つい先日割合長めの通史ものの著作を読了しましたが、それに次いで、また新たに長めの通史ものの著作を読み始めた次第ですが、その読み進めるスピードは遅く、あるいは著作を読む間隔のインターバルをもう少し長めにとっておけば良かったのではないかとも今になって思われます・・(苦笑)。
また、以前にもブログ記事に書きましたが、読み進めるのに多少苦労する著作を読んでいる折は、ブログ記事作成などを含めた文章作成ひいては能動的行為全般の活性が鈍化する傾向があると思われるのですが、今現在もまた、そうした例に漏れず時折ボンヤリとしながら、この記事を作成している次第です・・(苦笑)。
とはいえ、これまでのブログ記事作成期間とは、総じてこのような状態であったかというわけでもなく、あまり明瞭な記憶としては残っていませんが、割合熱心に何やら文章を書き連ねることが出来ていた時期・期間もまた、たしかにあったように思われるのです・・。
そして大変面白いことに今現在、まさしくこうしてブログ記事を作成している時とは、過去にどのような感じで自身がブログ記事を書いてきたかとはあまり思い出せないのです。
おそらく視点が過去へ向かっている時とは、他方にある創造的な活動全般があまり活発に為されないのかもしれません・・。
また、そうしたことに視点が向かうと、文章の進みとは顕著に遅くなるのです・・(苦笑)。
(それは決して悪いことであるとは考えませんが・・。)
そのように考えてみますと、これまでに作成した一連の文章とは、(ほぼ)毎日とりあえず、ある程度書いてみて、そして、その書かれた文章が自身の精神・心情あるいは既存一般的な知見(意見ではない)と合致しているかどうかを読み返し検討・加筆訂正することを重ね、繰り返すことにより(どうにか)作成されているといえるのですが、こうした流れが(一応)ある程度確立してきますと、比較的文章が湧いてくる時期であっても、そうでない現在のような時期であっても(その内容が面白いかどうかは別として)何かしらの文章は書き続けることが出来るようです・・。
ちなみに今現在においては自身の作成した文章の面白さなどは、あまり意識的に考えを巡らすようなものではなく、書かれた文章全体の中に後知恵的にわずかに面白い記事が見出すことが出来れば、それで良いのではないかと考えています・・(笑)。(砂金採取と同様の要領)
そういえば、さきほど自身の意識が過去に向いている時とは、文章作成が進まない傾向があると書きましたが、これと多少関連することであるかもしれませんが、大分前に読んだ記憶のある記述が、どの著作に記載されていたかを忘れてしまうことは時折あることであり、今現在も一つあまり大きなことではないのかもしれませんが、そうしたものを抱えているのです・・。
それは和歌山県にて出土した特徴的な形式を持つ銅鐸に関してなのですが、もしも私が記憶しているとおりの書籍での記述であれば、それはこの形式の銅鐸の出土分布から云える傾向が変化するのですが、そのことは和歌山市の太田黒田遺跡から出土した外縁付紐式の銅鐸(当地特有の緑泥片岩製の舌を持つ)が島根県雲南市の我が国これまでの最大個数の銅鐸出土地である加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸四つと同笵(同じ鋳型にて製作)である事実と、私としては同程度に面白いことであるのですが・・。
ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された地域における諸インフラの復旧・回復そして、その後の復興を祈念します。」
参考文献:「銅鐸民族の謎_争乱の弥生時代を読む」
臼田篤伸著
ISBN-10: 4882029286
ISBN-13: 978-4882029281