2020年8月2日日曜日

20200802【架空の話】・其の37

また、そうしてあらためてCさんの顔を見ていると、何だか、さきの二人のような精悍な顔立ちにも見えてきたのだが、より精確には、それまで私がそれに気が付いていなかっただけであるのかもしれない・・。

ともあれ、そうして1時間ほど家探しのアドバイスをもらい、雑談をしてから医院を出て帰宅したのだが、考えてみると、一人暮らしをするにあたって必要と思われるものが色々あることに気が付いた・・。そこでe-mailで兄に一人暮らしでの必需品を教えてもらおうと、これまた久々にパソコンを開いて、兄宛てにメールを作成し送信した。

さて、この日も帰宅してみると家には誰も居らず、来週のKでの家探しのための荷物をパッキングしていると、不図「今後の一人暮らしでは、現在の衣類の量は多すぎるのではないか?」と思い、まだ使えそうで、そこそこキレイな衣類を古着屋さんに売ってみることにした。私は古着屋さんでアルバイトをしているため、一般的な若者が着るような衣類に関しては、そこそこ知識を持っていると考えているが、その私が選んだ衣類が果たして、どの程度の金額で買い取ってもらえるかということは、少し怖い面があるものの、興味深いものがあった。

時刻は、暗くはなってきていたものの、未だ夕刻前であり、時間は充分にあると云えた。そこで、さきのパッキングから移行した衣類の整理をさらに続け、ラージサイズの米軍サープラスのダッフルバッグが目一杯にまでなった・・。

その中に入れたものは

*日本ではあまり知られていないが、大戦時に実際に米軍に納入していたメーカーによる民間向けモデルのA-2フライトジャケット(多分70年代)

*オイルドクロスによる各種コートで有名な英国ブランドによるキルティングジャケット(色はグリーンで襟がブラウンのコーデュロイ)

*オイルドクロスによる各種コートで有名な英国ブランドによるモーターサイクルジャケット(通称インターナショナルジャケット:色はグリーン)

*マリリン・モンローが朝鮮戦争での慰問に着用したことで有名になったナイロン製フライトジャケットB-15Cの国産レプリカ

*レザーヨークダウンベスト(ヴィンテージの国産レプリカ)×2枚

これらに加え、何枚かのシャツやスウェットを詰め込んだダッフルバッグを背負い、再び電車に乗って大学近くにある、そうした衣類を専門に扱うお店に持ち込んだ。店員さんは入ってきた私を見て「あ、買取のお客様ですね。」と慣れた感じの対応であった。私は先方にバッグを委ね、書類に必要事項を記入し、査定番号が刻印された小判型の赤い番号札を受け取った。

このお店は大学近くということもあり、若者向けの衣料が比較的豊富に置いてあり、また、店内には、おそらくは近くの学生であろう若者が何人かいた。そして私もそうした中に入り店内を物色しているフリをしていると、思いのほかに程度の良い商品が並んでおり、うっかりすると、また買ってしまいそうな感じもしてきたことから、敢えて出入り口近くのレディースのバッグが置かれているところに行き、そこに並んでいるバッグに対し、偏見に基づく評価を心中で行っていると、不図、窓ガラスの向こうに見覚えのある歩き方の人物を認めたため、少し注視してみると、それは研究室で見覚えのある濃いベージュのトレンチコートを着た指導教員であった。おそらく駅に向かっているのであろう。

状況も状況であるが、私は近くにいる店員さんに、さきほどの番号札を示しつつ「すいません。ちょっと用事があって店外に出ますが、すぐに戻ってきます。」と云って、店外に出た。そして、少し小走りにて指導教員に追いつき、後ろから「先生!」と声を掛けた。

