2018年9月2日日曜日

20180902 立ち寄った以前の仕事場にて思ったこと・・違和感解消の方法【歴史?】

つい先ほど、無事に徳島へ帰着しました。また本日は羽田での飛行機の搭乗時間まで若干の余裕があったことから田町駅にて下車し、以前の仕事場に置いてある物をいくつか帰りのバッグに収め、そこで少し休憩をしました。

本日は休日であることから仕事場には誰もおらず、また、そこをよく出入りしている方々も大会があることから同様であり、しばし静かに休むことが出来ました。この場所に以前訪れたのは、先月はじめの出立時(8月5日夜半)であり、そこから一か月も経たず、再びこの場所にいる自身に、若干の違和感を感じましたが、その経緯を考えてみれば、それは特に違和感を抱くには値しないと理解されました・・。

また、そうしたことを書いていますと、このようにして我々がしばしば感じる違和感あるいはそれに類する感覚を、まさに『その経緯を考えること』により大分軽減され得るのではないかと思われました・・。

そして、おそらくそれは当初に感じた違和感を抱き続けるよりも、多くの場合、いくらかは賢明なことであるように思われるのです。

そして、こうした内面の構造がある程度普遍化出来るのであれば、時間軸のスケールは異なるものの、そこに『歴史の価値』といったものがあるようにも思われます。

とはいえ、これまでに何度か当ブログにて述べていることではありますが、自身も含め、我々日本人は、事物に対し『臨在感的な把握』【山本七平の著作を読まれたし】を絶対化するといった割合強い傾向があり、これが刷り込みのように感覚に転写されると、そこからの修正があまりきかないといった性質があるように思われます。

これを技術的な寓言にて述べると、それは一般的に鋳造にて作製したものが、あまり精密な、もしくは金属特有の弾性が求められるような性質の用途には向かないといったことに似ているように思われます。

他方、さきの傾向・性質を我が国の歴史から求めようとすれば、それは古来より随所から看取することが出来るのではないかと思われます。

また、ここまで書いて不図思い付いたことは『臨在感的な把握の絶対化』が比較的困難な環境は、相対的に刺激が多い都市部である【同時に葛藤も多いのだろうが】と思われるのですが、このことが『我が国のいわゆる文学の作者・著述家のほとんどが古今を通じて都市部に集中している』一つの要因ではないかと思われるのです・・。具体的に調べたことはありませんが、おそらくこれは我が国の一つの特徴であるように思われるのですが、さて、如何でしょうか?

そして、そうしたことを認識しつつ、ここ徳島にてブログ記事の作成を継続すると、どうなるのか?とは、なかなか面白い自身に対する実験であるようにも思われます・・(笑)。

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。


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