先日知人と電話にて話していた際のやりとりを先ず下に示します。
A「どうですか、最近は私のブログ記事を読んでいただいてますか?」
B「ええ、そこまでじっくりとは読んでおりませんが、一通り読ませて頂いていますよ。
それに時折はなかなか面白いと思わせる記事もありますしね・・。」
A「はあ、それはどうもありがとうございます。
それでBさんから見てどういった記事が面白いのですか?また、それに加えて、記事に書かれている内容の意味は通じておりますか・・?
いや、これは「私の文章の記述の仕方が分かりやすいのであろうか?」という疑問からお尋ねしているのですが・・(笑)。」
B「はあ、なるほど、そうですか・・。
先ず私から見て面白いと思う記事とはAさんらしく文系か理系かよく分からないAさん独特の世界観が述べられている記事が多いかもしれません・・(笑)。
また、記述されている内容に関しては、おそらく理解しているのではないかと思いますよ。」
A「ふうむ・・独特の世界観ですか・・そうしますと何だか私が余程の変わり者のようにも感じてきますが、こうしたことのその実際のところとは、なかなか分かりにくいものです・・(笑)。
それに私個人としては、そうした自覚とは、まったくありませんので・・。
それとBさんが私の書いた文章を理解されているというのは分かるのですが、しかしそれはBさんが実際の私のことを知っているからであると思うのですが・・。」
B「・・私がAさんのことを実際に知っているから、その書かれた文章を理解できるというのは、云われてみますと、なるほど・・たしかにあるのかもしれませんね・・(笑)。」
A「ええ、これまで私もブログ記事という形でいくらか散文らしきものを書いてきましたが、そのような上手く説明ができないような感覚、つまり(自身が)読んだ文章を著した人物のことを直接に見知っていることから、その文章を理解出来るといった自覚を持つという感覚とは、たしかにあると思います。
そして、その端的なものが手紙であり、またそれを文学的な創作の型としたものが、実際、架空の何れであれ書簡形式といったものではないでしょうか・・?」
B「ああ、なるほど、それはたしかに一理あるかもしれませんね・・。
そういえば、Aさんが学位取得後の一頃、やけに手紙、葉書を送ってくださる時期がありましたね・・(笑)。
そして、私としてはその時期にAさんが書かれた手紙、葉書と現在書かれているブログ記事とは、一本の線でつながりますね・・。」
A「・・ええ、何かしら精神の危機的状況に差し掛かる、追い詰められると、私はそのようなこと(手紙、葉書を書く)をする傾向があるのかもしれません・・(苦笑)。
もちろん、そうした状況だけではありませんが、そうした傾向はあると思います・・。
しかし、そうしますと、これまで作成してきた一連のブログ記事も、おそらく同様にその範疇に入り、あるいはそうした状況の産物であるともいえます・・(苦笑)。
しかし一方、現在記している一連のブログ記事とは、そうした状況の産物であるのと同時に、一時的にであるかもしれませんが、そうした状況から私を救ってくれるものでもあるのです・・。
まあ、これもまた多少不思議な感じがしないでもありませんが・・(笑)。
さらにまた、そうした状況がある程度継続することにより触発された「何かを書く」という行為が第二の天性のように自身に浸透そして定着するのではないかと思われます・・。
いや、これは未だ希望的観測の域を出ないハナシではありますが・・(笑)。」
B「・・ええ、たしかにそうしたことは、少なからずあると思います・・。
おそらく私もそれと似たような時期を過ごしてきましたから・・。
それでも、何でもそうであるように適切な分量というものがあると思いますのでAさんのブログ記事作成もそうしたことを多少は念頭に置いて作成するのもまた良いのではないでしょうか・・(笑)?」
A「たしかにそれは仰る通りであると思うところなのですが、しかし、何といいますか、その伸るか反るかの見極めが何においても大変難しいのではないかと思います・・。
ですから、とりあえず次のキリのいい目標である400記事に到達しましたら、また考えてみようと思います・・。
それでも、ここまでブログ記事を書いてきて思うことは、私は基本的に文章を書くことが好きなのではないかということです・・(笑)。」