すると指導教員は立ち止まり、あまり驚く様子もなく「ああ、君か・・。そういえば夕食はもう食べたかい?」と唐突に聞いてきた。そこで「あ、あの、実は、この近くで今ちょっとした用事がありまして、おそらく、もうすぐ終わるとは思うのですが・・。」と返事をして「夕食はまだですが、先生は御済みですか?」と付け加えた。すると「その用事はあとどのくらいで終わるのですか?」と聞いてきたことから「ちょっと、お待ちください。すぐに聞いてきますので・・。」と言い残して、すぐに店に戻った。多少混み合った大学近くの商店街であっても、おそらく指導教員は私がどこに入って行くかは見えていたであろう・・。店内に戻り、近くにいた先ほどの店員さんに再び番号札を示して「あと、どのくらいかかりますか?」と訊ねたところ、腰に下げていた携帯用無線機らしきもので査定カウンターの方に問い合わせてくれた。「大体、あと5分前後ですね。」とのことであり、礼を述べて再び、指導教員の方に戻ろうとすると、後ろの方でドアの開く音が聞こえ、当の本人が中に入って来た。戻る手間は省けたものの、こうした状況は何だか恥ずかしいものであり「先生、わざわざ来て頂いて恐縮です。もうすぐ用事も終えますので・・。」と云うと「あまり詮索はしないよ。」といった感じでちょっと首をすくめて、店内の方を眺めていた。そして、そうした状況を察知したのか、ただの偶然であるであるか分からないが「**番のお客様、買取査定が終わりましたので買取カウンターまでお越しください。」と店内アナウンスが流れた。それは私の番号であった。

買取カウンターに行き、案内された席に座ると、査定担当者らしき人が、査定額が記載されたプリントをこちらに示して、一点ずつ、査定金額とその理由を説明していった。こちらとしては、完全に納得の行く金額ではなかったものの、買取総額は優に5万円以上であったことから納得し、これらを買い取ってもらうことにした。おそらく、その一部始終を背後から指導教員は見ていたのであろうが、門下の院生がこうして一種の金策らしいことをしているのを見て、一体どのように感じたのであろうか・・。

そして、無事に買取交渉を終え、買取額を受け取り、指導教員と共に店の外に出ると、おもむろに「ちょっと寒いから今日は家の近くの蕎麦屋でカレーそばでも食べようと思っているんだが、一緒にどうだね。」と話を振って来た。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

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歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

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20200801【架空の話】・其の36

こうした指導教員に関する背景をボーっと思い出していると、私も数か月後にはKに住む予定であることが不図、思い起こされ、そこでBに連絡してみようと思い立った。指導教員には思いがけずに長時間居座ってしまったことを詫び、二人分のカップとソーサーを洗ってから研究室を後にした。

時刻は未だ14:00前であったが曇りがちで、陽も陰ってきていた。研究室棟を出て学食に行き、寒いためか空席が目立つ屋外の席に敢えて座り、左手を中学生の頃から着ているダークブラウンのグローバーオールのダッフルコートのポケットに入れ、右手でスマートフォンを操作して、Bに電話をかけてみたが、しばらく鳴らしてみても出ることはなかったため、電話を切り、そしてショートメッセージにて「またあとで連絡する。」と送信しておいた。


そうしてスマートフォンを手に持ったまま、右手もポケットに入れ、座ったままで背伸びをして天を仰いでみた。空は14:00前というのに、陽が乏しく灰色であり、こうしたところから、不図、先週末のWの空の色や、大気の薫りが思い出されてきた・・。そして「よくは分からないが、ああした太陽光の量や、それを素として成育する様々な植物から発せられる気体や物質などは、その土地土地に住む人々の心身に長年影響を及ぼして、次第には、地域性のようなものが形成されるのではないだろうか・・。」と不図、思ったわけだが、その後になってもこの考えには、科学的に究明してみても面白く、何かしら興味深い新たな知見がそこにあるのではないかと思われた。

ともあれ、この学食での空気には、さきのWでの大気のような、樹木や植物の薫りが混然一体となったようなものは感じられず、大気は冷たく、そして乾燥していた。すると突然、右ポケットに入れいたスマートフォンに着信があったため上を向いていた顎を落とし、姿勢を直してから電話に出た。はたして電話はBからであった。

Bは「さっきはごめん。え「今どこにいるか?」だって・・。それが、もうあまり出席が必要な講義もないし、修論も受理されて審査にも無事に通っているから、早々に高い家賃のこちらのアパートは引払って、今はKの実家に戻ってきているよ。それで、こっちに来て家を探すのであれば、出来るだけ一緒に探すようにするから、その日程を教えて欲しい。」とのことであった。私の方も早急に家探しに行く必要があると考えていたことから、翌週の金曜日に行くことに決め、それをBに伝えて合意を得た。

