それはおそらく、必要な知識、およびその概要がインターネットの検索により即座に理解、把握できるようになったことによります。
しかし、私見となりますが、自身の専攻、専門といったものをある程度真剣に勉強、研究してみますと、インターネット上に記載、示されていない事柄を発見することが往々にしてあります。
こうしたものの多くは、ある一つの事物に関してのものではなく、何かしら複数の要素、事柄の「関係性」についてであることが多いです。
また、そうした発見、指摘された「関係性」の内容が一般的に認められるものであるかどうかはわかりませんが、それらの中には、少数ではあるものの、新たな発見あるいは適切な指摘となる可能性を持ったものがあるのではないかと考えております・・。
そして、もしそうであれば、私であっても、そうした新たな発見、指摘ができるのであるから、他のみずみずしい知性を持った方々にとっては、より一層新たな発見、指摘の可能性があるのではないかと思います・・(笑)。
それ故、インターネットにより文系学問の存在意義がなくなるということは今後しばらくないのではないかと思います・・。
むしろインターネットとは、文系学問分野においても他の学問分野と同様、大変有効な補助器具、杖であるのではないでしょうか?
私は「インターネットによって文系学問の存在意義がなくなる」という主張に対し、それはそのように主張される方々の殆どが主体、能動的に文系学問に接した経験がなく、単なる創造的回避、処理の対象と見做していたことから、そのようにとらえるに至ったのではないかと思います。
また、本来学問とは理系、文系であれ、主体、能動的に取り組むものではないかと思います(無論面倒極まりない側面もまた少なからずあるとは思いますが・・(苦笑))。
それ故、こうした行為態度(インターネットにより文系学問が不要になる)には、何かしら本末転倒なものがあるのではないかと思います・・。
とはいえ、本質的にそれがキライな(好きでない)方々には何をいってもムダであるとは思いますが・・・。
また、あらゆる詩、文学などの存在意義も根源的には、そうした読み手側の主体、能動性に立脚し、そこを起点として、生きたものとして、それらの存在意義が駆動しはじめるのではないかと思いますが如何でしょうか?」
ここまで興味を持って読んでいただいた方々、どうもありがとうございます。