A「本日は終日を通して悪天候であり、また気温も上がらず外出には決して好ましいといえる一日ではありませんでした。
さらにまた、明日もこうした状況が続くとのことであり、こうしたことは、わずかではありますが気分を重くさせるには十分な効果を持っているようです・・(苦笑)。
そして、今後もこうした状況が続き、季節が変化していくと思われることから冬用衣類も近日中に準備しておく必要があるように思われます。
とはいえ、本日に関しては未だ冬用衣類を用いることなく、選挙への投票をも含んだ外出をしておりました。
この時に着ていたものは、オイルを染み込ませた布地を用いた雨用のジャケットであったことから、傘をささずに歩いていますと、後ろの方から『すいません、ちょっといいですか?』と声をかけられ振り返りますと自転車に乗りフード付きのレインコートを着た女性から『よければ、この傘を差し上げますので使いませんか?』といわれました。特に断る理由もなかったため、その傘を『どうもありがとうございます。では使わせて頂きます。』というお礼と共に受け取り、以降、頂いた傘をさしつつ歩きました。
以上の経緯により傘をさしつつ歩いていますと不図、つい先日、所用のため地下鉄三田駅近くの郵便局に出向いた際、この折も雨が降っていたことから傘をさして行き、郵便局前の傘立てに傘を置き、五分程度の所用を済ませ、帰りしなに傘立てを見ますと、置いてあった傘がなくなっていたという出来事が思い起こされました。
この時、その事態がなかなか呑み込めないため、しばらく傘立ておよびその周辺をいぶかしげに見ていますと、その行為とは後から郵便局に来られた方々にとって入口付近を部分的に占拠してしまうことから迷惑であることに気付き、その場を退散し、雨に濡れつつ事務所に戻りました。
その時は、傘を盗まれた、あるいは間違えて持っていかれたにしても、自身にとっては驚くべき出来事であったことから少し落ち込みましたが、本日の先ほど書いた、それとは逆の出来事により、どうしたわけか、いや、もとよりそれらの出来事の間に(科学的な意味での)関連性などはないのでしょうが、それでも、そこに何かしら不思議な因縁らしきものを感じさせられたのです・・(笑)。
また、これらの出来事の間に関連性はなくとも、同時に『不思議である』と感じることには決して矛盾であるとも、おかしいことでもないように思われるのです・・。
そしてまた、それらの(科学的な意味での)関連性について考えることと同時に、そうした不思議さについても考えてみることは、案外と重要なことではないかとも思われるのです。
あるいは、これらの『感じ方』つまり『考えのはじまるところ』に、理系的なるものと、文系的なるものの根源的ともいえる相違が存在するのではないかとも思われるますが、さて、これらのことについては、どのようにお考えになるでしょうか?
とはいえ、今回もまた、ここまで読んで頂きまして、どうもありがとうございます。
昨年より現在に至るまでに日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された諸地域のインフラの復旧・回復およびその後の復興を祈念しています。
さらに引き続き、先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」
2017年10月22日日曜日
20171021 ある文化を体現されている方々にお目にかかって思うこと
A「時折お目に掛かるある程度御高齢の女性から伺うお話とは大変興味深いものであり、そうして語られるお話しの中から、その時代の精神といったものが強く伝わってきます。
また、そうした語り口には、もちろん、それぞれに個性があるのですが、それと同時に何かしら共通する要素もまた、少なからずあるのではないかとも思われるのです。
そして、それらの語り口における共通する要素とは、残念ながら現在の自身の文章能力によっては、その真髄を文章にて表現することは困難ですが、別方面からの表現もしくは描写を試みますと、それは『白洲正子自伝』にある文章により、いくらか象徴することが出来るのではないかと考えます・・。
また、その表現をさらに異言してみますと、それは『戦前の東京山手文化』としても象徴することが出来るのではないかとも思われます。
しかしながら、時代の変化により、こうした文化を体現されてているような方々は、あまり見受けらなくなり、また、そうであるからこそ、自身が少数ながら見知っているそうした方々が持つ共通する要素が際立って見えてくるのかもしれません・・(やはり現代の我々が持っているさまざまな特性とは総じて異なり、それは単に御高齢であるからという理由のみによって収斂され得ない何かがあるのではないかと思われます。)。
そしてまた、そうした方々とはある程度の御高齢であるにもかかわらず、大変にお話しが上手であり、またさまざまな活字を読むことを好むといった傾向があるようにも思われます(しかし一方で、読む書籍の好みに関しては、それぞれ確固たるものが確立しているといった感が総じてあります。)。
そうした背景を持ちながら語る過去の我が国社会におけるさまざまな様相とは、かなり生き生きとしたものであり、それは自身がかつて民俗学のフィールド・ワークにて出向いて伺ったお話しとも、その意味(生き生きとしている)においては共通しているのですが、それらの背景にある文化が、どちらかが良い悪いといった価値判断を抜きにして、大きく異なると思われるのです・・。
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年より現在までに日本列島各地において生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。
また、先日から新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」
また、そうした語り口には、もちろん、それぞれに個性があるのですが、それと同時に何かしら共通する要素もまた、少なからずあるのではないかとも思われるのです。
そして、それらの語り口における共通する要素とは、残念ながら現在の自身の文章能力によっては、その真髄を文章にて表現することは困難ですが、別方面からの表現もしくは描写を試みますと、それは『白洲正子自伝』にある文章により、いくらか象徴することが出来るのではないかと考えます・・。
また、その表現をさらに異言してみますと、それは『戦前の東京山手文化』としても象徴することが出来るのではないかとも思われます。
しかしながら、時代の変化により、こうした文化を体現されてているような方々は、あまり見受けらなくなり、また、そうであるからこそ、自身が少数ながら見知っているそうした方々が持つ共通する要素が際立って見えてくるのかもしれません・・(やはり現代の我々が持っているさまざまな特性とは総じて異なり、それは単に御高齢であるからという理由のみによって収斂され得ない何かがあるのではないかと思われます。)。
そしてまた、そうした方々とはある程度の御高齢であるにもかかわらず、大変にお話しが上手であり、またさまざまな活字を読むことを好むといった傾向があるようにも思われます(しかし一方で、読む書籍の好みに関しては、それぞれ確固たるものが確立しているといった感が総じてあります。)。
そうした背景を持ちながら語る過去の我が国社会におけるさまざまな様相とは、かなり生き生きとしたものであり、それは自身がかつて民俗学のフィールド・ワークにて出向いて伺ったお話しとも、その意味(生き生きとしている)においては共通しているのですが、それらの背景にある文化が、どちらかが良い悪いといった価値判断を抜きにして、大きく異なると思われるのです・・。
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年より現在までに日本列島各地において生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。
また、先日から新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」
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