父権的・「ウジ」氏族的・支配者文化
『この文化は日本列島に支配者王侯文化と国家支配体制を日本列島に齎した所謂『天孫族』を中心とした文化である。
この文化における社会構造の特徴とは、大家族・『ウジ』族・種族(小→大)というように、縦の三段に構成される構造を持っていることである。
『ウジ』は父系的親族ないし氏族組織で、おそらく外婚的であったと考えられる。
また、このコトバは古くはudiと発音され、朝鮮語のul(族)、蒙古語のuru-q(父系親族・同族)、トルコ語のuru(親戚)、ツングース語のur(息子)という語に連なり、アルタイ語系諸族の『父系の親族集団』を意味するコトバであった。
こうしたこと、およびその他の当民俗文化に含まれるとされる習俗について考え合わせると、この文化の起源とは北方アジアの騎馬民族のそれと本質的に同一であるように思われる。
くわえて、この民俗文化の宗教観における特徴とは、其の3にて述べたものとほぼ同様であり、神は天上にあって、人間界へは山頂、樹頂に降下して出現するといった、いわば垂直的な世界観、表象であると云える。
また、神道における樹木、樹枝、柱の重要性あるいは依代といった観念とは、全てこの垂直的な世界観を持つ信仰形態において固有であり、起源であったものと考える。
あるいはこうした世界観とは、その神話における主神タカミムスビ(別名 高木神)の名称によっても理解されるのではないかとも思われる。
ともあれ、この主神とは天孫族の主神であって、彼らにとって大きな意味を持つ中津国平定神話とは、この神を命令を下す最高神として物語り、そして、この神の命令により天孫ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)が三種の神器を具して、配下の五伴緒(イツトモノオ)を随え、高千穂のクシフルの峰、あるいはソホリの峰に降臨したのであるが、これは古朝鮮の開国神話である檀君神話とまったく同系の神話である。
また、ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)より三代のちの子孫である神倭伊波礼毘古命(カン-ヤマト-イワレヒコ)すなわち初代天皇である神武天皇が九州を出立し、対在来勢力との大阪、浪速での上陸戦に苦戦した結果、紀伊半島を周り、新宮付近より上陸し、大和盆地を目指す道中、昏睡してしまい進軍できなかった際に八咫烏(ヤタガラス)が現れ、先導し、めでたく大和盆地に至るという物語(神武東征)があるが、こうした内容を含む我が国のそれと類似した建国神話が遠くハンガリーのマジャール族にも存在する。
もちろん、これら双方の神話を直接に結び付けることは論外であるが、中央アジアの蒙古族、トルコ族の間には、王朝と猛禽との密接な関係を物語る話が少なからず見受けられることから考えると、双方神話の起源、根源とは、やはり中央アジア遊牧民の神話、伝承にあるのではないかと考える。
古代のユーラシア大陸東端においては、北方の遊牧民と南方に住む漢民族との抗争が繰り返されていたが、その過程においてかなりの数の遊牧民は、中国東北部、朝鮮半島にも侵入し、その際に在来土着の半農半猟のツングース系種族を征服し、配下としてある種の階層化された社会を形成していたのではないかと考える。そして、それらが徐々に小国家として発達していったものと思われる。
そして、この『半農半猟のツングース系種族』が先日の『其の3』にて述べたものと同系の民俗文化であったのではないかと考える。
小国家から拡大していく際に、この組織は流動性を増し、さらに軍隊化し、中国東北部からさらに朝鮮半島を南下し、さらには幾度かの波となって日本列島にまで至ったのではないかと思われる。
また、こうした変化の経緯を大陸もしくは朝鮮半島にて経ていることから、この民俗文化とは純粋に遊牧民、騎馬民族オリジナルのままにて列島に渡ってきたとは考えられない。
あるいはそのことを異言すると、中国東北部の古代国家扶余や、その南方にある高句麗も、我が国の天孫族文化と類似したような種族構造、民俗文化を有していたであろうし、また古代朝鮮半島諸国家の支配層も天孫族と程度の差はいくらかあれども、概ね類似あるいは共通した性質を保持していたのではないかということである。
今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年より現在まで日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された諸インフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。
昨今、新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。』