*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。
これまで当ブログにて銅鐸に関する記事をいくつか作成してきましたが、私は2001年に北海道から南紀白浜へ転勤になるまでは、そもそも銅鐸についての知識や関心は皆無でした。その後、南紀での生活を通じて、徐々に興味関心を持つに至ったわけですが、そこで「何故、銅鐸に興味を持つようになったのか?」と問われますと、明晰に回答することは難しいと云えます。
かなり粗いところからですと、当時、蔵書に古書で購入した和歌山県の古代遺跡についての概説書があり、これを退勤後や休日に読んでいますと、比較的近所の自動車、自転車で少し走ったところに遺跡や遺物出土地などがあることを知り、あるいは休日のサイクリングで偶然にそうした場所に行き着き、あとになり書籍で調べなおすといったこともありました。
ちなみに私が2001年から2003年までの期間に住んだ和歌山県西牟婁郡白浜町では、伝白浜町出土とされる銅鐸は、いくつかの資料に記載があったと記憶していますが、間違いなく同町出土とされるものはなく、南紀での銅鐸出土状況は、隣の田辺市や上富田町からのものであり、そこから南では紀伊半島を東側に回った新宮市にて破砕状態のもの(近畿式とされる)が熊野速玉大社の摂社である神倉神社の境内から出土しており、これは後世(平安時代)の仏教遺跡の遺物と交ざり、実際に弥生時代末期(2世紀末、3世紀初頭頃)のものであるかは不明とされ、また、新宮市から北に続く紀伊半島東部については、その後、濃尾平野を主体とする伊勢湾文化圏に含まれる津市の雲出川流域まで銅鐸の出土例はないことから、さきの新宮での破砕状態での銅鐸の出土は、紀伊半島西部の上富田町から同半島を東に回り、かなり北上した津市までの領域での、ただ一つの出土例とされることから、尚更、その来歴の精査は必要でありながらも、同時に困難であるように思われます。
さて、以前に何度か述べましたが、紀伊半島西部では、粗く分析すると、北部に初期・小型・低装飾の銅鐸が多く、南下に伴い、徐々に後期・大型・高装飾のものが占める割合が大きくなる傾向があると云えます。
これはおそらく、その北隣の大阪府での出土傾向と比較しますと、興味深いと思われますが、他方で、これを紀伊水道を挟んだ四国東部と比較してみますと、その北端である香川県での銅鐸出土傾向は、総数20個ほどであり、それらは全て50㎝未満の比較的小型・初期のものであり、大型・後期を特徴付ける近畿式銅鐸の出土例はありません。次いで、その南に位置する徳島県での出土傾向は、総数が40個ほどであり、吉野川流域に集中する傾向を示し、県内出土の南端は阿南市であり、また、それらは総じて、さきの香川県同様、50㎝未満の比較的小型のものが多いものの、香川県での出土傾向と異なる点は、その中にいくつかの1mに達する、後期を特徴付ける近畿式銅鐸の出土があることです。つまり、総じて初期・小型の銅鐸が多いなか、いくつかの後期・大型のものが混在し、出土していることであり、こうした傾向は、紀伊水道対岸の北紀・中紀での出土傾向と幾分か類似しているようにも思われます。続いて、さらに南に位置する高知県においては、以前に述べましたが、物部川東岸までが同県内での(これまでの)出土領域とされており、その傾向は、総数は10個ほどであり、また、その殆どが50㎝以上の後期・大型の近畿式銅鐸であることです。そして、この高知県での銅鐸出土傾向は、対岸である和歌山県の特に南紀での同出土傾向と類似しているように思われます。
さて、如上の各地域での銅鐸出土傾向を眺めてみますと、香川・徳島・高知を包括した地域と、和歌山を主とする紀伊半島西部地域においては、辺縁領域に近接するにしたがって、出土する銅鐸が、後期作成の高装飾・大型のものが多くなるという、共通する傾向があるように思われます。とはいえ、これについては、それぞれに隣接する岡山県、淡路島そして兵庫県での出土傾向をさらに精査する必要があると思われますが、また同時に、一つの検討のための視座にはなるのではないかとも思われました。
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。
おかげさまで一昨日投稿の「特徴的な地域の歴史背景について」は、投稿後二日目にしては比較的多くの方々(50人以上)に読んで頂けました。これを読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
地域の古くからの伝統には、それぞれ固有の価値があると考えていますが、鹿児島と同様、和歌山のそれも首都圏出身の私からしますと、大変興味を惹くものであり、また、そうしたことを在住期間の中で強く感じたことから、それまでの興味の方向性から変化していったのだと云えます。
あるいは異言しますと、当時の生活の中で感じ得る和歌山の文化全般とは、驚きに満ち、興味を惹くに足るものであり、さらに、それらの歴史的背景を書籍などを通じて、どうにか知るうちに、徐々にそれら(実体験と書籍からの知識)が化合し、新たな、その地域、さらには我が国に対する価値観・感覚のようなものが形成されていったということになります。
それまでの私の自国の歴史に対する興味は、概ね16・17そして19・20世紀に集中していましたが、和歌山での生活によって、紀元前後あたりの弥生時代から古墳そして飛鳥時代の7世紀末頃までについても、地域の歴史を基軸として興味を持つに至りました。
そして、その端緒を明らかにすべく、記憶を辿りますと、それは一つではなく、たとえば、勤務していた白良荘グランドホテル近くの熊野三所神社境内にある火雨塚古墳、あるいは、休日の一人サイクリングにて迷い込んだ場所にあった古くからの祭祀遺構、そして、その付近にて銅鐸が出土していることを書籍から知ったこと、などであったと云えます。
