ISBN-10 : 4478116393
ISBN-13 : 978-4478116395
情報処理能力として重要なものには、右に述べた情報操作能力のほかに、事件が示す兆候からその本質的なものを学び取り、それにもとづいて行動様式を再編させてゆく能力があげられなければならない。この能力を、心理学との連想において、学習能力と呼ぶことにしよう。われわれ日本人の学習能力は必ずしも高くなく、戦争の教訓を十分に生かしていないようである。すなわち、日本にとって致命的となるような根本的欠点は、それによって破局が招来される以前に、なんらかの兆候的事件によって露呈されるのである。したがって、学習能力が十分であれば破局は回避されうるのです。
最近また、ノモンハン事件が人びとの話題とされるようになった。この事件ほど、破局の兆候としての好例はなく、もし戦前の指導者が、この事件に十分な科学的分析を加えていたならば、第二次大戦の破局は避けえたであろう。
周知のように、ノモンハンにおいて関東軍は大敗を喫し、不敗の神話は崩壊するのであるが、考え方によっては、この敗戦は「大したこと」ではなかったといえる。つまり「大敗」といっても、小松原兵団が破滅的打撃を受けたでけであって、関東軍主力は無事であった。戦車と歩兵の戦闘としてはずいぶんと善戦であったといえなくもない。まもなくドイツ軍によって機械化部隊の圧倒的威力がはるかに大きな規模において証明されることになるのであるが、ポーランド軍やフランス軍や独ソ戦前半のソ連軍とは違って、日本軍は機械化部隊のまえに総崩れになったわけではない。それどころか、緒戦の勝利にもかかわらず深入りを避けたのはソ連軍のほうであった。さすがジューコフというべきであって、もし深追いをしていれば、弔い合戦のために手ぐすねをひいいていた日本軍のために全滅していたかもしれない。
つまり、あれやこれやと総合的にみて、日本軍はこの敗戦にもかかわらず、あまり自信を失っていなかったのである。それは、空戦における圧勝のせいもあったかもしれないが、地上戦でも、本気になってやったらまだソ連になど敗けぬ、と思っていたのであろう。あるいはそうかもしれない。しかし、ここで重大なことは、ノモンハン敗戦の実際の損害よりも、それが示した兆候を十分に読み取っていなかったことである。その兆候が与える教訓のうち、とくに重要なものとしては、①歩兵は戦車には勝てぬ、②軽火力軽装甲の戦車は無力である、③対戦車火器の開発が急務である、などである。そして、さらに重要な教訓としては、④日本は物量戦は不可能であり経済大国と戦争はできない、ということである。いかにも、空においては、九七戦の性能はすばらしく、緒戦においては、イ十五、イ十六を次々と撃ち落とした。しかし、日本とソ連では国力が違う。やがて雲霞のごとく来襲するソ連空軍のまえに、さすがの九七戦も苦戦を免れなかった。
すなわち、これらの教訓が与える結論によれば、日本陸軍は、個人の勇気を最重視する白兵主義をあらためて近代化し、それと同時に、(それが不可能であるというそれだけの理由によっても)軍事的冒険、大国ゲームを止めるべきであった。
しかし、この重大な兆候およびそれが与える教訓は少しも学ばれなかった。当時、戦車を生捕りにした鬼軍曹の話などが喧伝されたが、国民はその意味するところを理解せず、彼の勇気をほめたたえた。しかし、だれも対戦車砲も持たない陸軍がなんでそんなに名誉であるのか、ということに気づかなかった。そしてまもなく日本人は、ビルマにおいて、また太平洋の島々において、連合軍戦車のために手痛い目にあうことになるのである。
ISBN-13 : 978-4478116395
情報処理能力として重要なものには、右に述べた情報操作能力のほかに、事件が示す兆候からその本質的なものを学び取り、それにもとづいて行動様式を再編させてゆく能力があげられなければならない。この能力を、心理学との連想において、学習能力と呼ぶことにしよう。われわれ日本人の学習能力は必ずしも高くなく、戦争の教訓を十分に生かしていないようである。すなわち、日本にとって致命的となるような根本的欠点は、それによって破局が招来される以前に、なんらかの兆候的事件によって露呈されるのである。したがって、学習能力が十分であれば破局は回避されうるのです。
最近また、ノモンハン事件が人びとの話題とされるようになった。この事件ほど、破局の兆候としての好例はなく、もし戦前の指導者が、この事件に十分な科学的分析を加えていたならば、第二次大戦の破局は避けえたであろう。
周知のように、ノモンハンにおいて関東軍は大敗を喫し、不敗の神話は崩壊するのであるが、考え方によっては、この敗戦は「大したこと」ではなかったといえる。つまり「大敗」といっても、小松原兵団が破滅的打撃を受けたでけであって、関東軍主力は無事であった。戦車と歩兵の戦闘としてはずいぶんと善戦であったといえなくもない。まもなくドイツ軍によって機械化部隊の圧倒的威力がはるかに大きな規模において証明されることになるのであるが、ポーランド軍やフランス軍や独ソ戦前半のソ連軍とは違って、日本軍は機械化部隊のまえに総崩れになったわけではない。それどころか、緒戦の勝利にもかかわらず深入りを避けたのはソ連軍のほうであった。さすがジューコフというべきであって、もし深追いをしていれば、弔い合戦のために手ぐすねをひいいていた日本軍のために全滅していたかもしれない。
つまり、あれやこれやと総合的にみて、日本軍はこの敗戦にもかかわらず、あまり自信を失っていなかったのである。それは、空戦における圧勝のせいもあったかもしれないが、地上戦でも、本気になってやったらまだソ連になど敗けぬ、と思っていたのであろう。あるいはそうかもしれない。しかし、ここで重大なことは、ノモンハン敗戦の実際の損害よりも、それが示した兆候を十分に読み取っていなかったことである。その兆候が与える教訓のうち、とくに重要なものとしては、①歩兵は戦車には勝てぬ、②軽火力軽装甲の戦車は無力である、③対戦車火器の開発が急務である、などである。そして、さらに重要な教訓としては、④日本は物量戦は不可能であり経済大国と戦争はできない、ということである。いかにも、空においては、九七戦の性能はすばらしく、緒戦においては、イ十五、イ十六を次々と撃ち落とした。しかし、日本とソ連では国力が違う。やがて雲霞のごとく来襲するソ連空軍のまえに、さすがの九七戦も苦戦を免れなかった。
すなわち、これらの教訓が与える結論によれば、日本陸軍は、個人の勇気を最重視する白兵主義をあらためて近代化し、それと同時に、(それが不可能であるというそれだけの理由によっても)軍事的冒険、大国ゲームを止めるべきであった。
しかし、この重大な兆候およびそれが与える教訓は少しも学ばれなかった。当時、戦車を生捕りにした鬼軍曹の話などが喧伝されたが、国民はその意味するところを理解せず、彼の勇気をほめたたえた。しかし、だれも対戦車砲も持たない陸軍がなんでそんなに名誉であるのか、ということに気づかなかった。そしてまもなく日本人は、ビルマにおいて、また太平洋の島々において、連合軍戦車のために手痛い目にあうことになるのである。