東洋経済新報社刊 北岡伸一・細谷雄一・田所昌幸・篠田英朗・熊谷奈緒子・託摩佳代・廣瀬陽子・遠藤貢・池内恵 編著「新しい地政学」
pp.149‐152より抜粋
ISBN-10 : 4492444564
ISBN-13 : 978-4492444566
中国は、多くの場合、地政学上の概念で陸上国家と見なされることが多い。しかしスパイクマンの修正概念を用いれば、中国は、地政学上の「両生類(amphibia)」に分類される地理的環境にある。中国は、大陸に圧倒的な存在感を持って存在している一方で、遠大な大洋に通ずる沿岸部を持っているからである。中国は、歴史上大陸中央部からの勢力による侵略と、海岸での海賊等も含めた勢力による浸食に悩まされてきた。「一帯一路」構想は、ユーラシア大陸を貫く(中国影響圏の)複数の帯を放射線上に伸ばすだけでなく、大陸沿岸部にも中国から伸びる海洋交通路を確立することを目指している。
南下政策の伝統的なパターンを踏襲するロシアの影響力の拡張に対して、一帯一路は、ユーラシア大陸の外周部分を帯状に伝って、中国の影響力を高めていこうとする点で、異なるベクトルを持っている。ロシアのように、大洋を求めて南下しているのではない。中国は、資源の安定的な確保や市場へのアクセスを狙って。リムランドにそって影響力を広げていこうとしている。そこで一帯一路は、海洋国家群のインド太平洋戦略と、点上においてではなく、平行線を描きながら、対峙していくことになる。
2017年、スリランカのシリセナ政権は、中国からの支援を背景に内戦を勝ち抜いたラージャパクサ前政権時に累積した巨額の負債の処理に苦慮し、南部ハンバントタ港の運営権を99年間、中国企業に貸し出すことに合意せざるをえなくなった。同じようにインド洋に浮かぶモルディブでも、中国主導の経済開発が、政治的対立と結びつき、政情不安定が訪れている。スリランカでは、もともとラージャパクサ前大統領が中国に依存する傾向を持ち、シリセナ大統領はそれを是正する姿勢を見せていた。モルディブでも、中国との距離のとり方が、大統領派と反大統領派の政治対立に結びついている。インドを回避して、インド洋の「橋頭堡」を確保しようとする一帯一路あるいは「真珠の首飾り」(南シナ海、マラッカ海峡、インド洋、ペルシャ湾にかけての地域に軍事施設などを置く中国の政策)の戦略は、インド太平洋戦略と摩擦を起こしつつ、各国の内政にも影響を与えている。
◉超大国中国の影響
東南アジアでも似たような構図が生れている。たとえばミャンマーのロヒンギャ問題は、現在の国際社会の一大関心事であり、欧米諸国はミャンマー政府を非難している。しかし具体的な対応策をとることができないのは、中国がミャンマー政府の後ろ盾となっている事情が大きいだろう。カンボジアのフン・セン政権の人権抑圧についても、あるいはタイの軍政や、フィリピンのドゥテルテ大統領の強権政治についても、中国の動きを入れるのでなければ、各国は政策を進めていくことができない。
中国がさらに圧倒的な存在感を見せるのは、北朝鮮をめぐる問題においてである。巨大な島国である日本と、大陸の超大国である中国に挟まれた朝鮮半島は、古来より国際政治情勢に起因する大きな変動を被ってきた。ただし19世紀末から20世紀半ばまで、日本の国力の増大によって、朝鮮半島全体が日本の影響下・支配下に置かれるという事態が起こった。この事態を打ち破ったのは、同じ海洋国家として、むしろ拡大しすぎた日本の影響力を警戒したアメリカであった。
アメリカは、日本を打ち破って占領統治した政策の帰結として、朝鮮半島の帰趨に関与することになった。朝鮮半島以降、日本に代わってアメリカが、中国とにらみあいながら。海洋国家のプレゼンスを朝鮮半島に維持する役割を担うようになった。現在、北朝鮮の核開発問題をめぐっては、アメリカと北朝鮮の間の直接交渉を通じた打開策が模索されている。本来であれば、経済制裁によって脆弱化した北朝鮮に対して、アメリカは優位な立場にある。しかし超大陸・中国が後ろ盾として存在しているかぎり、単純なアメリカ優位のままの事態の解決は容易ではない。一帯一路とアジア太平洋の戦略は、まず朝鮮半島から激突していると言ってよい状況である。なお、最近の日韓関係の悪化の背景に、こうした構造的な地政学的要因によって韓国の立ち位置が微妙なものになってきていることが関係していないとは言えないだろう。
なお中国は、さらにアフガニスタンや中央アジア諸国、さらにはアフリカ諸国に関しても、財政貢献や政治調停への参画に関心を持っている。特に大量の援助を投入してきたアフリカにおける影響力は、かつてないほどに大きい。もっとも今のところ、中国の影響力は、中東においてはまだ限定的だと言える。
急速な発展で超大陸の一つと見なされるようになった中国が紛争多発ベルト地帯に対して持つ影響力は、まだ発展途上にあると言えるかもしれない。しかしその一帯一路の戦略が、アジア太平洋の戦と、紛争多発ベルト地帯にまたがる形で摩擦を生み出していく傾向は、今後さらに増えていくだろう。