pp.209-212より抜粋
ISBN-10 : 4309227376
ISBN-13 : 978-4309227375
データ至上主義では、森羅万象がデータの流れからできており、どんな現象やものの価値もデータ処理にどれだけ寄与するかで決まるとされている。これは突飛で傍流の考え方だという印象を受けるかもしれないが、じつは科学界の主流をすでにおおむね席捲している。データ至上主義は科学における二つの大きな流れがぶつかり合って誕生した。チャールズ・ダーウィンが「種の起源」を出版して以来の一五〇年間に、生命科学では生き物を生化学的アルゴリズムと考えるようになった。それとともに、アラン・チューリングがチューリングマシンの発想を形にしてからの八〇年間に、コンピューター科学者はしだいに高性能の電子工学的アルゴリズムを設計できるようになった。データ至上主義はこれら二つをまとめ、まったく同じ数学的法則が生化学的アルゴリズムにも電子工学的アルゴリズムにも当てはまることを指摘する。
データ至上主義はこうして、動物と機械を隔てる壁を取り払う、そして、ゆくゆくは電子工学的なアルゴリズムが生化学的なアルゴリズムを解読し、それを超える動きをすることを見込んでいる。
データ至上主義は、政治家や実業家や一般消費者に革新的なテクノロジーと計り知れない新しい力を提供する。学者や知識人にも、何世紀にもわたって私たちを寄せつけなかった科学の聖杯を与えることを約束する。その聖杯とは、音楽学から経済学、果ては生物学に至るまで、科学のあらゆる学問領域を統一する、第一の包括的な理論だ。データ至上主義によると、ベートーヴェンの交響曲第五番と株価バブルとインフルエンザウィルスは三つとも、同じ基本概念とツールを使って分析できるデータフローのパターンにすぎないという。この考え方はきわめて魅力的な。すべての科学者に共通の言語を与え、学問上の亀裂に橋を架け、学問領域の境界を越えて見識を円滑に伝え広める。音楽学者と経済学者と細胞生物学者が、ようやく理解し合えるのだ。
その過程で、データ至上主義は従来の学習のピラミッドをひっくり返す。これまでは長い一連の知的活動のほんの第一段階と見なされていた。人間はデータを洗練して情報にし、情報を洗練して知識に変え、知識を洗練して知恵に昇華させるべきだと考えられていた。ところがデータ至上主義者は、次のように見ている。もはや人間は膨大なデータの流れに対処できず、そのためデータを洗練して情報にすることができない。ましてや知識や知恵にすることなど望むべくもない。したがってデータ処理という作業は電子工学的アルゴリズムに任せるべきだ。このアルゴリズムの処理能力は、人間の脳の処理能力よりもはるかに優れているのだから。つまり事実上、データ至上主義者は人間の知識や知恵に懐疑的で、ビッグデータとコンピューターアルゴリズムに信頼を置きたがるということだ。
データ至上主義者は、母体である二つの学問領域にしっかりと根差している。その領域とは、コンピューター科学と生物学だ。両者を比べると生物学がとりわけ重要だ。生物学がデータ至上主義を採用したからこそ、コンピューター科学における限定的な躍進が世界を揺るがす大変動になったのであり、それが生命の本質そのものを完全に変えてしまう可能性が生れたのだ。生き物はアルゴリズムで、キリンもトマトも人間もたんに異なるデータ処理の方法にすぎないという考えに同意できない人もいるかもしれない。だが、これが現在の科学界の定説であり、それが私たちの世界を一変させつつあることは知っておくべきだ。
今日、個々の生き物だけではなく、ハチの巣やバクテリアのコロニー、森林、人間の都市などさまざまな形の社会全体もデータ処理システムと見なされている。経済学者はしだいに、経済もまたデータ処理システムだと解釈するようになっている。経済は、小麦を栽培する農民や、衣服を製造する労働者、パンや肌着を買う消費者から成ると素人は考える。ところが専門家にしてみれば、経済とは欲望や能力についてのデータを集め、そのデータをもとに決定を下す仕組みなのだ。
この見方によれば、自由主義資本主義と国家統制下にある共産主義は、競合するイデオロギーでも倫理上の教義でも政治制度でもないことになる。本質的には、競合するデータ処理システムなのだ。資本主義が分散処理を利用するのに対して、共産主義は集中処理に依存する。資本主義は、すべての生産者と消費者を直接結びつけ、彼らに自由に情報を交換させたり、各自に決定を下されたりすることでデータを処理する。自由主義ではどのようにしてパンの価格を決めるのか?じつのところ、どのベーカリーも好きなだけパンを作り、いくらでも高い値段をつけられる。消費者も同じく自由に、買えるだけのパンを買うこともできれば、他の店で買うこともできる。バゲット一本に一〇〇〇ドルの値えおつけても違法ではないが、それでは買う人はいないだろう。
今度はずっと大きなスケールで考えよう。投資家はパンの需要増加を予測すると、遺伝子操作によって収穫量の多い小麦の品種を作り出すバイオテクノロジー企業の株を買うだろう。すると、そうした企業に投資が流れ込み、研究が加速し、小麦が前より多く、遠く供給され、パン不足が回避できる。たとえバイオテクノロジーの大手一社が間違った理論を採用して行き詰ったとしても、おそらく競争相手のなかにはもっとうまくやる企業もあり、期待どおりの大躍進を遂げるだろう。このように、自由主義資本主義のでは、データ分析と意思決定の作業が、独立してはいても互いにつながっている多くの処理者に分散している。オーストリアの経済学者の大家フリードリヒ・ハイエクはこれを次のように説明している。「当該の事実に関する知識が多くの人の間に分散しているシステムでは、価格はさまざまな人の別個の行動を調整する働きをなしうる」