2025年8月31日日曜日

20250831 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons ; 21世紀の人類のための21の思考」pp.102-104より抜粋

株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons ; 21世紀の人類のための21の思考」pp.102-104より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309467458
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309467450

 あなたはアルゴリズムにつきまとう問題の数々を並べ立て、人はけっしてアルゴリズムを信頼するようにはならないと結論するかもしれない。だがそれは、民主主義の欠点をすべてあげつらって、正気の人ならそのような制度はけっして選択しないだろうと結論するようなものだ。有名な話だが、ウィンストン・チャーチルは次のように言っている。民主主義はこの世で最悪の政治制度だーただし。他のすべての政治制度を除けば、と。是非はともかく、人々はビッグデータアルゴリズムについても同じ結論に到達するかもしれない。多くの障害を抱えてはいるものの、それよりましな選択肢はない、と。 

 人間の意思決定の仕方について科学者が理解を深めるにつれ、アルゴリズムに頼りたいという誘惑も強まりそうだ。人間の意思決定をハッキングすれば、ビッグデータアルゴリズムの信頼性が高まるばかりでなく、同時に、人間の感情の信頼性が落ちるだろう。政府や企業が人間のオペレーティングシステムをハッキングすることに成功すれば、私たちは精密誘導の操作や広告やプロパガンダの集中砲火を浴びることになる。私たちの意見や情動を操作するのがあまりに簡単になりかねない。その場合、私たちはアルゴリズムに頼ることを余儀なくされる。めまいに襲われたパイロットが自分の感覚が告げるメッセージを無視して、機械装置を全面的に信頼しなければならないのと同じことだ。

 一部の国や一部の状況では、人々はまったく選択肢を与えられず、ビッグデータアルゴリズムの決定に従うことを強制されかねない。とはいえ、自由社会とされている場所でさえも、アルゴリズムが権限を増すかもしれない。私たちはしだいに多くの事柄でアルゴリズムを信頼したほうがいいことを経験から学び、自ら決定を下す能力を徐々に失っていくだろう。考えてもみてほしい。わずか20年のうちに、何十億もの人が的確で信用できる情報を探すという、非常に重要な任務をグーグルの検索アルゴリズムに委ねるようになった。私たちはもう、情報を探さない。代わりに、「ググる(Googleで検索する)」。そして、答えを求めてしだいにグーグルに頼るようになるにつれて、自ら情報を探す能力が落ちる。そして今日、「真実」はグーグルでの検索で上位を占める結果によって定義される。

 同じことが、目的地までの移動のような身体能力にも起こっている。人々はグーグルを頼りに動き回る。交差点に差しかかると、直感は「左に曲がれ」と告げているのに、グーグルマップは「右に曲がれ」と言う。最初は自分の直感に従って左に曲がり、交通渋滞に巻き込まれ、重要な会議に出席しそこなう。次のときにはグーグルの言うことを聞いて右に曲がり、時間どおりに到着する。こうして、経験からグーグルを信頼することを学ぶ。一、二年のうちに、グーグルマップが言うことなら何にでも、ろくに考えもせずに従うようになり、スマートフォンが故障したら、完全にお手上げとなる。

 2012年3月、オーストラリアで沖の小島に日帰り旅行に出ることにした日本人観光客が、干潮の太平洋に車で突っ込んだ。運転していた21歳の野田ゆずは後に、GPSの指示に従っただけだと述べている。「車で行き着けるとのことでした。道路に導いてくれると繰り返すばかり。そのうち動けなくなってしまいました」。同様の事故は他にもあり、どうやらGPSの指示に従っていて車を湖に乗り入れたり、取り壊し中の橋から落ちたりということが起こっているらしい。目的地まで無事に行き着く能力は筋肉のようなもので、使わないと失われる。配偶者や職業を選ぶ能力にも同じことが当てはまる。

20250830 春風社刊 谷川健一著「古代歌謡と南島歌謡: 歌の源泉を求めて」 pp.97-100より抜粋

春風社刊 谷川健一著「古代歌謡と南島歌謡: 歌の源泉を求めて」
pp.97-100より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4861100585
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4861100581

 枕詞は今では原義が不明になってしまっていることから、たんなる形容詞や形容句と思われているものも少なくないが、その背後をたどっていくと実体に突きあたる。

「万葉集」巻三には、柿本野人麻呂の旅の歌が八首まとめて載せてある。その一つに有名な、

ともしびの明石大門(あかしおほと)に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず(二五四)

がある。「ともしび」が明石の枕詞であり、明石が地名であるのはいうまでもないが、では明石という地名の由来は何かというと、手許にある数種類の「万葉集」の注釈書では穿鑿されていない。そこで歴史地理学者・吉田東伍の「大日本地名辞書」を開いてみると、明石の名は付近の海中に赤い石がとれ、それが硯の材料に最適であることから起った、という説のあることを記している。また古書の中には、「赤石」または「明」という字を当ててアカシと訓ませたものもあるそうである。

 しかし私には、明石の名が赤石にもとづくとは思われない。明石市と淡路島の淡路町の間は明石海峡と呼ばれるせまい瀬戸になっている。私は淡路町の岩屋にある海ぞいの旅館で半日ばかり海を見てすこしたことがあるが、その間中、東に西に往き交う船舶のとぎれることがなかった。万葉時代にも、いやそれ以前から、そこが海の重要な交通路であったことはまぎれもない。西国からやってきて「明石大門」を通り越し、はじめて異郷を脱したという感慨を持つ旅人は多かったと思われる。さきの歌につづく人麻呂の歌、

天ざかる夷の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ(二五五)

という歌には、自分たちの住む国にやっと足を踏み入れるという安堵感がにじみ出ている。この「大和島」というのを畿内というように広域に解する必要はない。秋から冬の晴れた日には、明石から葛城山脈を遠望できると地元の人に聞いた。

 この重要な海峡では、船の航行を安全ならしめるために、目印として火が焚かれていたにちがいない。そして、その火をアカシと呼んだと思われる。松の根を切って燃やした灯火を「アカシ」と呼ぶ地方は、今日でも山梨、飛騨、大隅から南島までひろがっている(東條操『全国方言辞典』)。また、松の根を細かく引き裂き、灯火用に焚くときの台をヒデバチと呼んでいるところが各地にある。松明をタイマツと称するのも、松の根を焚いたからである。

 こうしてみると、明石という地方は、地中から赤い硯石の材料が出るからではなく、松の根を焚いて航行する船の目印の灯明としたことに由来するのではないか。とすれば、「ともしび」という枕詞と明石という地名が無理なくつながる。

 今日の灯台は、明治以前には灯明台と呼ばれていた。すなわち、神社に奉献された灯明台がその役割を果たしてきたのである。明石市の住吉神社もその一つであった。有明海に突きだした宇土半島北側の海岸にある熊本県宇土市住吉町には住吉神社が祀られている。神社の境内には、肥後藩主細川宣紀の寄進した高灯籠があり、ながく灯台として用いられた。現在の住吉灯台の前身にあたるものであった。

 烽火の制は、天智帝の時代から始まっている。したがって、万葉時代に海の要衝である明石の瀬戸に松の根を焚いて船舶の航行をたすける「ともしび」の設備があったと推測するのはいっこうに不自然ではない。