2018年4月29日日曜日

20180429 継続して自身を何かに投じることにより得られるものとは・・?

本日は休日ということもあってか、昨日投稿分の記事はかなり多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

たしかに昨日投稿分の記事にて述べた『思想・観念』に関しての議論は難しく、仮に誰かが、その『思想・観念』を完全に理解しているとしても、それにより、その誰かが『思想・観念』を保持していることにはなりません。

おそらく『思想・観念』を保持することとは、そこに自身を(ある程度持続的に)投じてみる必要があるのではないかと思われます。

約言しますと『『思想・観念』を保持するためには、自身がそれと一体化する必要性があり、それは客観視による理解とは、異なった相にあるものと云える。』となります。

そこに昨日投稿分の記事にて述べた『我が国は『思想・観念』の構成要素である文字に関しては古来より高い識字率を誇ってきたが、それを用いて編まれる『思想・観念』に関しては広く関心を持たれることはなかった。』ということを加味して考えてみますと、我が国は、実用的であり且つ娯楽享受のための手段ともなる文字に関しては、時代を通じて積極的に広く受容したが、それと同じ文字を用いる『思想・観念』については、本質的にそれらは自身を投じる必要があり、そこから人の思考・行動をも変え、ひいては社会の安定のためにも好ましからざるものとされ、忌諱されるに至り、それが尾を引き現代に至っているとも考えられますが、さて如何でしょうか?

ともあれ、そうした事情から我が国は『思想・観念』に関しては、同じく科学技術全般などと比較した場合、それと同水準にあるとは決して云えなく、また今後もこうした『思想・観念』を扱う分野においては、国際間では言語の違いなどもあるのでしょうが、それ以前にさきに述べたような背景により、我が国はさらなるガラパゴス化を余儀なくされるのではないかと思われます・・。

そして、そこから招来されるであらう事態を多少は改善できるのではないかと思われる方策は、第二外国語のように文系であれば理系の何か、理系であれば文系の何か能動的に取り組む自身を投じてみる)ことが出来る分野・科目を副専攻として研究することが一般化することであると考えます。また、ここで重要なことは、あくまでも能動的(自身を投じてみる)ということであり、それが出来そうでなければ、どちらか一つでも十分ではあるのですが、ただ、そうした方々が増えることにより、将来における『思想・観念』の創造性は多少は良くなるものと思われますが、さて如何でしょうか?

おそらく我が国は伝統的にその多くが定住型の水稲耕作民であることからか『思想・観念』に限らず、自身を何かに投じてみることを忌諱する傾向があるのではないかと思われます。

その意味で、当ブログは本名にて運営しており、いくらかは自身を投じているとも云えますが、それでも将来における『思想・観念』の創造性は不明のままであり、また同様に文体の獲得も未だ為されていませんが、それでも何かしら自身が寄与できそうなことに継続して能動的に取り組む自身を投じてみる)ことが、さきの創造性の素描となり、文体の獲得となっていくように思われますが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

ここ数年来、現在に至るまで、列島各地において生じた、もしくは現在も発生している地震・大雨・水害・火山噴火といった大規模自然災害により被害を被った、被っている諸地域の諸インフラの復旧そして復興を祈念します。


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昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック
ISBN978-4-263-46420-5











20180428 『思想・観念』は『その思想が述べられている文字列?』・『木を隠すなら森の中?』

本日の首都圏は天気も良く、温度も上がり、ゴールデンウィーク初日にして既に晩春を感じさせるような陽気であったと思われます。
さて、現在あらためて読み進めている著作が『大学とは何か』であること、および昨日投稿分記事から着想したと思われるのですが、先ず
『思想・観念』には色やカタチといったものはありません。
他方、たとえば何らかの『病気・症状』なども、さきの『思想・観念』とほぼ同程度に、その具体像が思い浮かぶというものありません。しかしながら『病気・症状』には目視可能な何らかの像を結ぶ存在があり、そして、それを専門とする方々にとっては、色やカタチなどを含めて何らかの具体像が思い浮かぶ存在であると云えます。そして、それと同様の意味合いにおいて『思想・観念』には具体像といったものがなく、そこから『思想・観念』とは『文脈ありき』もしくは、ある程度の時間的な継続性に依拠する存在であると思われます。また、それは以前に抜粋引用した中井久夫の記述によると『積分回路』・『参照のシステム』であり、あるいは、強いてその具体像を表現してみますと『その思想が述べられている文字列』となります。
しかし、であるからといって『その思想が述べられている文字列』が存在さえすれば、そこに『思想・観念』がたしかに存在する、もしくは存在したと証明出来るわけでもなく、皮肉なことであるのか『思想・観念』が著される『文字』が広汎に用いられる、一般化されることにより、その『思想・観念』の存在は、反比例的にとも評し得るほどに減少していくのではないかと思われます。
約言すると、文字が一般化された社会においては特に、ある『思想・観念』の存在を『その思想が述べられている文字列』の有無により判断することが困難となり、その意味で古くから識字率の高さが一つの特徴である我が国が、同時に『思想・観念』などに関しては、実質的にあまり重要なものとは考えない、関心を持たないこととも浅からぬ関連があるように思われるのです。(またそれは、現在のさまざまな国際レベルにおける歴史問題にも通底するものがあるように思われます・・。)

また、たとえ『思想・観念』が実際に存在するとしても、そこに、他の大量の『思想・観念』とは云えない何かしらの文字列が存在すれば、さきの『思想・観念』は相対的なものとなり、次いでその中に徐々に埋没していくのではないかと思われます。(それはまさしく現代の大量生産・大量消費社会ではないだろうか?)
その意味で『思想・観念』とは云えない何かしらの文字列の存在が比較的少なかったかつての時代の方が、幸せであったのかもしれませんが、しかし、そうした社会であっても、文字の運用を『思想・観念』に関しての議論および新たな
創造に多くの人々があまり関心を持たないといった傾向とは、かつての特に近世以降の施政に淵源があるのか、あるいはそれ以前よりそうした傾向が社会に存在していたのか分かりませんが、そこには、やはり時代を通じ普遍的に理解・解釈可能な正典が存在しないことが、ある程度影響しているように思われるのです・・。

また、さらに近年のインターネットなどの情報技術の進化発展に伴い、画像も文字も更に一般化されつつありますが、そうしたいわば多くの画像・文字情報に恵まれた状態こそが、新たな創造、進化発展において適しているというわけでもないように思われるのですが、さて如何でしょうか?
ともあれ、今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。


現在までに列島各地にて発生した、あるいは現在も発生している地震・大雨・水害・火山噴火などといった大規模自然災害により被害を被った、被っている諸地域の諸インフラの復旧そして復興を祈念します。


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昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック
ISBN978-4-263-46420-5