2025年2月11日火曜日

20250210 歴史の記号接地について ~建国記念の日に寄せて~

 我々は歴史を「事実」として学ぶ。しかしまた、歴史とは新たな資料の発見によって解釈が変わり得るものでもあり、その意味で、固定的なものではない。他方、フィクションでは、それが一度確立されれば、その物語(フィクション)内部では「事実」として扱われる。この対比は、歴史が新たな発見や研究の進展によって可変的であるのに対し、フィクションの世界での事実は確定的であるという逆説を示している。

 たとえば、源義経は兄頼朝に追われ奥州に逃れた後、攻められて自害したとされている。しかしながら、義経が生き延びて大陸に渡りチンギス・ハーンになったという伝説もまた根強い。このように、歴史的に事実とされることは、新たな発見により覆る可能性がある。他方、夏目漱石による『吾輩は猫である』の主人公の猫が最後に溺死するという結末は、いかなる新資料が発見されたとしても変わることはない。つまり、歴史は新たな発見によって変化する可能性を持つが、フィクションの内部においては、事実は物語の枠組みの中で確定されていると云えよう。

 このことを踏まえると、我々が持つ歴史に関する知識とは、直接経験されたものではなく、さまざまな史料や文献を通じて獲得されたものであると云える。そして、この問題は「記号接地問題(Symbol Grounding Problem)」とも深く関連するものであり、歴史に関する知識が現実と、どのように結びついているのか、という根本的な問いを惹起させる。たとえば、人工知能(AI)は「春に桜は咲く」と表現することは可能であるが、それは過去のデータを統計的に分析した結果に過ぎず、AIが実際に桜を見たり、その香りを感じたりした経験を持つわけではない。そして、それと同様に、我々の歴史理解も直接経験に基づくものではなく、過去の研究の知見が積み重ねられた結果として形成されるものであるため、その接地の確実性には常に疑問が残る。

 他方で、フィクションにおいては、このような問題は生じない。物語や小説に登場する人物の役回りは一貫しており、揺らぐことがない。たとえば、『桃太郎』に登場する鬼は、どのバージョンであっても、主人公である桃太郎に退治される存在として描かれる。これは、歴史上の事実が新たな発見によって変わり得るのに対し、フィクションの世界における「事実」は一貫しているという興味深い違いを示している。そして、この歴史的事実の可変性とフィクション内における事実の確定性の対比を前提として検討することにより、我々日本人の歴史意識の特徴が理解できるのではないかと考える。

 しばしば「日本人は歴史意識が希薄である」と指摘される。しかし一方で、我が国の歴史学は世界的に見ても決して水準の低いものではなく、また、膨大な研究成果が蓄積されている。それにもかかわらず、何故、我々日本人の歴史意識が希薄であると指摘されるのか、それは、学術的な歴史研究とは別の、社会全般における歴史意識のあり方があるのではないかと考える。

 つまり、我が国においては、歴史に関する研究はそれなりに盛んであるものの、社会全般においては「歴史を現在の社会や自己の存在と結びつける意識」が希薄と云えるのではないだろうか?

 折口信夫は、「日本人は歴史観の上に生きることの強い国民である」と述べたが、これは戦前の教育において、国家から歴史と国家の一体性が強調され、歴史的な枠組みの中で個人の行動や思考を位置づけることが求められたためであると考えられる。しかし、そうした(上からの)価値観が敗戦により崩壊した戦後日本社会では、自らの歴史を「過去のもの」として隔離して、現代社会との結びつきを意識することが少なくなった。そして、この変化こそが「日本人は歴史意識が薄い」と指摘される主な理由であると考えられる。

 くわえて、我々日本人の歴史意識には独特な側面もある。それは、歴史的事実よりも「伝承」や「物語」としての歴史が重視されるという点である。源義経の生存説などの事例が示すように、史実の精確さよりも、そこに込められたある種の精神性や象徴性が強調される傾向がある。こうした歴史観は、学問的な歴史とは異なり、「擬歴史意識(Quasi-history)」とも呼び得る。

 そこから、我が国における(擬)歴史意識は、学問的な知識としての歴史とは異なる形で、文化や社会に深く根付いているものと云える。あるいは異言すると、歴史を史実の集積の体系として捉えるのではなく、その中に込められた特殊な意味や価値を重視する傾向があるため、新規の発見の有無に係らず、別様の再解釈がされ続ける。こうした現象から、我が国の日常的な
(擬)歴史意識においては、体系立った史実よりも、ある出来事や人物に込められた象徴的な意味の方がより重視されることが示されるのではないかと考えられる。

 また、我が国では歴史の因果関係を体系的に捉えるよりも、個々の出来事や人物を独立した象徴として扱う傾向もある。たとえば、昨今では異論もあるが、それでも西洋社会では、フランス革命が「社会の変革と進歩の歴史」として語られるのに対し、我が国では「忠臣蔵」が「武士道の美学」として語られるように、歴史を社会変遷のプロセスではなく、精神的あるいは道徳的な教訓として捉える姿勢が見受けられる。

 こうして考えると我が国の歴史意識のあり方は、記号接地の観点からも説明することができると考える。我が国において歴史とは、客観的な事実としてではなく、文化的・精神的な象徴として受け入れられる傾向があると云える。これは、事実としての長い因果関係のなかでの出来事よりも、社会の中で意味を持つ「記号」として機能していることを示している

 たとえば、織田信長は歴史上で評価が分かれる人物であるにもかかわらず、フィクションの世界では「革新的な英雄」としてのイメージが確立されている。このような現象は、我が国において歴史的人物や出来事が、事実そのものというよりも、文化的な「記号」として機能していることを示唆している。そして、こうした記号の接地とは、歴史学の発展とは別の系で社会的・文化的な文脈の中で維持され続けていると云える。

 そして、我々が歴史を学ぶ際には、こうした我が国(特有?)の記号接地のあり方を理解することが重要である。つまり史実そのものを検証するだけでなく、歴史がどのように社会の中で意味づけられ、機能しているのかを問い続けることが求められる。つまり、歴史とは、単なる史実の集積ではなく、それが、我々の文化の中でどのように接(地)されて、どのような価値を持ち続けているのかを考えることもまた、歴史を学ぶ一つの大きな意味であると考える。

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構

~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。