2026年5月7日木曜日

20260507 株式会社講談社 講談社学術文庫刊 加藤周一著「日本人とは何か」 pp.148-154より抜粋

株式会社講談社 講談社学術文庫刊  加藤周一著「日本人とは何か」
pp.148-153より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4061580515
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061580510

 とにかく日本の知識人の若さは、その一途なまじめさ、一種の健康さにあらわれている。そればかりでなくまた、おそらく新しいもののすべてに対するその進取的な態度にもあらわれているだろう。外国の文明に対して、この国の知識人は閉鎖的でない。盛んな知識欲があって、研究し、受け入れ、学ぼうとする気構えがある。しかし、そのような態度は、確かに、若さによるとしても、若さにだけよるものではないだろう。しかしそのことには、あとで触れる。また併せて、そのような傾向の積極的な一面が同時に、消極的な面を含んでいるということについても、あらためて触れたい。消極的な面とは、外国の文物に対する知識の貧しいということであり、すべて新しいものに対する関心の鋭さに比べて、古いものに対する歴史的な感覚の鈍いということである。しかし、消極的な面を強調するあまり、積極的な面を忘れるのはまったく正当でない。私は、ここで、何よりも先に、日本の知識人の若さが、それ自身大いに積極的な面を含んでいるということを強調しておきたい。  
 しかしその上で、若さそのものに伴う消極的な一面についても一言触れておく必要があるだろう。なぜならばそこに、ある意味で、日本における知識人の問題の出発点があるからである。現に、特定のジャーナリズムを消化し、多くの文化的活動を支持している層が、二十台に多い、あるいは少なくとも四十歳以下に多いという現象は、単に世代の相違によって説明できるものではない。多かれ少なかれ、現在の事情は、戦前にもそのままあった。そこで、唯一の可能な説明は、青年時代に知識人であったものが、一定の年齢に達して、そうでなくなるということ以外にはない。いや今さら強調するまでもなく、読者の身辺には、おそらくそういう実例が無数にあるはずだろう。学生時代には、哲学の本を読み、大学を卒業して、会社に勤め出しはじめのうちは、「世界」か「中央公論」を読んでいたが、今では週刊雑誌以外に何も読まなくなったという類である。なにも会社に限らない。役人にも、その他の職業にも、およそ東京の大学卒業生にして、こういう例はいくらでもあるだろう。どうして今は週刊雑誌しか読まないのか、どうして今は「平均率洋琴曲集」よりも、「お富さん」の方が聴いておもしろいのか。当人の与える説明は、人によって違うようである。たとえば、ある会社員は、仕事が忙しく、家へ帰ると「むずかしい本」を読めないほど疲れてしまうという。またある役人は、宴会で歌うのに、平均率洋琴曲集ではどうにもならない、そんなものを聴いていたのでは、とても付き合いができないと言う。しかし、また、もう少し居直ってこう言う人もある。責任は、「中央公論」や「世界」の側にある。実生活に経験を積むと、そういう学生じみた雑誌の議論を読むのは、馬鹿馬鹿しくなると。また逆に昔をなつかしむ人もある。ろくに本も読めない今の境遇はつまらない。もうこうなってはだめだというのである。しかし、こういう説明のすべては、その男の問題として、いくらかの真実を含んでいるとしても、大部分がまちがっている。初めの二つの説明では、問題が当人の責任ではなく、会社や役所の責任ということになっている。しかし、同じ会社、同じ役所にも「むずかしい本」をよむ人がいるのだ。そういう連中の仕事が、格別、閑なわけではなく、付き合いが特に悪いわけではないだろう。会社や役所には特定の条件があって、それは知的生活に不都合だろうが、それを不可能にするほど絶対的なものではない。どうしても当人個人の問題が残る。一方、「中央公論」や「世界」が、実生活を離れた学生風の議論に満ちているという説明は、気休めのごまかしにすぎない。私は今の総合雑誌にそういう傾向がないとはいわないが、それならば、何が実生活に即し「学生風」でない「大人」の議論に満ちているのか、大いに疑問だと思う。まさか週刊雑誌ではあるまい。問題は当人自身以外にはない。しかし当人自身の問題としては、昔を懐しんで、今の境遇を儚むということにすぎないとすれば、そんなことに私は同情しないだろう。第一それでは説明になっていない。  
