2025年1月15日水曜日

20250114 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons ; 21世紀の人類のための21の思考」 pp.43-46より抜粋

株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons ; 21世紀の人類のための21の思考」
pp.43-46より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4309467458
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4309467450

20世紀には、民族主義運動がきわめて重要な政治的役割を果たしたが、この運動は、地球を分割してそれぞれ独立した民族国家にするのを支持する以外には、世界の将来のための首尾一貫したビジョンを持たなかった。インドネシアの民族主義者はオランダの支配と戦い、ヴェトナムの民族主義者は自由なヴェトナムを望んだが、人類全体のためのインドネシアの物語もヴェトナムの物語もヴェトナムの物語もなかった。インドネシアやヴェトナム、その他すべての独立国がどうし連携し、核戦争のようなグローバルな問題に人間はどう対処するべきかを説明する段になると、民族主義者は判で押したように、自由主義か共産主義の考えてに頼るのだった。

 だがもし、自由主義と共産主義が今やともに信頼を失ってしまったのなら、ことによると人間は、単一のグローバルな物語という発想そのものを捨てるべきなのか?けっきょく、これらのグローバルな物語はみなー共産主義でさえー西洋の帝国主義の産物だったのではないか?ヴェトナムの村人たちは、トリール生まれのドイツ人とマンチェスターの実業家〔訳注 マルクスとエンゲルスのこと〕の頭脳の所産をどうして信頼しなくてはいけないのか?どの国もそれぞれ、古くからの自国の伝統によって定まる独自の道を選ぶべきなのだろうか?ひょっとしたら、西洋人でさえ趣向を変え、世界を動かそうとするのをやめて内務に専念するべきか>

 これは世界中ですでに起こっていると思ってほぼ間違いない。それは、自由主義の崩壊によって残された空白が、過去の局地的な黄金時代にまつわるノスタルジックな夢想によって、とりあえず埋め合わされている結果だ。ドナルド・トランプは、アメリカの孤立主義への呼びかけは、「アメリカを再び偉大にする」という約束と組み合わせたーまるで1980年代あるいは50年代のアメリカが、21世紀にアメリカ人がどうにかして再現するべき完璧な社会であったかのように。EU離脱支持者はイギリスを独立した大国にすることを夢みているーまるで、自分たちが依然としてヴィクトリア女王の時代に生きており、「栄光ある孤立」がインターネットと地球温暖化の時代にとって実用的な政策であるかのように、中国のエリート層は、西洋から輸入した怪しげなマルクス主義のイデオロギーの捕捉として、いや、それどころか代替として、自らに固有の帝国と儒教の遺産を再認識した。ロシアではプーチンの公式ビジョンは腐敗した寡頭制政権の構築ではなく、かつてのロシア帝国を復活させることだ。プーチンはボリシェヴィキによる革命から一世紀を経た今、ロシアのナショナリズムと東方正教会への忠誠心に支えられた独裁政権がバルト海からカフカス地方まで勢力を拡げる。かつての帝政ロシアの栄光へ回帰することを約束している。

 民族主義的な愛着と宗教伝統を混ぜ合わせた、同様のノスタルジックな夢が、インドやポーランド、トルコをはじめ、数々の国の政権を支えている。こうした幻想が他のどこよりも極端なのが中東で、そこではイスラム原理主義者が、1400年前にメディナの町に預言者ムハンマドが打ち立てた制度を真似たがっており、その一方で、イスラエルのユダヤ教の原理主義者がイスラム原理主義者さえも凌いで、聖書時代まで2500年もさかのぼることを夢見ている。イスラエルの連立政権は、現代のイスラエルの国境を聖書時代のイスラエルの国境に近づくように拡げることや、旧約聖書の律法を復活させることで、はては、エルサレムでアルアクサ・モスクの代わりに唯一神ヤハウェ(エホバ)の神殿を再建することさえ、公然と語っている。

 自由主義のエリート層は、こうした展開をぞっとしながら見守り、大惨事を避けるのに間に合うように、人類が自由主義の道に戻ることを期待している。オバマ大統領は2016年9月、国連での最後の演説で、「国家や部族や人種や宗教どうしを隔てる昔からの境界に沿って明確に分割さて、ついには争いが起こる世界へと」後退してはならないと聴衆に警告した。そうした後退をすることなく、「開かれた市場と責任ある統治、民主主義と人権と国際法の原理が…今世紀における人間の進歩の最も強固な基盤であり続ける」と彼は述べた。

 自由主義のパッケージは多くの短所を抱えているとはいえ、他のどんな選択肢と比べても、はるかに優れた実績を持っていると、オバマはいみじくも指摘した。ほとんどの人間は、21世紀初頭における自由主義秩序の庇護の下で享受したほどの平和と繁栄は、かつて経験したことがない。史上初めて、感染症で亡くなる人の数が老衰で亡くなる人の数を下回り、飢餓で命を落とす人の数が肥満で命を落とす人の数を下回り、暴力のせいでこの世を去る人の数が、事故でこの世を去る人の数を下回っている。

 だが自由主義は、私たちが直面する最大の問題である生態系の崩壊と技術的破壊に対して、何ら明確な答えを持っていない。自由主義は伝統的に経済成長に頼ることで、難しい社会的争いや政治的争いを魔法のように解決してきた。自由主義は、より大きなパイの取り分を全員に約束して、無産階級を有産階級と、信心深い人を無神論者と、地元民を移住者と、ヨーロッパ人をアジア人と和解させた。パイがつねに大きくなっていれば、それも可能だった。ところが、経済成長はグローバルな生態系を救うことはない。むしろその正反対で、生態系の危機の原因なのだ。そして、経済成長は技術的破壊を解消することもない。破壊的技術をますます多く発明することの上に成り立っているからだ。