先日、岡義武による「国際政治史」を読了し、現在は伊達千広(宗広)による「大勢三転考」を読み進めていますが、未だ十全に意味を理解しつつ読んでいるという状態ではなく、だちらかと云うと「眺めている」といった状態に近いと云えます・・(苦笑)。とはいえ、著者の書き振りであるのか、あるいは同時代著作に多く見られる特徴であるのか分かりませんが、歴史上からのたとえ話を多く提示し、いわば「帰納的」に、その述べるところの意味を伝えようとしている傾向があると云えます。(たしかコンラッドによる「闇の奥」にも同様の記載があったと思われます・・。)
また、それを読んでいる自身としては、未だ、その意味するところや文脈がよく分からないところが多いのですが、それと同時に、徐々にではありますが「筋が通ってきている」といった感覚も受けつつあります。ちなみに現在読み進めている同著「骨(かばね)の時代」の項では、提示している歴史上の話の殆どは、通常、古代あるいは古墳時代に分類されるものであり、そこから、国学者でもあった伊達千広(宗広)が、記紀を深く読んでいたことが理解され、また、同時に江戸時代末期の国学者の有様、考え方のようなものが伝わってくると云えます。
くわえて、さきに「帰納的」と述べましたが、そこで思い出されるのは、自身がかつて研究していた紀伊半島西南部地域における雨乞い祭祀についてです・・。
この研究は、とりあえず拾える資料から同地域にて行われていた雨乞い祭祀についての記述を収集し、それらを地図上にプロットし、他方で雨乞い以外の同地域全般の歴史、文化的背景などについての理解を深め、そして、それらの関連性を考察し、何かしらの説・筋が立った新たな物語の提示を試みるといったものでした。
そして、その下ごしらえとも云える、地域で行われていた雨乞い祭祀具体例の収集、そして地域の歴史的文脈の理解については「ある程度出来た」といった感覚を得るに至りましたが、次の最も重要な仕上げ段階とも云える、新たな説や物語の提示がなかなか難しく、現在でも「上手く説明出来た」といった自覚はありません・・。
とはいえ、この研究により、まさしく、さきの「帰納的な手法」で提示出来たと思われることは、自身が特異と考えた「牛の首を滝などの水源に投げ込み降雨をはかる、祈祷する」といった手法の雨乞い祭祀が、古いものであれば景戒による「日本霊異記」に数例記載があり、また、それは明治時代以降においても継続していたとの記録が複数あることから、その我が国における淵源は、新しくとも奈良時代、そして、そこから近現代に至るまで、おそらくは連綿と地域におけるお祭祀文化として継続されてきたものであることを示唆出来たということです・・。
さらに加えて、同地域における銅鐸の出土地をプロットしてみますと、それはそれで面白いのですが、そこからは未だ、ある程度明瞭な説・筋道の立った物語は提示出来そうにありません・・。しかし他方で、歴史などについて、ある程度までの理解が深まりますと、こうした関連のありそうな近隣領域の知識とリンクしそうな感覚を覚えるに至るわけですが、こうした感覚がパッと思い付く時がなかなか面白く、面倒とは思いつつも色々と読み続けてしまうのではないかと思われます・・。
今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございました。