A「正月休みということもあり、久しぶりに映画をDVDにて観ました。
題名は「帰って来たヒトラー」というドイツ映画ですが、これはかなり面白かったです。
「ドイツ人はコメディのセンスがない」といった評価があるようですが、この映画を観る限り少なくとも最近はそうでないのかもしれない・・と考えさせられます。
また、どうやらここ数年は、世界規模にて時間・空間の移動といった主題が流行っているのかもしれないとも考えさせられました・・。
であるとすれば、ハナシは先日来の大河ドラマ題材に戻り、その主題を現代にタイムスリップした西郷南洲翁(隆盛)とするとなかなか面白いのではないかと思いますが如何でしょうか・・?
そのように考えてみますと、さきの「帰ってきたヒトラー」においては、タイムスリップしたとしても、その政治的手腕は社会において発揮され、徐徐に権力に近づいてゆくさまが描かれ、またそれが、おそらく現代のドイツ社会に対するある種の警鐘であると同時に喜劇でもあるのかもしれません。
それに対し、西郷隆盛を現代の我が国に甦らしたとしても、その手腕、個性などは、どの場面においても発揮されず、むしろ幕末維新期に活躍した西郷隆盛としては悲劇的な結末に至るのではないかと思われます・・。
それほどに我が国とは何といいますか、現世重視、此岸性の強い社会であり、過去において大事とされた事物を現在において有益でなければ躊躇なく投げ捨て、忘却することが出来る性質を持っているのではないかと思います(断捨離など)。
もちろん、これは自身をも省みて書いていることであり、また、良くも悪くも我々とは、そのような性質を持っているのではないかと考えるということです。
そして以上のことを踏まえ西郷隆盛を現代にタイムスリップさせると、さきに記したような結末になるのではないかと思うのです・・。
とはいえ、こうしたことは全て、あくまでも仮定のハナシであり「帰ってきたヒトラー」に関しても、もしも実際にそのような現象が生じたとしても、果たして、そこまで首尾よく行くことはないのかもしれませんが・・。
そして、ここまで書いていて不図思い出したのは、太平洋戦争後もなおフィリッピンのルバング島にて戦争が継続していると信じて戦っていた帝国陸軍将校のことです・・。
実際のタイムスリップとは難しいのかもしれませんが、さきに述べた事例(戦後30年近く経過の後の(かつての)戦地からの帰国)とは、一種のタイムスリップ状態といっても良いのではないかと思います・・。
そして、このタイムスリップ状態を経験した元帝国陸軍将校は、帰国した我が国社会でのさまざまな価値観の変化に違和感を感じ帰国後一年も経ずに海外へ移住しました・・。
こうした事例を考慮してみても、さきに挙げた「西郷隆盛が現代の我が国社会に蘇ったら」という仮定とは、少なくともハッピーエンド的なものにはならないと考えるのです・・。
こうしたことから、現在の我が国社会とは、果たして同じ社会において称揚されている、偉人とされている方々が持っていた思想・理想に多少は叶っているのであろうか・・?と考えてしまうのですが、果たしてどうなのでしょうか・・?
とはいえ、こうした疑念とは決して現在の我が国社会に対する悲観(のみ)から生じているものではありません。
また、時にはこうしたこと考えてみることもあながち無意味なことではないと思うのですが、さて如何でしょうか?
今回もここまで興味を持って読んで頂きどうもありがとうございました。
さる熊本、山陰東部、福島周辺にて発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」