2016年11月16日水曜日

20161116 循環論法・堂々巡り・変化について・・☆☆

A「昨日から、この時期にしては比較的温暖な日が続いたと思います・・。

ブログ記事の作成も480記事に到達し、今後も500記事到達までは、とりあえず現在の1日1記事投稿のペースにて継続していこうと考えております・・。

しかし、500記事到達前の現在、心配するのもおかしいのかもしれませんが、それでもここ最近不図思うことは「今後500記事に到達した場合、その後、このブログ記事作成はどうなるのであろうか?」ということであり、単純に記事作成を全く止めるということは、現状では逆に難しいのではないかとも思われるのです・・。

無論、書く題材がないということでしたら仕方がないのかもしれませんが、以前もブログ記事に記した通り、ブログ記事いや、こうした文章といったものは、少なくとも自身にとっては、書き続けることにより、何かしら書くことが出来ているのではないかとも思えるのです・・。

それ故、500記事到達後、記事作成を止めた場合、自身が記事を書かないでいる状態を(半ば生理的に?)許容できるのか?とも考えてしまうわけなのです・・(苦笑)。

とはいえ同時に500記事とは、自身にとってそこそこ大きな区切りであると考えますので、その(500記事到達)後、たとえブログ記事作成を継続する場合においても、記事作成のペースは500記事到達以前に比べ、多少、投稿の間隔が長くなるものと考えます・・。

また、そうしたことをも含め、果たしてこのブログを作成している自身とは多少なりとも良い方向に進んでいるのであろうか?とも時折考えてしまうのです・・(苦笑)。

以前はそのようなことをあまり考えませんでしたが、500記事到達が可能に見えるようになった昨今、そうしたことを考えるようになったことは、なかなか面白いことであり、また同時にそこから一種の不安感らしきものをおぼえることがあるのです・・。

しかしながら、ハナシを元に戻しますと、未だ現在500記事まで到達しておりませんので、とりあえずは、そうした迷い、不安感などについては考えず(しかし一方、それ自体はブログ記事の題材にはなるのですが・・(苦笑))500記事到達まで残りの20記事あまりを作成していこうと考えております・・。

そして「ハナシは全てその後」と割り切って考えた方が諸事都合がいいのではないかと思います・・(笑)。

ここまで記しており、不図思ったことは、まさしくこうした想念とは「循環論法」なのではないかということであり、また、それは往々にして「堂々巡り」ではあるのでしょうが、それでも、こうしたことを繰り返していくなかで、おそらく用いる言語・コトバのわずかな変化により、それまでの想念、考えのニュアンスもまた若干変化し、そして、それが上手い具合に行けば、言語化された納得出来る解決というものを得ることが出来るのではないかとも思われます・・。

しかしまた、そうしたことには、ある程度客観的な評価も必要ではあると考えますが・・。

そして、進化であれ退化であれ、変化自体を惹起するものは、既存要素内部のわずかな変化であり、そこから生じる全体への伝播、影響が、少なくとも「変化」全般の一側面であるといえるのではないでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本、山陰東部における大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の復興を祈念しております。」