 ほんとうの説明は、一つしかなかろうと私は思う。学生時代及びその後の一定の年齢の時代に、多くの青年が知的活動に従い、一見知識人の大群を作っているように見える。しかしその大部分は、しばらくすると特殊な専門的領域での仕事以外に、その知的活動をほとんど全面的に停止する。その根本的理由は、決して仕事が忙しいとか、付き合いがどうとかいうような外面的なことではなく、若い時代の活動そのものが、つけ焼き刃であり、なま半可であり、何一つ確かなものを捉えていなかったという事実そのものにほかならない。会社にはいってからの週刊雑誌的話題が、附き合いのためならば、学生時代の総合雑誌的話題もまた附き合いのためだったろう。変わったのは表面だけで、根本は変わったわけではない。はじめから同じ地金が出たというだけの話で、何もおどろくことはないのだ。地金はめったに変わらぬ。変わるとすれば、ほんとうの意味の教育または一種の回心によって変わるので、学生同士または会社員同士の附き合いなどで変わるものではない。  
 しかし、勿論、すべての青年が、一定の年齢に達するとばけの皮がはがれるほど浅薄な仕掛けで動いているというわけでは決してない。残るものは残る。たとえ会社が忙しくても、たとえ、役所のあとに宴会が毎日続いて、たとえその宴会でどれほど芸者と昵懇になったとしても……。世の中のすべてが、芸者との付き合いから成り立っていないということを理解するためには、本来、あまり沢山の知性を必要とするわけではなかろう。年齢によって左右されない知識人というものが確かにある。だが本当の日本の知識人であって社会の各方面に散在していることは、すでに強調した通りである。若い知識人の大きな部分は、残念ながらみせかけにすぎない。しかし、見せかけもこれほど大掛りになれば、それなりに妙に先走った、一種の活気に見満ちた社会現象になるであろう。
 しかし、私は先を急がなければならない。年齢の次に、性別について一言しよう。結論から先に言えば、西欧諸国と比較する時に(また、無論米ソ両国と比較する時に)、日本の知識人は圧倒的に男に偏っている。ある統計によれば、労働人口の中に女性の占める比率は、現在の日本で、現在の西欧諸国と大差がない。ところが別の統計によれば、婦人の平均賃金の男の平均賃金に対する比率は日本では、どの西欧諸国よりも低い。ことに比較的人数の、平均賃金の高い仏蘭西と比較すれば、日本の婦人の平均賃金の男の平均賃金に対する割合は、仏蘭西での割合のおよそ半分にすぎない。それだけのことからみても、日本での婦人労働がいかに非熟練肉体労働に偏っているかということを想像できるであろう。一方また、一目みて明らかなように、知的職業の責任ある地位に、西欧では、かなり婦人が多いが、日本ではほとんどいない。私は、英仏の医学研究所の一部を歴訪したことがあるが、かなりの数の研究室主任は、女性であった。しかも、大学の医学部は、女子学生の数のもっとも少いところである。パリ大学の例をとると、文学部の方では女子学生の方か男子学生よりも多い。したがって、文学部系統の学校の教師、研究所員、美術館の館員、ジャーナリズム等には、医学の研究機関よりもはるかに婦人が多いのである。簡単に言えば、西欧の知識人の一部分は明らかに婦人から成っているという事情は日本にはみられない。大学の男女共学は、まだ始まったばかりであり、女子学生は大部分の分野でまだ例外にすぎないからである。  
 またそのこととおそらく関連して、日本には、外国にはない婦人雑誌というものがある。外国にも婦人雑誌がないこともないが、それは、婦人服や家事について、実際的な知識を提供するものであり、それ以上のものではない。それだけを読む婦人は多いだろうが、それは、新聞以外に何も読まない男性が多いのと同じことである。もし、知的欲求があるならば、西洋では、男も女も同じ本を読み、同じ雑誌を読む。たとえば、サルトルがその主宰する雑誌で共産主義を論じ、シモーヌ・ド・ボーヴォワールが反動思想家を論じたとすればそれは、どちらも男女の性別に関係のないことが明らかであろう。その雑誌に興味を持つかどうかは、当人が男であるか女であるかによってではなく、どれだけの知的訓練を経て来ているか、あるいは、どういう階級に属しているかによって決するのが当然である。一方に総合雑誌があり、それが主として男性の読者を対象とし、他方に婦人雑誌があり年中恋愛と結婚について特集しているという現象は、知識人即男性、女性即恋愛と結婚専門家ということを前提とすら考えない以上、どうしても理解することのできない現象であろう。  
 私は、日本の事情が西欧の事情に近づくことを必ずしも望ましいと考えているわけではない。しかし望むと望まざるとに拘らず、おそらく徐々にそういう方向に沿っての変化が日本にも起こりつつあるし、その変化はもっと先へ進むだろうと考えている。私はそれを傍観するだろうが、ひそかに期待することもなくはない。遠い先のことで話が空想的になるが、私の期待するのは、もし知識人の中に婦人の占める割合が相当の大きさに達すれば、それによって、良い意味での保守的傾向が、われわれの知的活動に附け加えられるかも知れないということである。

