読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
そして、この記事(20160810)の内容に多少関連しますが、私はこれまでに幾つかの学問分野における研究者および未来の研究者達に接する機会を持つことが出来ました。
そして、ここからは私見となりますが、彼等、彼女等の多くは、各々が所属する学問分野特有の世界観を持っており、その世界観の特徴(これは未だ感覚的なものであり、上手く言語化することはできませんが)より鑑みますと、昨日の記事(20160810)に記した指摘、反応とは、文系的というよりも理系的なそれであり、また、そうであったからこそ、その指摘、反応とは、私にとって新鮮、鮮烈なものとして感受されたのではないかと思います・・。
そして、ここまで記して不図想起することは、以前出席させて頂いた国際学会にて、自身の発表を終え、他の会場での発表を見学していますと偶然、日本語訛り(加えて、そのイントネーションから西日本御出身であることが想像される)の強い英語にて明朗に話し発表をされている女性研究者、院生(?)を見かけたことです。
そして、発表後、西欧在の某大学研究者数名から矢継ぎ早に質問を受けておりましたが、彼女はこれに特に動じることもなく、時には身振り、手振りも交え、発表時と同様、明朗な日本語(西日本)訛りの英語にて質問に応じておりました・・。
また、用いている英語の表現方法、語彙などから、この方の専攻は医歯薬系あるいは理工学系専攻の方であったと思われます・・。
私はそれ以前に学会などにおいて、この様な光景に遭遇したことがなかったため、大変新鮮、鮮烈なものとして記憶していた次第です。
そして、それと同時に「このような女性研究者が今後、より多くあらわれるようになると、社会とはどのように変化してゆくのであろうか・・?」とも思った次第です。
私としては、そうした未来とは、なかなか面白いのではないかと思われ、またかつて、そうした思いを幾度か周囲の方々に語ったこともありました・・(笑)。
しかし、それと同時に、それがこの先に何らかの社会現象として生じた場合、さらにその後において、その現象に社会全般が便乗し、結局のところ、どうもおかしな方向に行ってしまうのではないか・・?
といった危惧もまた生じてきます・・。
大岡昇平の「俘虜記」などを読みますと、そのような自然に生じた現象に対し、後に全体が便乗し、結局のところおかしな方向に行ってしまうといった具体例に満ち、そのことから、いささか暗い気分にさせてくれますが、おそらくこれは少なくとも、近代以降の我が国社会における特徴の一つであると評しても良いのではないかと思います・・。
あるいは丸山眞男の述べるところの「既成事実への屈服」なども同じようなモデルに対する異なった視点からの表現であるのかもしれません・・。
そして、その同じ社会が「この先の未来だけを見つめる」といったことにヤケに力を入れていることは、何かしら不可思議、おかしな、良からぬものを感じさせます・・。
そして、情報技術が進化発展を遂げた現代においては、おそらく海外の方々に対し、そうした我が国のあまり好ましからぬ特質らしきものが透けて見えてきているのではないかとも思います。
それに加え、一つに、そのようなところから昨今の近隣諸国からの我が国に対する驕りもまた生じているのではないかと考えさせられますが、さて如何でしょうか?
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月半ば過ぎに熊本を中心に発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来る限り早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。