2025年1月27日月曜日

20250127 株式会社早川書房刊 ダロン・アセモグル&ジェイムズ・ロビンソン著 鬼澤忍訳 「国家はなぜ衰退するのか」ー権力・繁栄・貧困の起源ー上巻 pp.280-282より抜粋

株式会社早川書房刊 ダロン・アセモグル&ジェイムズ・ロビンソン著 鬼澤忍訳
「国家はなぜ衰退するのか」ー権力・繁栄・貧困の起源ー上巻
pp.280-282より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4150504644
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4150504649

難破船とグリーンランドの氷床スコアを利用すれば、初期ローマの経済的拡大を追跡できたのと同じように、その衰退も追跡できる。500年までに、ピーク時に180隻あった難破船は30隻まで減少していた。ローマが衰退すると地中海貿易はすたれた。ローマ時代のレベルに戻るのは、19世紀になってからのことだと主張する学者さえいる。グリーンランドの氷床からも似たような状況が読み取れる。ローマ人は銀でコインを鋳造し、鉛を用いてパイプや卓上食器類といったさまざまなものをつくった。氷床に堆積した鉛、銀、銅の量は、1世紀にピークを迎えたあとで減少したのだ。

 ローマ共和国時代の経済成長の経験は、ソ連のような収奪的制度のもとでの成長事例と同じく、印象深いものだった。だが、包括的な一面を持つ制度のもとで起こったことを考慮しても、その成長は限られたものであり、持続しなかった。成長を支えていたのは、比較的高い農業生産性、属州からの相当な貢ぎ物、遠距離貿易などだったが、裏付けとなる技術的進歩や創造的破壊が欠けていたのだ。ローマ人はいくつかの基本的なテクノロジー、すなわち鉄製の道具や武器、読み書きの技能、鋤を使った農業、建築技術などを受け継いでいた。共和国の初期にはそれ以外のものを生み出した。たとえば、セメントを使った石造建築、ポンプ、水車などだ。だがそれ以降、ローマ帝国時代を通じてテクノロジーは停滞した。たとえば海運業では、船の設計や索具装置にほとんど変化はなかったし、ローマ人がオールによる操船術の代わりに船尾舵を開発することは決してなかった。水車の普及は遅々としていたため、水力がローマの経済に革命を起こすこともありえなかった。水道橋や都市下水路といった偉業でさえ、完成させたのはローマ人だが、既存のテクノロジーに頼りある程度の経済成長は可能だったが、それは創造的破壊の伴わない成長だった。こうした成長は長続きしなかった。財産権がさらに不安定になり、市民の経済的権利が政治的権利の後を追うように縮小すると、経済的成長も同じように縮小したのだ。

 ローマ時代の新しいテクノロジーに関して注目すべきことは、その創造と普及が国家によって推進されたらしいことだ。これは善いニュースだ。ただし、政府が技術的発展に与しないと決めるまではー創造的破壊への恐怖のせいで、こうした事態はありふれているのだ。

20250126 知的探求の足場としての読書

つい先日、中央公論新社刊 竹中亨著『大学改革』を書店で立ち読みしたところ、大変興味深く思われたたため購入し、現在読み進めています。おそらく、ウェブ上にもあると思われますが、当著作の視座で興味深いところは、比較対象とする大学をアメリカ合衆国ではなく、ドイツ連邦共和国とした点と云えます。そして、文中にある、その理由についての記述も妥当であると考えたことから、さらに読み進めている次第です。

  斯様に、現在もいくつかの新書や既読の著作を読んでいますが、冬も深まり寒さのために活性が落ちているのか、これまで、また新たに「それなりにヘビーな著作を読んでみよう」と思うことはありません。しかし、例年、暖かくなってきますと再び読書意欲も活性化しますので、特にあわてる必要はないと考えています。

 とはいえ、昨今の読書について振り返りますと、以前にも述べたことがありますが、SNS(X)上の情報から購入した著作が多くなり、SNS使用以前(~2020年)のように、書店での立ち読みから購入に至るケースが減ったと実感しています。そして、そうした書籍選択時の行動の変化によるものなのか、ここ数年は国際情勢の変動に関連した著作を読む機会が多くありました。これらの著作は勉強になり良かったのですが、同時にやはり、そうした読書は少し疲労を感じることもあります。

 端的に云えば、ある程度慣れた分野の著作であれば読む際にそれほどストレスを感じませんが、新たな分野の著作を読む場合は、その分野特有の言語に慣れるまで少なからずストレスを感じるものです。これは、近年読んだ中東・東欧を扱った著作の読書の際に度々感じました。しかし一方で、その中に既知の事柄(近現代史上の重要な出来事など)が含まれていると興味が持ち直されて、さらに読み進める意欲が湧いてくるのです。その意味で、ストレスが多い新たな分野での読書の中に、ある程度知っていると自覚できる要素があることは、その書籍を読み進める際に、ある種、理解の足場となるのではないかと考えます。

 その意味において、読書という文字体験には、口語やマンガのような表現形態とは異なる種類の影響が精神にあり、それらの影響の蓄積と個々の相互反応が議論となり、さらに統合されて文章となり、学術的な洗練を経て論文などへと昇華されるのではないかと考えます。その意味から、諸学の基盤としての読書、すなわち、書籍を読み、その意味や内容を文章や図などを通じて理解し、実地での検証を試みるまでの行為の中には、人間の知性にとってきわめて重要なものが含まれていると考えます。そしてまた、そうであるからこそ、幕末期に大阪の著名な蘭学塾である適塾出身の方々が、当時のさまざまな方面で活躍することができたのではないかと考えます。

 適塾出身の方々は、西洋の学問を取り入れ、それを我が国独自の文脈に応用して、その実力を示しました。そして、そうした我が国の基本的な状況は、現在であっても大きくは変化していないと考えます。しかし同時に昨今では、そうした知識や情報の参照元が、分野によっては西洋ばかりではないといった様相が強くなり、また今後は、さらに流動的になっていくのではないかと思われます。そして、そうした近年の歴史的潮流とは、あるいは数百年に一回程度のものである可能性もあることから、今しばらくは、この状況をもう少し理解するため、異分野の著作であっても出来るだけ読み進めます。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構

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ISBN978-4-263-46420-5

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