2016年2月8日月曜日

20160208 如月、湯治について

A「最近は若干陽が長くなってきたように感じますが、それでもやはりまだまだ寒いですね・・。」

B「ええ、暦ではもう立春ですが、二月の古名は如月(きさらぎ)であり、これは着更着つまり、寒いために着ている上に更に着るという意味の語源もありますので、まあ、もうしばらくの辛抱ではないでしょうか・・。」

A「いや、まったく早いところ暖かくなって欲しいところですね・・。
さて、それはそうとBさんは今年の冬は湯治、温泉などには行きましたか?」

B「ええ、今年に入って早々に二日ぐらいですが伊豆の方に行って何度か温泉にも入りました。
やはりあちらは首都圏に比べ気候が温暖であり、幾分過ごし易いように感じました。
また、自然も空気も良かったので気分転換ができたと思います。」

A「そうですか・・私は年末に大分県別府温泉に行ってきましたが、やはり九州はこちらに比べると暖かく、また幾つもの泉質の温泉があり、色々と楽しむことができました。
しかし、向こうに着いた当日に温泉に入ると、何だかグッタリとしてしまいまして「湯疲れ、湯あたりかな?」などと思っているうちに寝入ってしまいました・・それでも翌日は調子も戻り、また温泉を楽しむことが出来ましたが・・。」

B「別府温泉は私も以前行ったことがありますが、あそこはたしかにいくつも温泉がありましたね。
また、私もAさんが仰った「湯疲れ、湯あたり」のような経験があります。
これは普段シャワーだけでお風呂に入らない人が突然長時間湯舟に入ると変に疲れるということを聞いたことがありますので、もしかしたら、それと何かしら関係があるのかもしれません・・。」

A「・・ああ、たしかに私は普段あまり湯舟に入らずにシャワーだけで済ませていることが多いですね。
そうすると、それが先程のような「湯疲れ、湯あたり」のような原因であったのかもしれないですね・・。
しかし、本当の湯あたりなどは時には命にも係るということですので、それとはまた別モノであるような気がします。」

B「ええ、ですから人によって温泉の泉質が合わないということも聞きますが、これを今のAさんのお話に加味して考えてみますと、ある程度継続して入浴してみないと、実際の泉質と体質の相性とは分からないのかもしれません。
また、普段入浴する習慣がない方が突然温泉に入っても、いきなり良い効果を得ることは難しいのかもしれません。
むしろ、突然の入浴により体内に蓄積された様々なひずみのようなものが取れてゆく過程とは、さきほどのような「湯疲れ、湯あたり」のような感じを受けるのではないかとも思います。
そして、その後も入浴し続けることにより、徐々に体内のひずみが除去されて、まあリセットされたような状態になるのではないでしょうか?
また、それ故、昔のいわゆる湯治とは、一般的に現在のそれに比べ、かなり長期間にわたるものであったのではないでしょうか?
そしてそういった風習とは、昔の日本人が自身等の経験、体験に基づく実際的な知恵によりそのようになっていたのではないかと思います。
そうしますと、私の先程いいました湯治などは、本当の意味での湯治ではなく、単なる気休め程度のものであったのかもしれません・・(苦笑)
ともあれ、こうした湯治という言葉と、それに本質的に符合しない内実をもって同じ言葉、名称などを付与することは、この他でも案外多く見られることなのではないでしょうか・・(苦笑)。」

A「・・ええ、たしかに昔の湯治は現在に比べ、かなり長期間でしたね・・。
そうすると、本来の意味での湯治の効果を感じるためには、ある程度、継続して入浴し続けないといけないのかもしれませんね・・(苦笑)
しかし、そういったことは現在の我々から見れば甚だ羨ましいかぎりですが、それでもかつての湯治とは、特に富裕な方々あるいは特権階級だけのものではなかったようですので、経済が低迷し、それに対応してヒステリー的に何やらコトバばかりが空回りして躍っている現在の我が国であるからこそ、それこそ即物的にこういった古来からの健康を回復、維持するための習慣の本質を見直してみるのも良いのかもしれません。」

B「・・湯治とそれに対応する内容に関してもそうですが、やはり言語とそれが示す事物の対応、そして、それらを基礎として形成される様々な会話、思考とは、我々の文化において最も根源的な部分ではないかと思います。
つまり、ある同一言語に対して対話者双方の解釈、認識が異なっていると、外見上、対話は為されているように見えますが、その内実に関しては、意味を為さない空疎なものとなってしまうのではないかと思います。
また、こうした彼我の意味解釈におけるギャップに関しては、以前私のブログにおいて述べましたが、国内外の様々な位相において見られるのではないかとも思います。
そして、こうしたギャップとは、これまでのインターネットをはじめとする情報技術の進化発展によりいくらか改善されるのではないかと思われましたが、どうもそうではなく、さきほどAさんが仰ったようにコトバだけが躍り、変に空回りしているような感があります・・。
この感想が単なる杞憂、間違いであれば良いのですが・・。」

A「最近書店に行って特集されている書籍の帯に書かれている宣伝文などを見てみると、どうもゲンナリするようなものがありますね・・。
何といいますか「短文で簡潔に」といったことを狙っているのでしょうが、それがどうもサギまがいの文句にしか見えないことが多々ありますね(苦笑)
とはいえ、こうした指摘とはBさんのブログにおいても時折見られますが、それによって何かイヤガラセらしきことを受けることなどはありますか?」

B「いえ、特にそういったことはないと思います・・。
それに私のブログはそこに至るまで大きな影響力はないと思いますし・・(苦笑)
ともあれ、毎日100~200人くらいの読者の方々がいらっしゃいますので、まあこの先どこまで影響力を持つかわかりませんが、これまでブログ作成を続けることができたのではないかと思います・・。」

A「うーん、そう考えますと、閲覧者数が増えるのも良し悪しですね(苦笑)
ともあれBさんの求職活動が今後首尾良く落ち着くといいですね()。」

B「ええ、私もそのように願っています()
また、つい先日何故だかわかりませんが一日の閲覧者数がケタまでは増えませんが、かなり伸びました・・。」

「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。
また、現在公募、求人等に応募しております。
現在大変困難な状況でありますので、この状況から助けていただきたく思います。
どうぞよろしくお願いします。」