2017年7月5日水曜日

20170705 内面にて生じる葛藤がブログ記事作成の原動力?【書籍からの抜粋引用あり:西郷隆盛および中江兆民】

本日帰宅後、既に恒例となっているブログの閲覧者数をチェックしてみますと、昨日と同様、自身としては多いと思われる閲覧者数(650程度)となっておりました・・。

昨日の記事においても書きましたが、やはり閲覧者数が多いと感じられると、その画面の数値から少なからず圧迫感のようなものを受けるようです。

そこから『今日は記事の作成を止めておこうか・・』といった感じにもなるのですが、同時にその一方で『これだけ読まれているのだから今日も何か書かなくては・・』といったアンヴィバレントな心情が内面において惹起されます。

その動態としての名称が『葛藤』であり、そしてまたそれが私の場合継続的なブログ記事作成に対する一つの大きな原動力になっていると云い得ます。

また、それに加えて、ブログ記事作成において、もう一つこうした『葛藤』を惹起せしめる大きな要素として、直近に投稿された記事に対しての反応として見られる読まれている記事の傾向であり、これらの(反応として読まれた)記事を多少注意深く見ていると、その関連性の軸となるものが透けて見えて来て、そこから時折、否往々にして新たな自身の思いもしなかった新たな考えが惹起されるのです・・。

このことはあまりブログ記事にて書かれることはありませんが、白状しますと、自身のブログ記事の多くとは、こうした『文語(記事)を介在させたやりとり』によって成立している部分がかなり大きいと評することが出来ます・・(笑)。

また、こうしたやりとりの中で、それが具体的な誰かによるものであると判断出来るものは(ほぼ)ありませんが、少なくとも一連のブログ記事を通じて自身のことをよく知っている、もしくは書かれた記事の内容をあるいは書き手よりもよく理解していることは判然と伝わってきます・・(笑)。

そして、その意味でこうした自身の作成した記事を用いたリアルタイムなやり取りとは、古の常陸国風土記肥前国風土記に見られる歌垣万葉集に見られる相聞歌とも底通する何かがあるのではないかとも考えさせられます・・(笑)。

そして、もしもそれがある程度妥当な意見であるとすれば、現在の技術であるPC・インターネットを用いて感覚面では古の遊びを行うということに何といいますか『人間の面白さ』らしきものを感じさせます(笑)。

さて、そういえば、昨今のニュースを多少見聞きしている折、面白いと思われた書籍の記述がありましたので、以下にそれを抜粋引用します。

文藝春秋刊 橋川文三著『西郷隆盛紀行』P.108より抜粋引用
ISBN-10: 4168130312
ISBN-13: 978-4168130311
『しかし、兆民の場合には、単に(西郷隆盛)惚れこんでいた、それだけのものではなさそうです。
中江兆民には、西郷さんの人物評価とは別に、もう一つ冷酷な目で権力の構造というものを見抜いていた面があるようです。
つまり、権力には、実現すべきある目的、政治の目的というものがある。
そして権力が権力として存在する以上、実現すべき政治の目的というものは、いつの間にかぼやかされてしまうことが多いわけです。
なぜかといえば、実際の権力というものは、現実の政治的必要から、いかにも本当らしい政治の目的を掲げる一面では、正義といった看板を掲げざるをえない。
けれども他面では、つまり、本当のところは悪いことをやると。
そうした権力自体が内在している、必然的な仕組みがあると思うのです。
どうも、うまくいえませんが、権力というものは、自分が掲げた政治の目的、いわば追求すべきものを、決して追求できないという性質を持っているのです
ですから、権力が目的として掲げているものは、権力の本当の目的ではないのだと・・・。
そういうところが権力の実際だろうと思います。
だから、中江兆民の場合、当時の政治状況を脳裏に描き、保守派の島津久光の勢力と、西郷の声望を結ぶ延長線上に、権力顚覆の可能性を読んでいた。
要するに、権力のメカニズムというものをはっきりと把握しながら、西郷さんの担ぎ出しを策謀していたのです。
兆民は後年、自分を中国の張良をもって任じ、漢の高祖さえありせば、縦横無尽の腕をふるえるのにと嘆じたといいます。
そして、自己の才能を発揮させてくれる漢の高祖とは、西郷さんだったといっているわけです。兆民と西郷を論じますと、いろいろ複雑な問題が出てきますが、いずれにしても、中江兆民もまた、西郷隆盛に惚れこんでいたのはたしかなんです。』

