A「本日も若干帰宅が遅くなり、ほぼ日課としているこのブログ記事作成を開始する時間が遅くなってしまいました・・(苦笑)。
それでも、この後におよんで記事を作成しないことはいささか心苦しいため、本日分(20160808)の記事作成を始めました・・。
そういえば先日街を歩いていますと、うなぎ屋があり、そこから大変良い匂いが流れてきました・・。
そして、そこからさらにしばらく歩いておりますと、今度は中華料理屋があり、店先に出ているメニューを記した看板には「四川麻婆豆腐」と記されており、その横に「本場通り山椒を使っています。」と書かれておりました・・。
この二つを眺めた後、不図思ったことは「そういえば両方共に山椒を使うなあ・・。」ということです。
山椒とは英語では「Jpapanese pepper」とのことですが、おそらく中国の比較的南部の内陸部においては我が国同様あるいはそれより古くから料理などに用いていたのではないかと思われます。
また、私が中国での山椒の使用法について記されていたもので思い出すのは、たしか揚子江、長江の中下流域における漁法であり、山椒の樹皮を網に繰るんで、それを水中にて揉むと、山椒の樹皮から抽出される痺れ成分により水中の魚が気絶し、浮き上がってきたものを捕えるといった方法でした。
これはかつて大学図書館にあった書籍にて読み、何故だか妙に感心したため覚えておりました・・(笑)。
あるいはこうした漁法もまた古の我が国において存在していたのではないかと思われます・・。
また、そのように考えてみますと、もしかすると、この山椒の料理、漁への利用などもまた、以前ブログにて記した「照葉樹林文化」に包含されるものであるのかもしれません・・。
また、ここまで記していて同様に山椒で思い起こされたことは、たしか「古事記」の神武東征における浪速、大阪での敗退を喫した上陸戦のあたりに出てくる
「みつみつし久米の子らが垣下に植えし椒(はじかみ)口疼く吾は忘れじ撃ちてし止まむ」
という太平洋戦争期に突如有名になったフレーズが含まれる歌ですが、この歌に出てくる椒(はじかみ)とは山椒のことであり、大意としては「戦に負けたことを山椒のヒリヒリ感のように忘れまいぞ!」といったところではないかと思います。
そしてこれと類似する意味を持つ四字熟語が「臥薪嘗胆」であるのかもしれません・・。
ともあれ、以上の歌からは、古墳時代(多分前期?)の西日本の何処かには、家の垣根に山椒を植える習俗を持つ部族(?)がいたことが示されるのかもしれません・・。
そして、その起源とは、もしかすると、我が国の水稲耕作の故地である中国、長江中下流域にあるのかもしれません・・。
山椒とひとくちにいいましても、なかなか奥が深いものです・・(笑)。
今回もここまで興味を持って読んで頂いてどうもありがとうございます。
さる四月の熊本における大地震によって被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」