B「はあ、なるほど、そうですか・・では、とりあえず、あまり無理をしない程度のペースを維持して400記事まで到達されるといいですね。」
A「ええ、ではあまり無理をしない程度に頑張ります(笑)。
また、ここまでブログ記事作成(文章を書くことが好きでいられた)を継続することが出来たのは、書かれた記事を読んでくださる皆様が(私にとっては少なからず)いるからであると思います・・。」
B「まあ、それはたしかにそうでしょうが、それでも、あまり気負わずに書かれた方が面白い記事が書けると思いますので、とりあえずは目標とされている400記事まで駆け抜けてください・・。」
A「はあ、どうもありがとうございます。
それと、今回のこの一連の会話も個人特定の要素を除いて、久しぶりに対話形式の記事とさせていただきます(笑)。」
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域における諸インフラの早期の復旧と、その復興を祈念しております。
2016年8月24日水曜日
20160823 投稿記事397記事 ロールモデルの変遷 万世橋の銅像
本日のブログ記事の投稿により、記事投稿総数が397となり、とりあえずの目標とする400記事まであともう一息といった状況になります。
そして実際にそうなってみないと分かりませんが400記事に到達しますと自身の内面において何かしら変化が生じるのでしょうか・・?
あるいは自身の外においてもまた、何かしら面白いことが生じるのでしょうか?
あるいはまた、双方共に生じるのでしょうか・・?
しかし、たとえ何かしらそうしたことが生じたとしても、それは自身にとって必ずしも良いとは言い切れないのかもしれません(長い目で見た場合をも含めて)・・。
それ故、今後、上に記したようなことはあまり念頭に置かず、ただ出来るだけ無心になり、もうしばらく記事作成を継続しようと思います・・。
とはいえ、ブログ記事作成におけるある程度大きな区切りに近づきますと、やはり多少なりとも、上のようなことを考えてしまうのが自然なのではないでしょうか・・・(苦笑)?(果たして本当か?)
また、不思議なことに、そうしたことを考えはじめますと、そちらの方に想念が奪われる、集中するためか、肝心のブログ記事の着想が思うように浮かんできません・・(苦笑)。
そして、現在記しているこの文章とは、一通りそうした想念に捉われた後「本日分のブログ記事は書籍からの抜粋にしようか・・。」とあきらめ半分に考え始めた頃「いや、それであれば、そうした現在の想念そのものをブログ記事として記せば良いのではないか?」と考えを改め、如上のような次第となっております(笑)。
とはいえ、ここまで記しますと、今度はそこから先の文章が思い浮かばず、一端キーボードから手を離し、ひとしきり何かしらの着想が浮かぶまでボーッとすることになります・・(苦笑)。
また、ここでジタバタして「何かしらの着想が浮かぶのではないか?」と考え、傍らにある書籍などに手を伸ばすことは往々にしてあまり良い策ではなく、逆にその書籍に飲まれてしまい、着想どころではなくなることが私の場合少なからずあるようです・・(苦笑)。
そして、このように文章の着想が浮かぶまでの経過を着想として扱い、それを記していますと、果たして如何なる着想が浮かぶのであろうかと考え、そのままを記しておりますと不図思い起こしたのは、昨日投稿したブログ記事への反応であり、これはまた私にとって新鮮なものであり、下に示す考えがそこから得られました・・。
昨日投稿したブログ記事最終部近くにて「我が国における(一つのそして代表的な)男性像のロールモデル、理想像とは近代の西郷隆盛で終息、終焉したのではないか?」といった意味のことを記しました。
しかし、もしかすると、それは太平洋戦争の敗戦(以降しばらく)まで万世橋のたもとに立っていた銅像のモデルもまたそうであったのかもしれません・・。
とはいえ、この戦後に撤去された銅像の周辺、つまり東京都千代田区には、他にも戦前からの銅像が比較的多く存在し、本日も大山巌、品川弥二郎の銅像の横を通りました・・。
では、なぜこの万世橋の銅像とは撤去されなければならなかったのでしょうか・・?