航空便は昨年の編入試験と同様、LCCを利用して行くことにした。また、今回のKへの訪問は、以前ほど緊張する性質のものではないことから、上手くアパートを探すことが出来たらならば、向うで少し遠出をしてみようと思った。

こうした状況からも分かるように、修了直前の私はそれなりに色々と動いており、周囲には卒業旅行で海外に行く方々も少なからずいたように思うが、私にとっては、さきのW訪問や今度のK訪問が、そうした卒業旅行に値するものであったと認識している・・。

さて、LCCで首都圏からKに行く場合、一般的に最も安い航空便であれば、新東京国際空港、つまり成田空港から出発するものになり、これは、成田空港まで出向くことに慣れていないためか少し面倒に感じられた。

このBとの電話とショートメールのやり取りを一通り終えると、私は席を立ち、この後はD先生に連絡を取り医院を訪問してみようと思った。とはいえ、この医院は、家の最寄駅からの途中、少しだけ折れたところにあるため、あまり労せずして行くことが出来る場所にあると云える・・、

医院に電話を掛けてみると、歯科衛生士のCさんが出てきて「今から夕方くらいまでは少し時間があるから寄って頂いて大丈夫です。」とのことであり、相変わらずのマジメな口調であったが、同時にその声は少し浮いているようにも聞こえた。

そして医院に着いて中に入ると、待合室には加湿器が置かれ、室温は暖かく保たれていたことから、少しホッとして更に中に入ってみると、Cさんはゴム手袋をした手で滅菌消毒されたらしい器具をそれぞれの収納場所に戻ししてるといった様子であり、D先生はクリップボードに挟んだカルテに何かを書き込んでいた。二人とも私に気が付くと、先生はクリップボードを傍らのキャスター付きワゴンに乗せ、Cさんは区切りの良いところまで器具を仕舞い終えると「今日は早いですね。それと、もうすぐKへの引越しもしなければいけませんね。」と声を掛けてきてくれた。私は「ええ、実はまさに今度kにアパートを探しに行こうと思っているのですが、そこで少し、向うの地理について知っておきたいと思ったのです。もちろん、向うではBにも相談に乗ってもらうつもりですが、ここにもK出身者とそこに長く住んだ人がいますからね・・。」と返事をした。するとD先生が「ええと、大学は市民病院とK大のKキャンパスの近くだったよね・・。」と具体的な地理の話を始めたため、少し記憶を遡り「そうです。あの路面電車の市民病院駅のすぐ近くです。」と返事をした。すると先生は「あの辺りは昔は専売局があったんだよなあ・・。と話してから少し間を置いて「それで、そのまま市電に乗っていると、さらに南のK大病院のある方に行くんだよ。それで、住むのであれば今や繁華街と云っても良いK中央駅の近くよりも、K大KキャンパスかK大病院の近くの方が安くて、比較的静かで住みよいと思うよ。」とのことであった。Cさんはk中心市街地の北にあるY野という場所のご出身であり、高校,大学時代を通じて市内中心部までバス通学であったとのことであり、住むのであれば、確かに賑やかなk中央駅近くよりも、中心からは少し外れたK大病院の近くあたりが良いかもしれない。」とのことであった。ちなみに、この時Cさんから聞いたY野という地名は、以前に読んだ記憶があり、そこで「ええっと、Cさんの出身地のY野って、もしかして西南戦争のK野利秋やB府晋介の出身地のY野ですか?」と訊ねてみると「ええ、そうです。今でも石碑が立っていて、公園になっていたりしています。それでも、よくご存じでしたね・・。」と少し嬉しそうであった。また、その顔を見ていると、Cさんの顔貌も何だか、さきの二人のように精悍に見えてきたのだが、より精確には、それまで私が気が付いていなかっただけであるのかもしれない・・。


*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

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歯科材料全般あるいは、いくつかの歯科材料に関する勉強会・講演会の開催を検討されていましたら、ご相談承ります。また、上記以外、他諸分野での研究室・法人・院内等の勉強会・特別講義のご相談も承ります。

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