜いた。突然発生した富の逆転現象をどのように説明すればよいのか。

20210708 問答無用の上意下達が通用しない時代でのお上の御威光・威信の根拠について

 本日の首都圏は終日降雨ではありましたが、私については、休日ということもあり、8㎞以上を徒歩にて移動しました。歩いたエリアは、麻布十番、上野アメ横、神保町そして亀戸でしたが、中でも3回目の緊急事態宣言解除(6/20)後そして、未だ、まん延防止措置下にある上野アメ横高架下の飲み屋街での盛況ぶり(夕刻前)には驚かされるものがありました。

とはいえ、また来る7月12日から、東京都にて4回目の緊急事態宣言が発令されるとのことですが、果たして、来る12日からの緊急事態宣言下では、さきの飲み屋街を含めた都内繁華街の多くのお店にて営業時間の短縮および酒類提供の自粛などは、厳格に行われるのでしょうか・・。

テレビ番組での大まかな論調を観みますと、この新たな緊急事態宣言による、各種制限に対して遵うことを前提としたご意見が多いように見受けられるのですが、他方で、SNS上での反応を見てみますと、必ずしもそうではなく、むしろ、これに唯々諾々として遵うことは「思考停止」であるといった論調が強いように見受けられます。

そうした状況にて、体感としては、やはりSNS上での意見の方がナマの市井からの意見であると感じられるわけですが、これをさきに見た、まさにリアルな市井と云える、まん延防止措置下、上野アメ横の飲み屋街での状況と勘案してみますと「たとえ、まん延防止措置下であっても各条件を満たしていれば、飲食などは特に問題なく、そして、新たに発令される緊急事態宣言においても、更なる自粛や営業時間短縮などは必要ない」ということになると思われます。

しかしながら、上記の勘案した見解とは、私が目にしたSNS上での多くの見解(思考停止云々)の論調とは大分異なるように思われるのです。つまり、そこでは「示された各条件を満たしてさえいれば更なる自粛などは特に必要ない」にはならず「国が発令を決定する緊急事態宣言に対し、より、その根拠を示し説明し、そこからの議論を望む」といったものが多いと云えますが、施政側としては、おそらく、こちらの方が対応が面倒であり、市井であっても、さきの「各条件を満たしている場合での飲食は特に問題ない(処理的な対応?)といったご意見の方々の方が比較的扱い易いのだと思われます。

そして、こうしたことは、おそらく我が国においては面倒に思われ、端的に「ウザがられる」ところではあると思われるのですが、そこで論点をズラし情緒的にして流さずに、正面から意見をぶつけ合い、双方見解からの妥協点を積み重ね、より良いと思われる方向に物事を進めて行くことが、どうも我々は昔から苦手であるように思われるのです。見様にもよるかもしれませんが、あるいは我々は、自身の持つ意見に対し、どうも情緒的に執着し過ぎるといった傾向があるのかもしれません。また、それ故に、本質的に理論や理屈にて構成される理系学問分野以外にて議論を重ねて理論について考える訓練をする意味があるのではないかと思われるのです。

あるいはまた、施政側が、こうした議論全般を避ける傾向があるのであれば、それは施政側が自身で行っている施策の意味、背景などを理解していないからであると、とられる可能性も少なからずあると思われますが、それはかつての「問答無用の上意下達」が本格的に通用しなくなってしまった昨今においては、さらに施政側の威信や信用を損ねるものであるように思われるのですが、さて如何でしょうか・・。

他方で、悪意・底意のない鋭い議論の応酬には、一種のスポーツマン・シップのようなものが必要であるのかもしれません・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 


一般社団法人大学支援機構



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ISBN978-4-263-46420-5

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