2016年8月24日水曜日

20160823 投稿記事397記事 ロールモデルの変遷 万世橋の銅像 

本日のブログ記事の投稿により、記事投稿総数が397となり、とりあえずの目標とする400記事まであともう一息といった状況になります。

そして実際にそうなってみないと分かりませんが400記事に到達しますと自身の内面において何かしら変化が生じるのでしょうか・・?
あるいは自身の外においてもまた、何かしら面白いことが生じるのでしょうか?
あるいはまた、双方共に生じるのでしょうか・・?

しかし、たとえ何かしらそうしたことが生じたとしても、それは自身にとって必ずしも良いとは言い切れないのかもしれません(長い目で見た場合をも含めて)・・。

それ故、今後、上に記したようなことはあまり念頭に置かず、ただ出来るだけ無心になり、もうしばらく記事作成を継続しようと思います・・。

とはいえ、ブログ記事作成におけるある程度大きな区切りに近づきますと、やはり多少なりとも、上のようなことを考えてしまうのが自然なのではないでしょうか・・・(苦笑)?(果たして本当か?)

また、不思議なことに、そうしたことを考えはじめますと、そちらの方に想念が奪われる、集中するためか、肝心のブログ記事の着想が思うように浮かんできません・・(苦笑)。

そして、現在記しているこの文章とは、一通りそうした想念に捉われた後「本日分のブログ記事は書籍からの抜粋にしようか・・。」とあきらめ半分に考え始めた頃「いや、それであれば、そうした現在の想念そのものをブログ記事として記せば良いのではないか?」と考えを改め、如上のような次第となっております(笑)。

とはいえ、ここまで記しますと、今度はそこから先の文章が思い浮かばず、一端キーボードから手を離し、ひとしきり何かしらの着想が浮かぶまでボーッとすることになります・・(苦笑)。

また、ここでジタバタして「何かしらの着想が浮かぶのではないか?」と考え、傍らにある書籍などに手を伸ばすことは往々にしてあまり良い策ではなく、逆にその書籍に飲まれてしまい、着想どころではなくなることが私の場合少なからずあるようです・・(苦笑)。

そして、このように文章の着想が浮かぶまでの経過を着想として扱い、それを記していますと、果たして如何なる着想が浮かぶのであろうかと考え、そのままを記しておりますと不図思い起こしたのは、昨日投稿したブログ記事への反応であり、これはまた私にとって新鮮なものであり、下に示す考えがそこから得られました・・。

昨日投稿したブログ記事最終部近くにて「我が国における(一つのそして代表的な)男性像のロールモデル、理想像とは近代の西郷隆盛で終息、終焉したのではないか?」といった意味のことを記しました。

しかし、もしかすると、それは太平洋戦争の敗戦(以降しばらく)まで万世橋のたもとに立っていた銅像のモデルもまたそうであったのかもしれません・・。

とはいえ、この戦後に撤去された銅像の周辺、つまり東京都千代田区には、他にも戦前からの銅像が比較的多く存在し、本日も大山巌品川弥二郎の銅像の横を通りました・・。

では、なぜこの万世橋の銅像とは撤去されなければならなかったのでしょうか・・?

これには諸説あり、現在なおその確たる背景、真相とは見出されていないようです・・。

あるいはまたその背景、真相とは見出されると面倒な何かがあるのでしょうか・・?

とはいえ、おそらくそこには日本近現代史あるいは我が国国民性の暗部といったものが少なからず隠されているのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございました。

さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域の諸インフラの早急な復旧そしてその後の地域、県全体の復興を祈念しております。




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