2025年5月6日火曜日

20250505 先日の海開きから、南紀および紀伊田辺について

 ここ何回か、引用記事を作成・投稿したところ、また自らの文章を作成したいと考えるに至り、つい先ほどから作成を始めました。さて、ここ最近はさらに春めいて、南紀白浜では早くも去る3日㈯に海開きがされたとのことです。これは本州では最も早い海開きであり、また実感としても、この時季の南紀白浜は、たしかに泳いでも大丈夫そうな陽気であったと記憶しています。そしてまた、この時期からの田辺も含めた南紀一帯は秋の終わり頃まで、自然の薫りが濃厚であり、そして、その自然の薫りから、その地域が持つ歴史文化への興味が生じたと云えます。これは、これまでにも何度か、当ブログにて述べてきたことではありますが、私は南紀白浜での在住期間のなかで、土俗的なものをも含めたホンモノの地域社会に接することにより、また、それらの地域が持つ、現在でも伝わっている伝説や伝承を何らかの会話の機会で知ることにより、その背景にある歴史の流れなどにも多少興味を持つようになり、書籍などを隣町の紀伊田辺の書店で立ち読みして、何冊か購入するよになりました。ちなみに、当時(2001~2003年)の紀伊田辺には、比較的大規模な書店が複数あり、街の規模と比べ、その数が多いのではないかと思われましたが、しかし、紀伊田辺は、古くから地域の拠点として栄え、江戸時代には紀州徳川家の御附家老であった安藤家が治め、近代化以降も南紀の拠点として、海運や漁業などで栄えてきた都市であり、在住当時はまだ、何と云いますか諸事に「歴史の厚み」がありました。また、自らの文化にも自信があり、さらに、受容性もあったあったことから、南方熊楠が後半生に、この地で研究を続けることが出来たのだと思われます。つまり、当時の紀伊田辺には、街並みも含めて、何らかの日本独特と感じられるような「品」がありました。そして、その背景にある文化も、東日本のそれとは大分異なるもの、やはり良いと感じられるものであったことから、以降、私は紀伊田辺そしてそれに隣接する南紀白浜町を含む西牟婁郡一帯には勉強させて頂き、大変お世話になったと云えます。そして、その始まりが、当記事冒頭近くで述べた「南紀での自然の薫り」であったのですが、これに、さきに述べた地域の「歴史の厚み」が加味されますと、そこまで歴史意識に優れていない方でも、その意識を得るための、もとの感覚は得ることが出来るのではないかと考えます。つまり私は南紀での経験を通じて我が国に、また少しは世界に、そしてまた歯科理工学に対しても能動的な興味を持つことが出来るようになったのだと云えます。あるいは言い換えますと、日本史の年表などに記載のある人物や出来事としてしか知らなかったものに地域の伝承とのつながりから興味が生じ、結果、その当時の時代全般についての新たな興味が生じるといった具合です。ともあれ、その興味は自らの経験に根差していたのだと云えます。そうしますと、私の場合はいくら継続すると云えますので、その最初の経験が南紀であったことは、やはり、ありがたかったと云えます。そしてまた、ここまで書いて不図、平安時代後期、世の中にまた争乱が増えてきてから、南紀に位置する熊野三山への参詣、所謂、三熊野詣が盛んになってきたのかは、当時、熊野が浄土と見られていたからである、とされますが、それよりも、熊野を含む南紀の大気、自然の薫りが、そこを訪れた人々の精神に活性を与えることを人々が感じ取ったからであるのではないかと思われました。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

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