これには諸説あり、現在なおその確たる背景、真相とは見出されていないようです・・。
あるいはまたその背景、真相とは見出されると面倒な何かがあるのでしょうか・・?
とはいえ、おそらくそこには日本近現代史あるいは我が国国民性の暗部といったものが少なからず隠されているのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?
今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございました。
さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域の諸インフラの早急な復旧そしてその後の地域、県全体の復興を祈念しております。
そして実際にそうなってみないと分かりませんが400記事に到達しますと自身の内面において何かしら変化が生じるのでしょうか・・?
あるいは自身の外においてもまた、何かしら面白いことが生じるのでしょうか?
あるいはまた、双方共に生じるのでしょうか・・?
しかし、たとえ何かしらそうしたことが生じたとしても、それは自身にとって必ずしも良いとは言い切れないのかもしれません(長い目で見た場合をも含めて)・・。
それ故、今後、上に記したようなことはあまり念頭に置かず、ただ出来るだけ無心になり、もうしばらく記事作成を継続しようと思います・・。
とはいえ、ブログ記事作成におけるある程度大きな区切りに近づきますと、やはり多少なりとも、上のようなことを考えてしまうのが自然なのではないでしょうか・・・(苦笑)?(果たして本当か?)
また、不思議なことに、そうしたことを考えはじめますと、そちらの方に想念が奪われる、集中するためか、肝心のブログ記事の着想が思うように浮かんできません・・(苦笑)。
そして、現在記しているこの文章とは、一通りそうした想念に捉われた後「本日分のブログ記事は書籍からの抜粋にしようか・・。」とあきらめ半分に考え始めた頃「いや、それであれば、そうした現在の想念そのものをブログ記事として記せば良いのではないか?」と考えを改め、如上のような次第となっております(笑)。
とはいえ、ここまで記しますと、今度はそこから先の文章が思い浮かばず、一端キーボードから手を離し、ひとしきり何かしらの着想が浮かぶまでボーッとすることになります・・(苦笑)。
また、ここでジタバタして「何かしらの着想が浮かぶのではないか?」と考え、傍らにある書籍などに手を伸ばすことは往々にしてあまり良い策ではなく、逆にその書籍に飲まれてしまい、着想どころではなくなることが私の場合少なからずあるようです・・(苦笑)。
そして、このように文章の着想が浮かぶまでの経過を着想として扱い、それを記していますと、果たして如何なる着想が浮かぶのであろうかと考え、そのままを記しておりますと不図思い起こしたのは、昨日投稿したブログ記事への反応であり、これはまた私にとって新鮮なものであり、下に示す考えがそこから得られました・・。
昨日投稿したブログ記事最終部近くにて「我が国における(一つのそして代表的な)男性像のロールモデル、理想像とは近代の西郷隆盛で終息、終焉したのではないか?」といった意味のことを記しました。
しかし、もしかすると、それは太平洋戦争の敗戦(以降しばらく)まで万世橋のたもとに立っていた銅像のモデルもまたそうであったのかもしれません・・。
とはいえ、この戦後に撤去された銅像の周辺、つまり東京都千代田区には、他にも戦前からの銅像が比較的多く存在し、本日も大山巌、品川弥二郎の銅像の横を通りました・・。
では、なぜこの万世橋の銅像とは撤去されなければならなかったのでしょうか・・?
これには諸説あり、現在なおその確たる背景、真相とは見出されていないようです・・。
あるいはまたその背景、真相とは見出されると面倒な何かがあるのでしょうか・・?
とはいえ、おそらくそこには日本近現代史あるいは我が国国民性の暗部といったものが少なからず隠されているのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?
今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございました。
さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域の諸インフラの早急な復旧そしてその後の地域、県全体の復興を祈念しております。
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