当時は、そうしたことに対して自然に好奇心が刺激され、驚異の念を抱くことが出来ていましたが、現在の私は、以前にも書きました通り、そうした感性のセンサーはいくらか有意に劣化しているように感じられます・・(苦笑)。
つまり、ある程度大きな感動や驚きを惹起させるような出来事に遭遇することが少なくなったと云えるのですが、これは自分次第で再度、センサーの感度を高めることは出来るものなのでしょうか・・。
おそらく、これが現在の私にくすぶっている問題であると云えますが、これをどうにか解決するためには、能動的に遮二無二動く必要性があるように思われますが、この「能動的に遮二無二動く」こそが「若さ」が為し得る特権であり、これをある種の諦念のようなもので止めてしまうと「落着き」は得られるのかもしれませんが、他方で、若さに因る感性の瑞々しさは、減衰していってしまうのではないかと思われます。諺に云う「転石苔むさず」といったところです。
そういえば、この「転石苔むさず」は「A rolling stone gathers no moss.」の和訳ですが、それが意味するところは、同じ英語圏でも英国と米国にて異なるようであり、そこから、それぞれのお国柄のようなものが察せられます。私としては、活発に動くことを佳しとする意味の方に共感を覚えるところですが、同時に、さきに述べた事情から、そうも云い辛くなってきているのが現状と云えるのかもしれません・・(苦笑)。
また、そうしたことを考えてみますと、現在の我が国においても、この「転石苔むさず」の諺は、何やら感慨深いものであり、あるいは、1945年から現在に至るまでの戦後社会において解釈される、その意味合いの変遷を、さまざまな出版物等を通して検討してみるのも、なかなか面白いのではないかとも思われます・・。くわえて、現在の我が国においては、さきに述べたような「活発さ」そして「感性の瑞々しさ」が求められている状況であると思われますが、しかしながら同時に、国全体が収縮しているとも云える現状においては、それもまたキビしく、さらにそこから、全体的に安心や安全を求める方向性にて諸事進むようになりますと、負のスパイラルのようなものが発動してしまうのではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか。
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: tsurukiclinic2001@gmail.com
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: tsurukiclinic2001@gmail.com
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。
おかげさまで、前回の記事投稿により総投稿記事数が1440に到達しました。また、以前に、年内での目標記事投稿数を1440と述べましたが、その目標には到達し、次はその目標を1445に更新しようと思います。
年内残り10日あまりにて5記事を追加投稿することは、そこまで困難とは感じられず、また、これまで書き続けている【架空の話】の続きも作成したいと考えています。
この【架空の話】ですが、直近投稿の「其の55」は、投稿後4日にしては、思いのほか多くの方々に読んで頂きました。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
他方で、専門職大学の編入試験からKでのアパート探しまでを概ね時系列的に書いた、其の1~其の52から少し時間が進み、GW後、学科にて開催の「飲み方」について書いた「其の53」も、さきと同様、自身の作成記事としては多くの方々に読んで頂いていたことから、次回投稿の【架空の話】は、この「飲み方」(「其の53」)の先を書いてみようと考えています。
しかし同時に、いずれであれ、これらを更に今後、書き進めていくためには、実際に現地を訪れ自身の記憶を励起させるか、あるいは取材的に現地での見聞を更新する必要があるのではないかと思われましたが、現今状況下では、それは叶いませんので、今しばらくは現在の環境下にて書き続けてみようと思います・・。
また、その際に多少役立つと思われたものは、自身の歯科技工学校時代のノートであり、これは先日、本箱の中から探し出しました。
当時、2007年頃の私は、文系院の修士を修了した直後のためか、変に理屈っぽくなっており、一方で、自らの手があまり器用に動かないことに、苛立ちのようなものを覚え、焦燥感のようなものを抱いていました。しかし、そうであっても初めて見聞する歯科医療分野の知識は大変新鮮であり、特に歯科材料学(歯科理工学)は、それまで文系院にて取組んだ、主に紀南地域の地域性検討のための一要素として定めた弥生時代の青銅製祭器「銅鐸」の作成手法が、原理的には、歯科医療分野での合金製歯冠修復物(メタルクラウン)と同じであったことから興味を持ち、自分なりに色々と取組んだ結果、その分野での大学院に歯科技工士として進むことになりました・・。
現在では、こうした歯科技工士の方々がいらっしゃることは知っていますが、当時(2009年)はかなり珍しかったのではないかと思われます・・。あるいは巨視的に見ると、これは一つの社会実験であったのかもしれませんが、その意味においては、私は「失敗した試作機」と云えなくもないです・・(苦笑)。
しかし他方で、そうした背景を持つ人間(そこでは私が歯科技工士であるということは背景の一要素となる。)が、これまたヘンテコにもブログ記事の作成をどうにか5年以上続け、そしてまた、書籍からの抜粋記事が少なからずあるものの、どうにか1400記事程度まで作成出来ていることは、直接的な社会有用性にはあまり寄与していないのかもしれませんが、それでも、何らかの新たな可能性を社会に示唆しているのではないかと、自惚れではありましょうが提示し、主張してみたくもなるのです・・(笑)。
ともあれ、年内に1445記事まで到達出来ればと思います。