20260506 書肆心水刊 杉山茂丸著「俗戦国策」pp.89‐91より抜粋

書肆心水刊 杉山茂丸著「俗戦国策」
pp.89-91より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4902854155
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4902854152

 庵主は、人間と云ふ者は、此土地と、其上にある国家に対しては、極度の敬意と愛憐の情とを持たねばならぬ物と思ふ、而して其敬意と愛憐の情は如何にして持つかと云へば、抑々地上にあって歴史を持たぬ所はないのである。
 国家なる物は歴史の結晶である、語を易へて云へば、歴史あるに依て国民が生れたのである、善なり悪なり、其国家の有する歴史は、其国家に取っての生命であり、光栄であるのである。如何となれば、歴史なる物は已に経過したる事実であって、改正と取消しの出来ぬ物の名である、夫を罵るのは直ちに吾人の生存を罵る者であって、少なくとも第三者の容喙を許さぬ物である、斯る自己の関係を知らずに、之を無視したり罵ったりする者が其国民中に孵化する、之を名づけて泡沫学者と云ひ、蛆虫代議士と云うのである。
 今や世界の人類は此二十世紀前より、自己の歴史なる物を、無形の学理と云ふ空間の理論の鋒鋩を以て無闇に突崩し突崩し、恐々として覚る事を知らず、縦横無尽に亡世界的行為を組織して居るのである。
 豈図らんや、従来あったればこそ現在がある、其現在は歴史の賜である、故に将来もあるのである、現在の自己は即ち吾人祖先歴史の賜であつて、爾後の発明発見の歴史は、自己が子孫に対する歴史的責任行為である。

日本

 此故に先ず我が国は、東洋と云ふ歴史を有し、又其一部分たる日本と云ふ歴史を有し、吾人は其日本人たる歴史を有して居るから、其生存行為の何事を為すにも、此歴史の根本を忘れては、何事も日本人の行為とはならぬのである。先ず日本と云う国は、今も昔日も同じく、太平洋中に浮鴎の如く波瀾澎湃の間に出没して居る其島嶼を我が国皇室の御祖先が御発見になつて、建国の地と定められ、種々困難なる経験をなされたが、一度寒潮と暖流との交叉接近にあって、気候が中温であった故に、至る所に生い茂った物は蘆葦斗りであった、之を刈り除いて色々の播種をせられたら、何の植物でも能く登るので、豊葦原瑞穂国と命名せられた、夫で建国の基礎を農事と定められた、夫から吾人の祖先に対して、此国に居住する事を許されたが、夫が一部出来ると天皇は直ちに丘陵に立って政治の基礎を宣言せられた、曰く「民は国の本なり、民の生は朕が生なり、民安うして朕始めて安し」と、夫から行政の綱領を利用厚生に置かれた、曰く「民は国の本なり、民の富は朕が富なり、民富んで朕始めて富」と、夫から信仰を祖先、即ち歴史の崇拝に置かれた、曰く「祖を祭り先に事うるは、朕が民の心なり」と、夫から政策は、人材登用主義である、曰く「才を伸ばし能を発するは、道を行う所以なり」と、夫から法律は暴を制するに止められた、曰く「暴を制するは法の定むる所に因る、道を教うるは民の事を安んずる所以なり」と仰出された、即ち我が皇室は其出発より、全世界中の無財産的、無欲有徳の大慈善家主義であった、是が吾人民族が始めて国家と政治と云う物に遭遇した、歴史の始原である、其後儒学仏教の渡来旺盛は全く自己の歴史を彩る塗料に過ぎなかつたが、其功績の継続の経験は、今日から之を見るも甚だ危険であつて、歴史上の一異彩となって居るのである。
 併し我国家歴史出発の素質には何等の腐蝕をも印せずに、今日までの歴史思想を継続して居るのである、此故に吾人は、先ず自己の国家の歴史を知り、自己の祖先の歴史を知り、夫に第一の敬意と愛隣の情とを注ぐは、即ち吾人の国家と吾人とを尊崇する所以である。
 夫が即ち又、吾人の子孫後昆に歴史的生存の道を遺す所以でもある事を忘れてはならぬのである、先ず此位の国民的自覚が付いたらば、始めて人間学と云う高尚な学問に心を向けねばならぬ、夫は世界の歴史を知るは世界の民族を貴ぶ所以であり、国交を平和ならしむる所以でもあるのである。此心が基礎をなしたら、明治天皇維新の其宣言にもある如く智識を世界に求め大いに皇基を振起すべしと、仰せられたように、世界の学問に眼を付けねばならぬ。
 先ず地球の球体なるを知るには「アリストテレス」に因るも宜しい、之を伝証するには「トレミー」に因るも宜しい、之を証拠立てるには航海家「マゼラン」に因るも宜しい、経済の大要を知るには「ミル」でも「ホーセツト」でも宜しい、民権説を聞くには「ルーソー」でも宜しい、進化論には「ダーウイン」でも宜しい、蒸気の発明を知るには「ワット」も宜しい、何でも千差万別、今日まで此世界人類中を馳駆した学問の努力は、皆彼等学者が子孫に遺す為めの、事業の行程日記である、夫を読んだり、学んだりするのは人類の尤も高尚な行為である。