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまで
生じている一連の列島各地にて生じている地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しています。





20170704 昨日のブログ記事閲覧者数から思ったこと・・自身への実験

先ほど帰宅し、ブログの閲覧者数をチェックしてみますと、ここ最近では珍しいほど多くの閲覧者数(700程度)となっていました・・。

『一体これはどうしたものであろうか・・?』とも少し考えてみましたが、残念ながら、その説明に適した仮説らしきものは思い付きませんでした・・(苦笑)。

とはいえ、これら記事を読んで頂いたみなさま、どうもありがとうございます。

さて、昨今、一日のブログ閲覧者数が1000に達することが時折(概ね週末)ありましたが、こうしたことは記事を書く側になってみますと、やはりいくらかは緊張するものであり、次いで、さきにも書いたとおり『そこで読まれた記事とは一体なぜ読まれたのであろうか?また読後どのような感想を持つに至るのであろうか?』などと、しばらく考え込んでしまうことがあります・・。

しかし、こうした考えに『捉われて』しまいますと、新たな記事作成に対して構えてしまう・萎縮してしまうといった傾向があるようであり、現在をも含めた記事作成段階においては特にそうした意識を心に抱く、意識の多くを占めることは避けた方が良いとものと考えています・・。

また、そういえば『人は何かを創造している時の自身に対しては客観的になることは出来ない。』というコトバを何処で聞いたことがありますが、これはそうしたことにも関連があるのかもしれません・・。

さて、つい先日より効率的なブログ記事作成のため、電車での行き帰りにてノートにブログ記事の題材となりそうなことをあれこれメモ書きしております。

しかしあいにく、これはかなりの殴り書きであるため、その中からどうにか判読出来るものの一つを主題として書いて行きますと、現在私がいる首都圏では基本的に何処に行っても看板、標識、吊り広告など『文字・文章』があふれております。

その中で自身はほぼ無意識ながらも何かを感じ、考え、そしてその反応として、あるいはこれまでのブログ記事作成は為されているのかもしれない・・それに対して、もし自身がこうした環境(至るところに文字・文章が空間に掲示されていないところ)ではないところに居住することになった場合、たとえ、その他の環境が現在と同一であったとして、私は継続的にブログ記事の作成は出来るのでしょうか・・?

もう少し具体的に考えるために自身の過去を振り返ってみますと、かつて在住した何れの地域の日常においても、おそらく自身が意識的に接する以外の文字・文章(書籍、PC画面など以外の文字・文章)とは、現在に比べかなり少なかったのではないかと云えます・・。

また、端的に云いますと、それは、現代の我が国では、都市化の度合いと関連があるのではないかと思われます。

そして、この二年間そうした【どちらかと云えば都市化された】環境の中で継続的なブログ記事作成が為されてきたことは事実であり、また今後、自身がそうではない環境、たとえば窓の外に目をやると山、川、海などが見えるような環境且つ仕事場への往復にあまり文字・文章を見かけることがない場所に在住することになった場合、現在のような継続的なブログ記事の作成とは出来るのでしょうか・・?

あるいは出来る場合においても、それはどのような変化を書かれたブログ記事に対し与えるのでしょうか?

はたまた、もしそこで記事を書くことが困難であると感じた場合、自身はどのような反応するのか?とは、自身を用いたなかなか面白い実験ではないかと考えましたが、さて如何でしょうか・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現在に至るまでに発生した
一連の熊本、山陰東部、福島県周辺などでの地震によって被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧その後の速やかな復興を祈念しています。」