2026年6月15日月曜日

20260614 株式会社藤原書店刊 平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」 pp.427‐430より抜粋

株式会社藤原書店刊 平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」
pp.427‐430より抜粋
ISBN-10 : 489434906X
ISBN-13 : 978-4894349063

神道の美学
 学術上の真の記述と芸術上の美の記述とは異種であり別である。美術史家の論文は事物の真を正確に記述せねばならない。しかし正確なだけでは足りない。情報を提供するだけの美術史教授では第一級とはいえない。事物の美を描き、さらにその精神文化史的意味をも伝えることが望ましい。竹山の論が貴重なのは美術にあらわれた宗教文明の論としても示唆に富むからである。美術が育つためには背後に精神共同体が存在する以上、その宗教的精神共同体が共有する感受性にも言及しなければならないのは当然ではないだろうか。

 ー昭和五十八年秋に私たちは京都へ最後の旅をしたが、その帰る日の午後、鷹峰の芸術村を通り、円通寺の近くから比叡山を眺め、その借景の向こうの山をかぎりなく美しいと思った。美しいがこれが竹山にとり最後だという予感があった。そして糺の森を抜け下鴨神社へ寄り参拝をすませて「やはり神社の境内はいいですね。気持ちがやすらぎますね」とほっとして私がいったら、竹山も「あなたもそう感じますか」といった。多くの仏閣を見、そこで足掛け三日の旅程をおえ、安らぎを覚えたからかもしれない。しかしそれだけでなかった気がする。第三章でも述べたように、竹山は母が天竜鹿島の椎脇神社宮司の田代家の出で、それだけ神道に理解もあり親近感も覚えていたからこそ神道の審美学も語ったのであろう。「あちこち歩くうちに、神社にあるものが日本人の造形感の根本のものをあらわしているように思われてならなくなった。つぎつぎと外国からの影響があって新しい形態が入ってきても、結局ついには神道的な形に同化されてしまう。日本独特な感触のヴェールにつつまれてしまう」。
 昭和三十八年、竹山は毎月一回、新幹線開通以前の東海道線で鎌倉から京都へ通い、東山を遍歴し『藝術新潮』に十九回にわたり『京都の一級品』を連載した。私は前年からイタリアで留学していたが、竹山から「毎月の京都泊の仕事が楽しくて結構だと思っています」という趣旨の手紙をもらった。そんな二十年も前からすでに神道にふれてこんな見方を述べていた。

 神道は言挙げせず、教理としては貧弱だけれども、宗教感情の対世界態度をあらわすものはただ言葉には限らない。(神社という)形もそれに劣らず雄弁である。

そして敗戦後、非難されることのなにかと多かった神道について、こうも述べた。

 ところが、われわれは神道についてはほとんど何も知らない。教わったこともない。神道が国体を顕揚し戦意を強化したなどというけれども、われわれは神道からなんの強制をうけたおぼえはなく、その教義すらはっきり聞いたことはない。ただ森の中の空屋のような祠に、さまざまの名の神が祭ってあり、しかもその神はそこにはいず、代わりにその神を偲ばせる御霊代が御神体になっている。ぼんやりと曇った鏡などが懸っていて、正体は不明である。ふしぎな謎のようなものだが、それについても別に気にしないで無関心でいる。

神魂神社
 竹山は神道についてはその造形表現である神社を語り、その形によって触発された自分の意識のうごきを分析した。著作集に一点だけ入れた神道関係の文章は出雲の神魂神社である。その建築は大きくないが、純粋性という点から「比類のないもの」と竹山はいった。

 神魂神社の入口への階段は、左右に迫った杉の森のあいだに、大きな石塊を重ねて、それが三十二段ある。石は赤味をおびて豪快だが、段は高いし、凸凹しているし、小雨にぬれているから、昇り降りは楽ではない。立派な自然石の手洗鉢があって、苔むして、清水が迸りでては流れ落ちている。その音がうつくしい。この石段のあたりには、太古の巨石崇拝のあとが残っているように思われた。

 入口の最後の段を、太い杉が左右から挟んでいる。ここから内は聖なる地域であることを示していて、まことに象徴的な入口である。深い自然感がただよっている。鳥居と同じ役目をしている。...

 神魂神社はすぐ後ろに清浄な山を負っている。そこの小さな平地に、明るい錆につつまれた木造建築が、一分の隙もない比例をなして組み合って、格調きわめて高く聳えている。「自分の美しさを世間に知ってもらおうとは思いません」といいたげである。幸いにも、ここはまだ観光地ではないから、周囲の調和を乱すものは何もない。昔のままである。この土地の人々すら、通称大庭大宮といっていて、神魂神社といっては通じにくい。大庭とは昔の政庁の意味で、かつてここはこの地方の政治の中心地だった。

 この神社の美しさは、直接に目で見て感じる他はないだろう。...いまこの神社からは、潜勢する精気のようなものが発散しているのだが、写真はそれを捉えることはできないだろう。...文章もこの直接の感じを再現することはできない。

 この比例のうつくしい建物は、さらに一面に銀鼠の錆につつまれている。はじめは何か塗料がぬってあるのかと思ったほどだった。本殿の屋根はきれいに掃いたようだが、拝殿の屋根の上には杉の葉がたくさん落ちている。錆ーパチナとは、物と空間を結びつける媒介物だが、屋根には青を主とし、木材には白を主としたむらむらが、えもいわれない。「神錆び」という言葉があったような気がするが、もしなければ、そういう新語をつくって、ここにあてはめたい。
 静かで、清らかで、素朴で、自然で、しかもいかなる無駄もなく一分の隙もなくひきしまって鋭く、霊気をこめて、神魂神社は日本人の美しさの最高のものの一つだと思う。言葉の醇乎たる意味において古典的である。...カモスというのは神イマスあるいは神ムスビがなまったものだろう。...現存の大社造の神社では神魂がいちばん古い。そしていちばん美しい。...神魂はおそらくもっとも始原のものに近いだろう。

 竹山の文章に誘われて出雲へ行った人もいるだろう。行ってはぐらかされたような気持ちになった人もまたいるだろう。だが神魂神社から八重垣神社のあたりは連れ立って歩くといかにも気持ちがいい。伊邪那岐・伊邪那美命が男女の道を学ばれたのは鶺鴒からだという伝説があるが、大庭で鶺鴒の番(つがい)が私たちの目の前の小道をよぎるのを見たときは、神話世界にはいりこむような気がして私たちは思わず顔を見あわせた。