おかげさまで一昨日投稿の「特徴的な地域の歴史背景について」は、投稿後二日目にしては比較的多くの方々(50人以上)に読んで頂けました。これを読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
地域の古くからの伝統には、それぞれ固有の価値があると考えていますが、鹿児島と同様、和歌山のそれも首都圏出身の私からしますと、大変興味を惹くものであり、また、そうしたことを在住期間の中で強く感じたことから、それまでの興味の方向性から変化していったのだと云えます。
あるいは異言しますと、当時の生活の中で感じ得る和歌山の文化全般とは、驚きに満ち、興味を惹くに足るものであり、さらに、それらの歴史的背景を書籍などを通じて、どうにか知るうちに、徐々にそれら(実体験と書籍からの知識)が化合し、新たな、その地域、さらには我が国に対する価値観・感覚のようなものが形成されていったということになります。
それまでの私の自国の歴史に対する興味は、概ね16・17そして19・20世紀に集中していましたが、和歌山での生活によって、紀元前後あたりの弥生時代から古墳そして飛鳥時代の7世紀末頃までについても、地域の歴史を基軸として興味を持つに至りました。
そして、その端緒を明らかにすべく、記憶を辿りますと、それは一つではなく、たとえば、勤務していた白良荘グランドホテル近くの熊野三所神社境内にある火雨塚古墳、あるいは、休日の一人サイクリングにて迷い込んだ場所にあった古くからの祭祀遺構、そして、その付近にて銅鐸が出土していることを書籍から知ったこと、などであったと云えます。
当時は、そうしたことに対して自然に好奇心が刺激され、驚異の念を抱くことが出来ていましたが、現在の私は、以前にも書きました通り、そうした感性のセンサーはいくらか有意に劣化しているように感じられます・・(苦笑)。
つまり、ある程度大きな感動や驚きを惹起させるような出来事に遭遇することが少なくなったと云えるのですが、これは自分次第で再度、センサーの感度を高めることは出来るものなのでしょうか・・。
おそらく、これが現在の私にくすぶっている問題であると云えますが、これをどうにか解決するためには、能動的に遮二無二動く必要性があるように思われますが、この「能動的に遮二無二動く」こそが「若さ」が為し得る特権であり、これをある種の諦念のようなもので止めてしまうと「落着き」は得られるのかもしれませんが、他方で、若さに因る感性の瑞々しさは、減衰していってしまうのではないかと思われます。諺に云う「転石苔むさず」といったところです。
そういえば、この「転石苔むさず」は「A rolling stone gathers no moss.」の和訳ですが、それが意味するところは、同じ英語圏でも英国と米国にて異なるようであり、そこから、それぞれのお国柄のようなものが察せられます。私としては、活発に動くことを佳しとする意味の方に共感を覚えるところですが、同時に、さきに述べた事情から、そうも云い辛くなってきているのが現状と云えるのかもしれません・・(苦笑)。
また、そうしたことを考えてみますと、現在の我が国においても、この「転石苔むさず」の諺は、何やら感慨深いものであり、あるいは、1945年から現在に至るまでの戦後社会において解釈される、その意味合いの変遷を、さまざまな出版物等を通して検討してみるのも、なかなか面白いのではないかとも思われます・・。くわえて、現在の我が国においては、さきに述べたような「活発さ」そして「感性の瑞々しさ」が求められている状況であると思われますが、しかしながら同時に、国全体が収縮しているとも云える現状においては、それもまたキビしく、さらにそこから、全体的に安心や安全を求める方向性にて諸事進むようになりますと、負のスパイラルのようなものが発動してしまうのではないかと思われるのですが、さて、如何でしょうか。
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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