河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳
『サピエンス全史』上巻pp.27-31より抜粋引用
ISBN-10: 430922671X
ISBN-13: 978-4309226712
ホモ・サピエンスに分類されうる動物が、それ以前の人類種から厳密にいつどこで最初に進化したかはわからないが、十五万年前までには、私たちにそっくりのサピエンスが東アフリカに住んでいたということで、ほとんどの学者の意見が一致している、もしその一人の遺体が安置所に運び込まれたとしても、そこの病理学者には現代人のものと見分けがつかないだろう。火の恩恵を享受していた彼らは祖先よりも歯と顎が小さく、一方、脳は巨大で、私たちのものと同じぐらいの大きさがあった。
東アフリカのサピエンスは、およそ七万年前にアラビア半島に拡がり、短期間でそこからユーラシア大陸全土を席捲したという点でも、学者の意見は一致している。
ホモ・サピエンスがラビア半島に行き着いたときには、ユーラシア大陸の大半にはすでに他の人類が定住していた。では、彼らはどうなったのか?それについては、二つの相反する説がある。「交雑説」によると、ホモ・サピエンスと他の人類種は互いに惹かれ合い、交わり、一体化したという。アフリカ大陸からの移住者は世界中に拡がる過程で、他のさまざまな人類種の集団と交雑し、現代の人々はこの交雑の産物である、というわけだ。
たとえば、サピエンスは中東とヨーロッパに達したとき、ネアンデルタール人と遭遇した。ネアンデルタール人はサピエンスと比べると、筋肉が発達し、大きな脳を持っており、寒冷な気候にもうまく適応していた。道具と火を使い、狩りが上手で、明らかに病人や虚弱な仲間の面倒を見た(思い身体的障害を抱えながら何年も生き長らえたネアンデルタール人の骨が考古学者によって発見されている。(これは身内に面倒を見てもらった証拠だ)。ネアンデルタール人は凶暴で愚かな「穴居人」の典型として風刺画に描かれることが多いが、最近得られた証拠によって、そのイメージが変わった。
交雑説によれば、サピエンスはネアンデルタール人の土地に拡がったとき、彼らと交雑し、ついには一体化したという。もしそれが正しければ、今日のユーラシア人は純粋なサピエンスではなく、サピエンスとネアンデルタール人の混血だ。同様に、サピエンスは東アジアに到達したとき、現地のホモ・エレクトスと交雑したので、中国や朝鮮半島に住む人は、サピエンスとホモ・エレクトスの混血ということになる。
これと対立する、いわゆる「交代説」は、それとは大きく異なる筋書きを提示する。ホモ・サピエンスは他の人類種と相容れず、彼らを忌み嫌い、大量殺戮さえしたかもしれないというのだ。この説によると、サピエンスと他の人類種は異なる解剖学的構造を持ち、交合の習性はもとより、体臭さえも違っていた可能性が非常に高いという。彼らは互いにほとんど性的関心を抱かなかったはずだ。そして、仮にネアンデルタール人のロミオとサピエンスのジュリエットが恋に落ちても、繁殖力のある子供たちは残せなかった。両者を隔てる遺伝的な溝は、すでに埋めようがなくなっていたからだ。この二つの人類種は完全に別個のままであり続け、ネアンデルタール人が死に絶えたとき、あるいは殺し尽されたとき、その遺伝子も同じ運命をたどった。この見方に従えば、サピエンスは、自らより先に誕生していた他の人類種と混じり合うことはなく、彼らすべてに取って代わったことになるそれが正しければ、現代の人類種と混じり合うことはなく、彼らはすべてに取って代ったことになる。それが正しければ、現代の人類全員の血統は、七万年前の東アフリカまで、純粋にたどれる。私たちはみな、「生粋のサピエンス」というわけだ。
二つの説をめぐる論争には、多くがかかっている、進化の観点に立つと、七万年というのは比較的短い期間だ。もし交代説が正しければ、今生きている人類は全員ほぼ同じ遺伝子コードを持っており、人種的な違いは無視できるほどにすぎない。だが、もし交雑説が正しいと、何十万年も前までさかのぼる遺伝的な違いがアフリカ人とヨーロッパ人とアジア人の間にあるかもしれない。
これはいわば人種差別的なダイナマイトで、一触即発の人種説の材料を提供しかねない。
ここ数十年は、交代説がこの分野では広く受け入れられてきた。こちらのほうが堅固な考古学的裏付けがあり、人種差別的でなく穏当だった(現生人類の間に重大な遺伝的多様性があると主張して、人種差別というパンドラの箱を開けることを、学者は望んでいなかった)。だが2010年、ネアンデルタール人のゲノムを解析する四年に及ぶ試みの結果が発表され、この論争に終止符が打たれた。遺伝学者たちは、化石から保存状態の良いネアンデルタール人のDNAを十分な量だけ集め、現代人のDNA全般的に比較てきた。その結果は科学界に大きな衝撃を与えた。
中東とヨーロッパの現代人に特有のDNAのうち、一~四パーセントがネアンデルタール人のDNAだったのだ。これはたいした量ではないが、それでも重大なことに変わりはない。その数か月後、第二の衝撃が走った。デニソワ人(ホモ・デニソワ)の化石化した指から抽出したDNAを解読すると、現代のメラネシア人とオーストラリア先住民のDNAのうち、最大六パーセントが、デニソワ人のDNAであることが立証されたのだ。
もしこうした結果が確かであれば(さらなる研究が進行中で、これらの結論は補強あるいは修正されるかもしれないことは、ぜひ留意しておいてほしい)、交雑説の支持者は、少なくとも部分的には正しかったわけだ。とはいえ、交代説が完全に間違っていたことにはならない。ネアンデルタール人は、今日の私たちのゲノムにほんのわずかのDNAしか与えていないので、サピエンスと他の人類種が「一体化」したとは、とても言えない。両者の間の違いは、交合して子孫を残すのを完全に妨げるほど大きくなかったとはいえ、そのような交合はやはり非常に稀だったはずだ。
それではサピエンスとネアンデルタール人とデニソワ人の間で見られる生物学的なつながりは、どう理解すたらいいのか?彼らは明らかに、馬やロバのように、完全に異なる種ではなかった。その一方で、ブルドッグとスパニエルのように、たんに同じ種の別の集団でもなかった。生物学的な現実は、白と黒というふうに、はっきり二分されてはいない。重要なグレーゾーンもあるのだ。馬とロバのような、共通の祖先から進化した二つの種はみな、しばらくの間は、ブルドッグとスパニエルのように、同一の種の二つの集団だった。そしてその後、両集団の個体がすでに互いにかなり異なりはしたものの、稀に交合して繁殖力のある子孫を残すことができる時期があったに違いない。やがて新たな突然変異が起こって、両者を結びつける最後の絆が断ち切られ、両者はそれぞれ別の道をたどり始めた。